第8話 灯の一声と、ご都合主義の間違った使い方。

 かくして開始された、シャトルラン。

 音楽に合わせて男子生徒が一斉にスタートし、徐々に音楽のペースが上がっていく。


 ……見方によれば、これもなかなかに残酷だ。

 ついていけなくなった人間から自らの意思で脱落していく構図は、走れなくなった人間からすればなかなかに精神に来る。

 なるほど、これも皆がやりたがらない理由の一つか、などと思いつつ晴夜も往復を続ける。


 最初は全員が問題なくついていき、八十を超えたあたりから徐々に脱落者が出始める。

 晴夜はまだまだ余裕があるが、この辺りからペース配分も気をつけなければ。


 ……ちなみに、最初晴夜に意味深なことを言っていた生徒と何かと晴夜に突っかかってきた生徒の二人についてだが。

 彼らは揃って遠目に晴夜をちらちらと伺いながら『あわよくばこいつよりも長く走りたい』と晴夜に張り合うように走っていたが、百回を超えたあたりで順当に体力が尽き、バレないようにひっそりとフェードアウトしていた。挙動不審だったのでバレバレだった。


 そんなことがありつつ、百二十回を超えた。

 ここでもう一人脱落し──残っている生徒は二人。


 その二人を見て、他の生徒は一様に驚きの表情を浮かべた。

 二人のうちの片方、晴夜はまだ良い。入学から何かと目立っていたし、ハイスペックであることは知れ渡っていた以上体力面で優れていても然程驚かれはしない。

 彼らの目を集めたのは、もう一つの生徒。

 その驚きの内容を、端的に一人の生徒がこう告げた。


「──神崎のやつ、あんな走れたのか」




(ははっ)


 晴夜の隣で、真剣な表情──かつまだ余裕が残っていそうな様子で並走する悠里の様子をちらと横目に見て、晴夜は思わず笑みを浮かべた。

 やっぱり、と言うのが素直な感想だ。彼自身は積極的に見せようとしていないが……ここまでの会話や普段の所作、あとは授業での受け答えからも感じ取っていた。


 神崎悠里──こいつはすごい奴だ。皆にそれを見てもらえないのが勿体無いくらいの。


 彼が、どうしてその能力を隠そうとしていたのかは分からない。多分それなりの理由があるのだろうということも、先刻の会話からも感じ取っている。

 でも、今は。彼はこの勝負を受けてくれて、周りから見られるのも構わず真剣になってくれている。それが、素直に嬉しい。


 理由? そんなもの決まっている。

 ──友達はすごい奴のほうが嬉しいし、それはみんなに見てほしいだろう。


 そして、同時に。だからこそ勝ちたいと晴夜も気合いを入れ直す。

 無論何でもかんでも勝つことが一番というわけではないが……こういう時こそ、すごい奴には勝ちたい。真剣に、そう思う。


(……今まで・・・経験できなかった・・・・・・・・から)


 最後に、心中でそう真剣に呟いて、もう一度足に力を込める。

 ……そして、程なくして。彼は知ることになる。




 百四十回を超えた。

 そろそろ両者共に限界が近い。息は荒れ、どちらがいつ走れなくなってもおかしくない。

 けれど、むしろここからが本番とばかりに。二人揃って必死に粘っていた。

 きっと、単独だけではここまで粘れなかっただろう。それだけでも、これを持ちかけた甲斐があった。


 ……だが、ここでもう一つ問題が発生した。

 走り続ける二人を見ている他の男子生徒の方だ。彼らの中での結果は最大でも百二十回であり、それ以降はずっと走り続ける二人を見ているのだ。

 自分たちよりも優れた人間を、長い間何もできずに見せられる。多感な年頃の彼らにとっては、思うところも出てきており。

 それに耐えきれず……以前晴夜に突っかかってきた男子生徒がこう声を上げた。


「……流石にだるくねぇ?」


 彼は転生者であり、『主人公になり代わる』ことを目的としている以上、自分の邪魔をする晴夜も、そして原作主人公である悠里も目立つのは好ましくない。

 その思いが言葉を後押しし、彼はこう続ける。


「もう最高得点はとっくに取ってんのに何頑張ってんだよ。延々待たされる方のこともちょっとは考えてほしいよな?」


 正直なところ、冷静になれば『脱落したほうが悪い』の一言で済ませられる問題ではあるのだが。

 それを聞いている彼らの方も、多かれ少なかれ悔しい思いがあり。それが彼の一言で的確に刺激される。実のところ彼もそれを狙っていた。この辺りは、『転生者』である知見の深さ。普通ではあり得ない量の人生経験をしたことを活かした煽動じみた真似だ。


 抗え、と言うにはあまりに酷だろう。高校一年生にとっては一年ですら大きい、多少は流されてしまっても責められまい。

 そのまま、ほんの少しだけ晴夜と悠里に関する不満を口にしようとした──


 ──その時、体育館の奥の方からざわめきが聞こえた。

 見ると、向こう側で同様体力テストをしていたクラスの女子陣が。ひと足先にテストを終えて戻ってきたのだろう。


 その中には、当然灯の姿もあり。

 女子生徒たちと話していた灯は、体育館の中央を見て……そこで、晴夜と悠里が走っているのを見ると、軽く目を見開いて。

 一瞬躊躇したあと……たっ、と一歩前に駆け出して。

 少し恥ずかしげな顔のまま、けれど迷わず息を吸って──


「──が、がんばれっ!」


 慣れていない、たどたどしくも真摯な応援の言葉を、発した。

 普段彼女が教室で見せている『お姫様』『ヒロイン』としての彼女とは一線を画す。そんな彼女の様子に周囲のクラスメイトは一瞬呆気に取られるが……


 それでも、それ以上に。真っ直ぐに応援をする彼女の姿に、心を打たれたものが多く。

 鶴の一声ならぬ、灯の一声で。転生者のちょっとした思惑は容易く吹き飛ばされ──


「おおー! 頑張れ神崎くんと委員長ー!」

「二人ともすごいぞー! できるところまで気合だー!」

「ていうか今何回? 百四十超え!? やばくない!?」


 音楽は邪魔しないように、けれど次々に口々に。

 女子生徒たちが二人の応援に周り、それに男子生徒たちも巻き込まれていく。

 二人を貶めようとする空気に流されかけていたクラスメイトたちも、すぐにそんな自分を恥じ。呆然と、続けて忌々しげな表情を浮かべる転生者たちを完全に無視して、純粋に二人を応援し始めた。



 そんな灯が作った空気の中、遂に決着の時がやってくる。

 百五十回を超え、いよいよついていけないくらいに音楽も早くなった。

 そうして──百五十四回目。


(……あ)


 晴夜が気づいた。……悠里が限界だと。

 もう次を走る体力は残っていないと察し、悔しそうな表情を浮かべながらも一つでもスコアを伸ばすべく走り出した。このまま最後の力を振り絞って百五十四のスコアは確実に取り、そこで止めるのだろう。


 対して晴夜は、自分も限界は近いがあと一回走るくらいの力は残っている。

 で、あれば。ここで百五十四回目を切り返し、もう一回向こうまで走りきれば自分の勝利が確定する。体力的にも速度的にも、可能な範囲。

 いける。けれど、最後まで気を抜くな。そう自分を引き締め、晴夜は勝利のために一歩を踏み出し──



 足を滑らせた。



(………………は?)


 再度言う。足を滑らせた。

 一言で書けばそれだけになるのだが、そこには決して一言で済ませてはいけない事情が内包されていた。


 確かに、足が滑ることはあるだろう。そもそも体育館の床は場合によっては摩擦の少ないところもあるし、汗が蓄積して滑ってしまうこともないことはない。


 ……だが。

 晴夜もそれは十分承知の上で、重々気をつけてはいた。そうして、自分の走るコースに変に汗が落ちていないことや変に滑る箇所がないことは確認した上で走行を続けていた。

 その判断が、告げていた。……このタイミングで、ここで滑ることはあり得ないと。


 つまり、まとめると。今の現象は。




 絶対にここで滑るところはあり得ない場所、タイミングで。

 謎の力としか思えない・・・・・・・・・・何かが働いて・・・・・・、晴夜が足を滑らせた。




 踏ん張るための力など、当然残っているはずがない──と思われたが。

 晴夜は、踏ん張れてしまった。結果何が起こったかというと。


 滑ってからのわずかなラグで、晴夜は悠里に遅れて。

 その遅れが致命的な差となり、悠里だけが百五十四回目を成功させた。



 側から見れば、晴夜が滑ったのではなく単純に力尽きたとしか思えないように。

 誰がどう見ても、『不幸なアクシデントではなく実力で悠里が勝った』と思われる、ちゃんと思ってもらえるように。


 

 まるで、狐に化かされたような。何かに騙されたような。

 或いは──神様が強制的に・・・・・・・悠里を勝たせよう・・・・・・・・とした・・・かのような。


 そんな決着により……シャトルラン対決は、一回差で悠里の勝利となった。




 息を整え、顔を上げて。

 それでも尚今起こったことが信じられず、呆然とする晴夜が辺りを見渡して。

 ……そこで、同じく呆然とした表情でこちらを見る悠里と目が合った。

 悠里も晴夜の顔を確認して、そこで何かを確信した様子でこう声をかけてきた。


「小日向君。やっぱり、今──」


 だが、その前に。


「すげぇな神崎!」

「嘘だろ、まさか委員長に勝つなんて! お前どんな体力してんだよ!」

「実はとんでもないやつだったんじゃないかお前! 運動部入れよ!」


 男子たちにあっという間に悠里が囲まれ、次々と称賛の言葉を浴びせかけられた。

 彼らの目が向くのはまず先に悠里、晴夜に声をかける人間は居ない。

 ……無理もない。こういう、勝つと思われた方が負けた場合、打ち破った方が多くの注目を集めるのは道理。負けた方は、二の次だ。


 問題ない。注目を集めるのは、勝った方の正当な権利だ。

 負けたやつは、見向きもされないのが当然だ。……でも。


「やっぱり! 俺は思ってたぞ、お前がすごいやつだって!」


 そんな晴夜の耳に、一際大きな声が聞こえる。

 この対決の前、晴夜に意味深なことを言ってきた例の男子生徒。

 彼は、まるで周囲に……そして晴夜に聞かせるように、得意げにこう言った。


「──やっぱ・・・お前が主人公だよ・・・・・・・・!」


 その言葉が、何故か晴夜に重くのしかかって。

 それによって思い出したかのように……微かに、晴夜の足首が痛み始める。

 察するに、足を滑らせて踏ん張った際に変に捻ってしまったのだろうか。恐らく大事にはなってないと思うが、一応保健室まで行っておくか。


 そう判断した晴夜は、教員にその旨を告げ。ひっそりと、その場を後にした。

 皆が悠里に目を取られ、そんな彼を見ていた人間は誰もいない。



「…………小日向くん?」



 ただ一人。

 この世界の『ヒロイン』である、灯を除いて。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ややマイナスめの展開になって申し訳ない……!

本作の根幹になるものを示す上で必要だった+代わりに次回は糖分強めにする&ざまぁもちゃんとあるので、次回以降も読んで頂けると大変嬉しいです……!!

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