第3話 またしても何も知らない小日向さんの入学式

 入学式で、一番印象に残る出来事は何だろうか。


 多分だが、校長や来賓の挨拶を覚えている人間はそうそういないだろう。余程の名演説でない限り、新入生にとって最重要かつもっとも印象的な要素は別にある。


 そう、新入生代表の挨拶だ。

 それは入学試験で最も高い成績を収めた人間、所謂入試主席が務めることが通例であり、その人間は否応なしに全生徒の印象に残る存在となる。


 そんなポジションである新入生代表。

 この世界の基である『原作』では誰が務めたかというと──大方予想されているとは思うが、水澄灯。この世界のメインヒロインである。

 日本人離れした髪色と目の色、透明で儚い雰囲気を持つ絶世の美少女が涼やかな声で読み上げる挨拶は全校中で話題となり、彼女は入学早々『学校一の美少女』との立ち位置を確固たるものにする──という、彼女の価値を高めるためのイベントだ。


 それを踏まえた上で、この入学式。

 いよいよ新入生代表挨拶の瞬間がやってきた。多くの人間は誰が代表なのだろうと興味半分緊張半分の精神で見守り。

 そして、『原作』を知る転生者たちは、「あの名演説が見られる!」と情報優位による優越感と高揚を持って見届ける中。


「それでは、続いて新入生代表の挨拶です。新入生代表──」


 遂に、その名前が呼ばれる。



「──小日向晴夜さん」

「はい」



 そう、またしてもこの男である。


((だから誰だよお前は!?))


 そんな転生者たちの内心での突っ込みも、原作ではどうだったなんて情報も一切知らない彼は、シンプルに入試で最高成績を修めた正当な権利と共に壇上へと歩いていく。


(……いや、まさか主席とは)


 とは言え彼も、代表にまでなれるとは思わなかったと苦笑を浮かべる。

 無論、相応には頑張った。『主人公になりたい』との願いを抱いてから、あらゆることに本気になって。当然それには勉強も含まれ、通学可能範囲で最大偏差値だったこの学校に受かるために猛勉強を重ねた結果──驚くべきことにこの場を任されることになった。


 であれば、恥じることはないか。むしろこれは目立つチャンスだろう、と前向きに捉え……驚きの顔を浮かべている灯を微笑ましく横目に見つつ、新入生の中でただ一人に許された壇上へと登っていく。



 だが、そんな彼の内心も事情も、他の人物は知らない。だからこそ──


(っ、ふざけんなよ……っ!)


『原作』を知る人間たちには、許し難い感情を抱かれる。


(毎度毎度なんなんだよあいつは……! せっかく灯の挨拶が生で聞けると思ったのに! そもそもあんな奴を認める学校も学校だ! 絶対灯の方がふさわしかっただろ! あんなチャラそうな男にまともなことなんて言えないに決まってる……ッ!)


 今からでも灯に代わって欲しい、それが叶わないならせめて何か失敗して恥をかいて欲しい。

 原作を知る人間は、知るがゆえのそんな望みを抱く。

 そして知らない人間も、彼ほどではないにしてもいかにも軽そうな見た目の少年が真っ当な新入生挨拶をできるのか、という不安と好奇の視線を晴夜に寄越し。

 そんな様々な視線に晒されながら、晴夜は壇上に上がって口を開く。


「満開の桜ののち、葉桜をはじめとした新たな命が芽吹き始めるこの良き日。晴れやかな入学式を開いていただき、我々新入生一同感謝の意を述べさせていただきます」


 まずはお決まりの定型文から。この時点で、転生者を始め彼の外見から判断していた人間は思った以上に真面目な挨拶に驚く。

 そんな彼らを他所に、晴夜は続ける。


「さて。僕たちは先月で義務教育を終え、今日からはある意味で義務に縛られない、自分たちで自由に学ぶ、自由に何かを目指せる立場となったわけですが」


 口調は丁寧に、抑揚ははっきりと。そして何より、本心からの言葉と共に。


「恐らくは、そこまでの『自由』を実感して高校に来た人は然程はいないでしょう。どころか……明確なこの先のビジョン、自分がどこを目指しているのか、何になりたいか。目指す場所がはっきりしている人は、そこまで多くはないと思います。かく言う自分もはっきりそうだとは言えません」


 その言葉に多くの人間、そして聞いていた灯も目を見開いた。


「そういう自分たちに、周りの方々は言って下さいます。焦る必要はない、まだ高校生なんだから。まずは勉強を頑張って、そこからゆっくり見つけていけば良い、と」


 そこで、一呼吸置いてから──声色を変えて。


「──僕は、それに少し引っ掛かりを覚えます」


 この場の人間に、何より一番聞いているだろう新入生たちに向けるように、告げる。


「もちろん、言わんとすることも分かります。視野を狭めることは良くないと思いますし、勉強も大事でしょう。そこをおろそかにするつもりもありません。

 でも……焦る必要がないと言うのは少し違うのではないかと。いくら時間があるからといって、それはなりたい自分を今決める努力をしなくて良い理由にはならない。『まだ高校生』は、自分の責任を無遠慮に未来へ丸投げする怠慢の言い訳ではありません」


 気づけば、その場の全員が。晴夜の挨拶に疑問を持っていた人間も、転生者さえも、彼の発する言葉に聞き入っていた。


「決められるなら、決めるのは早いほど良いに決まっている。少なくとも──『まだまだ時間はあるさ』と思ってゆっくりと過ごすだけでは、きっとたかが三年なんてあっという間に過ぎ去ってしまうでしょう。やり直しなんて・・・・・・・効かないんです・・・・・・・


 そうして、話は締めくくりに。ここまでの話ののち、晴夜は『新入生』としての言葉を口に出す。


「だから、今から。全力で探しに行きます」


 この高校での目標を、多くの人の前で。何も恥じることはないとばかりに。


「何をしたいのか、どんな自分になりたいのか。

 ……これからの人生、自分はどんな物語の『主人公』になりたいのか」


 彼が目指すと誓ったものを、その言葉に込めて。

 その言葉で一番、後ろの灯が衝撃を受けたように目を見開いたことを、彼は知らない。


「その問いに、迷わず答えられる自分になるために。勉強も、それ以外のことも全力で取り組んでいきたいと思います。そんな高校生活を、僕たちの三年間を。先生方は見守り導いていただけると、これから学友となる方々は切磋琢磨していただけると嬉しいです。

 ──以上を持ちまして、代表の挨拶とさせていただきます。新入生代表、小日向晴夜」


 そう締め、綺麗に一礼。

 振り向くと同時に──万雷の拍手が起きた。


 教員たちは感心とともに、新入生は共感と感動を込めて手を叩いている。

 その様子を見れば、この代表の挨拶が成功だったかどうかなんて一目瞭然で。


 自分の席に戻る最中、晴夜は目撃する。自分に向けられる尊敬と称賛の入り混じった視線たちの中──違う感情を宿す視線が二種類。

 一つは、今言った尊敬、称賛の他にも別の熱を宿した表情でこちらを見やる灯の視線。

 そしてもう一つは複数の……悔しさと、もはや憎悪じみた黒い感情を宿した視線。


 前者には微笑ましさ、後者には割と本気の疑問を感じながら。

 小日向晴夜の、無自覚な原作破壊の大きな二つ目が終わるのだった。




 そして入学式はつつがなく進行し、最も注目を集めた人間である晴夜の周りからの評価はどうなったかというと。


「ど──よ俺の新入生代表挨拶! 完全完璧、非の打ちどころのないパーフェクトな名演説だったでしょう! また目立ってしまったな、これで俺も入学早々人気者になってしまうに違いあるまい!」

「うんそれを大声で言わなければ本当に完璧なんだけどなぁ! ほらもう周りの視線がどんどん純粋な尊敬から『ああ、そういうタイプの人ね』ってのに変わってってる!」


 この通りである。

 入学式後偶然話していた悠里との会話でこんなやりとりがあり、しかもそれが結構な同級生に見られていたこともあって。

 彼の評価は『スペックは高いけどお調子者』『二枚目と見せかけた三枚目』『黙っているか真面目にしてれば普通にイケメンな残念な人』系統に無事落ち着いた。


 その後は粛々と入学初日の諸々が進行し、特筆すべき出来事はないまま一日を終える──かと思われたが。

 最後に、特大の。きっと『原作』からすれば最も大きなイレギュラーが起きた。



「……それで、話って?」


 入学式と初日のホームルームを終えて、下校するまでの時間。

 晴夜は一人、人気のない場所に呼び出していた。


 いかにもこれから告白とか始まりそうなシチュエーションだったが、そういうものではないことは呼び出した女子生徒──水澄灯の雰囲気を見れば分かった。

 彼女は何かを堪えるような、抱えたものを言うべきか迷うような表情をしばし見せたようだったが……やがて、意を決したように顔を上げて。


「うん。……わたしも理由は分からないし、本当はずっと自分の中にだけ秘めておいた方がいいかなって思ったことなんだけど……なんでか、今日会って、一日見てた君には話したくなって」


 若干要領を得ないが、それだけ口にするのが難しいことなのだろう。


「……正直、言われても分からないかもしれない。でも、ちょっと前からずっと不思議に思ってた、わたしの中の違和感。とんでもなく自意識過剰に思われるかもしれないことなんだけど……聞いてもらっても、いいかな?」


 頷くと、彼女は。

 最近から自覚し始めた違和感。誰に与えられたとは言えない……ひょっとすると世界に・・・そうあれかしと・・・・・・・定められたような・・・・・・・・違和感を。

 こう、切実に口にした。



「わたしはね。……『ヒロイン』、なんだ」



 そうして。

 原作崩壊バタフライエフェクトは加速する。

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