後編

 ジークハルト殿下が初めてメガネ姿でパーティー出ることになったのは、それから半月ほど経ったある日。

 本当は私もついて行って殿下のアホっぷりを見続けていたい。だが今はただの・・・・・メイドでしかない私・・・・・・・・・には縁遠い場所なので留守番だ。


 「驚くほどモテまくる男になってくるから楽しみしておくんだな」と胸を張る殿下を見ながら、私は少しも期待していなかった。


 誰にも見向きもされないで泣いて帰ってきたジークハルト殿下を慰めて、メガネが似合わなかったせいだろうかと見当違いなことを言う殿下を微笑ましく眺める。

 そうなるだろうと信じて疑っていなかったのに。それ以外の結果など求めていなかったのに。


「聞いてくれ、ヘレン!」


 パーティーから戻ってきたジークハルト殿下の声は浮かれていた。どうしようもなく、浮かれ切っていた。


「おかえりなさいませ。何か良いことでもございましたか?」

「婚約を結べるかも知れない」


 ――。

 ――――。

 ――――――――なるほど。


「お可哀想に」

「急に憐れんできてどうしたんだ」

「幻覚をご覧になったのかと思いまして」

「幻覚じゃないっ!!」


 私の推測は、唾を飛ばす勢いで否定されてしまう。


「ですがジークハルト殿下が、婚約を申し込まれるなんて……あり得ません」


 ジークハルト殿下の言葉は、あまりに信じがたいものだ。

 まさかアホな思いつきが成功してしまったとでもいうのだろうか。


「あり得たから言っているんだよ。知的メガネになったからだろうな、僕の魅力が轟いたんだ」

「殿下の顔がいいのは元々ではないですか。メガネをかけた程度で、そんな」

「特にミーガン伯爵家の令嬢は目の色を変えて迫ってきたよ。聞いてみれば彼女、『メガネフェチ』らしい。メガネをかければモテるという僕の考えは正しかったな」

「『メガネフェチ』、ですって?」


 なんだそれは。聞いたことがない。


「知らないのか」

「不勉強で申し訳ございません」


 どうせジークハルト殿下だってミーガン家の令嬢に教えられるまで知らなかっただろうに、殿下は得意そうな顔で言う。


「知的メガネもいいがアホメガネもそれはそれで魅力的なんだってさ。いい雰囲気で婚約話を持ちかけられたから、早速受けようと思って帰ってきた。ミーガン家の令嬢は非常に可愛らしい娘で……」


 当たり前のような顔でその先を続けようとするジークハルト殿下。

 気づけば私は、声を張り上げてしまっていた。


「――ダメですっ!」


 自分でも驚くほどの声量だった。驚くほどの必死さだった。


 ジークハルト殿下の表情が固まり、目を見開かれる。

 言ってしまってから「しまった」と自覚したものの、言葉が溢れ出てきて止められない。


「その方は、ジークハルト殿下の本質なんてまるで見えていないではないですか。メガネをかけたから何だというのです? 確かにメガネ姿の殿下は素敵です。素敵でしたけど、殿下のお優しさを知らず、容姿に……それもただの装飾品でしかないメガネに惹かれた令嬢を迎え入れて、ジークハルト殿下は本当に幸せになれるのですか?」


 見え透いてしまっているのだ。どうせ殿下は『メガネフェチ』だとかいう令嬢の観賞用にされるのがオチだということくらい。


「メガネごと僕の魅力に気づいたに決まってる!」

「メガネごとなんておかしいことをおっしゃらないでください」

「モテたんだからいいじゃないか。それともヘレン、ミーガン家の令嬢が嫌いなのか?」

「…………いえ、そういうわけではなく」

「なら問題ないだろう」

「ですから!!」


 アホだ。ジークハルト殿下はどうしようもないアホである。

 メガネごとじゃないと価値がないとでも思っているのか。思っているのだろう。事実、モテなかったのだから。


 でも。


「別にモテなくたって、いいでしょう?」

「なんでそうなる」

「殿下のアホさを愛でるのは私だけでいいのです。私一人で、充分のはずです」


 メガネでもなく、輝かんばかりの美貌でもなく。

 飾らないジークハルト殿下が私は好きなのだ。


 きっと伝わらないだろうな、と思う。


 もし私が令嬢なら。侯爵令嬢であったなら、ジークハルト殿下は私のことを一人の女として見てくれたかも知れないけれど。

 私はただのメイドで、ジークハルト殿下にとってそれ以上でも以下でもないに違いない。それ故、この想いは伝わるわけがない。


 それでも構わなかった。


 ジークハルト殿下と出会ったのは、政争に負けて生家が没落した直後のこと。

 親を亡くした当時十三歳の私は薄汚れた孤児となって路頭に迷っていた。


 私はとある侯爵家の生まれだった。両親に可愛がられて幸せに育っていた最中、何もかもを失ったわけである。

 今にも死にそうで、生きる希望なんて何もないまま、地面に這いつくばりながら生ゴミをあさっていた私に声をかけてくれたのがジークハルト殿下だ。


 見ればわかるだろうに『何をしているんだ?』と無邪気に訊いてきた少年。

 誰だと思って顔を上げたら王子殿下がいたものだから、腰が抜けそうなほど驚いた。


 ジークハルト殿下はしょっちゅう城を抜け出していた。うっかり暗殺されでもしたらどうするつもりだったのだろう。

 ……それはともかく。


 何度か言葉を交わし、食べ物を恵んでもらって。

 王族のくせにアホ丸出しで奔放な彼へ腹を立てたのは最初のうちだけで、ある雨の日に濡れそぼっていた私はとうとうジークハルト殿下に拾われることになる。


『ついて来てくれ。この僕が、君を幸せにしてあげるからさ』

『何をおっしゃっているんですか。私みたいなのを拾って、あなたには一つの得もないでしょう』

『得とかそんなのはどうでもいいんだよ。そんなところで蹲ってたら凍え死ぬ。僕は王子だから君の欲しいものを好きなだけ買い与えられるし、城に連れて帰るだけで今よりは幸せな生活を与えられるだろ?』

『ふふっ、とんだ国税の無駄遣いですね』


 呆れて笑いながらも、向けられた混じり気のない優しさが本当に嬉しかったのをよく覚えている。

 きっと恋に落ちたのはその時だ。


 そのあと、私を城に入れることについて一悶着があったりしたが、最終的にメイドになることを認められた。

 それが私とジークハルト殿下の主従関係の始まり。私はメイドとしての技術をしっかり身につけた上で、アホの子なジークハルト殿下の傍にあり、どこか近くて遠い存在として、見守ってきたのである。


 たとえジークハルト殿下の継承権がなくとも没落令嬢の私が並び立つのを許されるはずがない。そもそも殿下にそういう対象として見られていない。

 わかっている。わかっていながら、ジークハルト殿下が他の令嬢を選ぶことを許せない私は愚かしかった。


「僕のアホさを愛おしむってなんだ。知的メガネになったのに、ひどいじゃないか」

「失礼ながら、はっきり申しましてアホの子メガネだと思いますよ」

「僕の頭が悪いのは事実だけど言うな。言わないでくれ……」

「もう言いません。心の中だけにします。ですがその代わり、縁談が持ち上がった御令嬢にはお断りの手紙を出してください」


 私のわがままを聞き入れる理由は、ジークハルト殿下にはない。

 嫌だと言われればそれで終わりのお願い。けれどもどこまでもアホな殿下は、にっこりと笑った。


「わかった」

「ありがとうございま――」

「ヘレンは僕ばっかりモテてずるいと思ってるのか!」

「そんなわけないのですが?」


 即ツッコんだ。

 どういう理由でその勘違いに行き着くのか、謎にもほどがある。


「『メガネフェチ』から大人気の知的メガネになった僕が、ヘレンをモテる女にしてやる」

「要りませんって」


 私がメガネ女になっても絶対にモテたりはしないだろう。そこそこ可愛い部類ではあるが、ジークハルト殿下のように顔立ちが特別にいいわけではないのだ。

 

「なら何が欲しいんだ?」

「私が欲しい、もの」

「欲しいものを好きなだけ買い与えられるって言っただろ」


 いつもにも増して優しい瞳で言うものだから、思わずドキリと鼓動が跳ねた。

 ずるい。ジークハルト殿下は、本当にずるい。


 だから私は正直に答えてしまった。


「ジークハルト殿下を愛で続ける権利……でしょうか」


 あまりに恥ずかしく、かぁぁ、と頬が熱くなる。

 慌てて俯いた私の耳に、「いいよ」とのジークハルト殿下の柔らかな声が降り注いだ。


「よろしいのですか?」

「そんなのでいいならいくらでも与える」


 ここで終わっていたら完璧だった。

 ただ、次の一言がアホとしか言えず、私の熱を一気に逃がしてしまうのだが。


「頭の悪さを愛でられるというのはなんだか変な気分ではあるが、一種のモテとも言えるしな。モテというものはモテればモテるほど嬉しいものだからさ」

「モテなくていいという私の意見は聞き流されるのですね」

「ミーガン家の令嬢との縁談はなしにしてもいい。でもヘレン、僕はモテたいんだ」


 そこだけは譲らないらしい。それほどまでにモテたい気持ちが私にはいまいち理解できなかった。

 『愛で続ける権利が欲しい』という、割と直接的な告白ですら気づかないだろうことはわかっていたが、雰囲気がぶち壊しである。


「メガネじゃなくて、僕を僕のまましっかり愛する令嬢ならいいんだろう」

「ええ、まあ」

「次こそヘレンも認めるような素敵な相手を見つけてくるから、僕を愛でながら待っててくれ」

「あ……はい」


 気の抜けた返事をする私に対し、ジークハルト殿下は上機嫌に宣言する。

 そういうことを望んでいたのではないけれど、まあいいか、と思った。


 縁談をお断りしてほしいというわがままを聞いてもらえたどころか、愛でる権利まで頂戴してしまった。

 それだけで身に余る光栄なのだから。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ジークハルト・アーロ・ホメリラ殿下は生粋のアホである。

 あの手この手で計五人もの令嬢を引っ掛けておきながら、私の首を縦に振らせられなかったからと潔く手放し続けた挙句、今日も今日とてモテたいと嘆き続けている。


 そしていつもながらのアホな思いつきをするのだ。


「筋肉のある男性は魅力的だと聞いた。故に僕はガチムチになろうと思う」

「運動はお嫌いでいらっしゃるのでは?」

「うぐっ。それはそれ、これはこれだ。第一印象で惹きつけて、それから僕の内面に惚れ込ませてみせる!」


 わざわざそんなことをしなくても。というより、筋肉だるまになったらせっかくの美貌が台無しになりかねないのに、いいのだろうか。

 そう思うが、私はあくまでジークハルト殿下のメイド。「承知しました」と付き合って差し上げるのだった。


 ――ただの主従でもいい。だからずっと、このままでいられますように。


 密かにそう願いながら。

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知的メガネになりたいアホの子王子様と、メイドの私の話 柴野 @yabukawayuzu

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