知的メガネになりたいアホの子王子様と、メイドの私の話

柴野

前編

「ヘレン。僕は思うんだが……モテたい」

「はぁ」


 執務机に頬杖をついて憂いを帯びた顔をした青年。

 彼の口から漏らされた呟きに、私はそっけなく言葉を返した。


 仮にも主人である相手にこの口の利き方はたいへんよろしくない。だが呆れてしまったことを取り繕えないくらいには呆れてしまったのだった。

 稀に見るほど真面目な顔をしているものだから何か重要な事案でも発生したのかと思えば、『モテたい』とは。

 いつもながら・・・・・・、ずいぶんと呑気な悩みである。


「自慢じゃないが僕は顔はすっっごくいいはずなのに、頭のいい奴ばかりがモテる。おかしいだろう」

「それはただの嫉妬では?」

「うん、まあ嫉妬なんだけどさ」


 さらさらとした金の髪、宝石のごとき翠の瞳。すらりと背が高く、肉付きは剣をやっていないのでいまいちだが、だからこそ儚げに見えた。


 この世のいかなる人間も敵わぬだろう至高の美貌。

 それを自覚しておきながら嫉妬の念を抱き、隠そうともせずにあっけらかんと認める男など、この世に二人といないだろう。


 私のご主人様――第一王子ジークハルト・アーロ・ホメリラ殿下は、生粋のアホである。

 メイドとして仕えさせていただくこと、はや五年。この長い年月の中で私は確信を得ていた。というか私でなくてもジークハルト殿下のアホさは知っている。知れ渡ってしまっている。


 第一、為政者に向かない。政治の『せ』の字も知らないどころか貴族の名前もろくに記憶できていないという酷い有様だ。それに加えて王族に求められる教育を十分の三ほどしか終えられず、ホメリラ王国史上初めて、不祥事を起こしていないにもかかわらず継承権を剥奪された。

 愚物の王子。父王や周囲からそう評されつつもへらへらとしているところがさらにアホ度が高い。百点満点のアホの子、それがジークハルト殿下だ。


 そんな彼でも今まで複数の縁談が舞い込んだことがある。

 継承権を持たない分、競争率が低いというのが大きな利点。主に王家の後ろ盾を得たい家の令嬢、ジークハルト殿下の美貌に惚れ込んだ属国の姫なんてのもいた。


 しかし皆、顔合わせの際にいかなる会話を振っても「そうなのか!」とか「なるほど」とかわかっているのかいないのかわからない――実のところひたすら相槌を打っているだけの――ジークハルト殿下に戸惑い、あるいは嫌気が差して縁談をなかったことにされてしまった。

 王家との繋がりで言えば他の王子の方がよほどマシだし、いくら綺麗な面貌でも中身が伴わないなら無価値と判断されたということ。

 その判断は正しいと思う。ジークハルト殿下の妃になったところで、ろくでもないことに振り回されるだけだろうから。


 などと考えながら私は、殿下に提案してみた。


「世の不条理を嘆く気持ちは理解できなくもないのですが、まずはご自分を改められませ。顔のいい自覚も頭の悪い自覚もどちらもあるのなら頭を良くすればいいのではありませんか?」

「……なるほど。だが僕は勉学になど時間を費やしたくない! 継承権破棄に頷いたのは勉強しなくて済むようにするためなんだからな!」

「はっきりとした物言いをなさいますね」


 威勢よく情けないことを言われてしまって、正直なところ反応に困る。王子としての矜持とか誇りはないのか。ないのだろうが。


「ではお諦めになっては?」

「それも嫌だ。うーーーん、どうしたものか」


 彼がモテないのは仕方ない。本当に仕方ない。

 決して悪い人ではないのだ。ただ、何よりアホだし、本来王子には男の侍従が仕えるものだと定められているのに、女の、しかもよりによって私なんかを専属メイドとして側付きにするくらいの変人でもあるというだけで。


 変人でアホな私の主は、うんうん唸った末に、今日も今日とてくだらない決意を固めたらしい。


「よし決めた、僕は知的メガネを目指す!」


 なぜその結論に??? というか知的メガネとは?

 ツッコミたくなるが、絶対に大した理屈はないことだけは確かだ。


「……さようでございますか」

「手伝ってくれるな、ヘレン」


 翠の双眸に射抜かれ、先ほどまでの憂いなどケロッと忘れたかのような満面の笑みを向けられて。

 私は、首を縦に振らないわけにはいかなかった。


「ジークハルト殿下の仰せのままに」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ジークハルト殿下はアホな思いつきを、知的メガネ作戦と名付けた。

 なんだそれは、とうっかり笑ってしまったら、「面白いだろう!」とドヤ顔をされた。『知的』から最も遠いように思えるその表情は、十八歳の、成年を迎えた紳士には見えない。


 愛嬌だけは溢れんばかりにあるのだから、そこを伸ばしていけばいいのに。


「ところでですが。なぜ、わざわざ知的メガネとやらを目標に据えることになさったのですか?」

「ついこの間のパーティーで見た令息がさ、ご令嬢たちからとびきり人気でモテモテだったんだ。縁なしメガネがクールで素敵らしい。それを僕が真似したらどうなると思う?」

「どう、とは?」

「あまりの格好良さに昏倒してしまうに決まってるって話だよ!」


 それはどうだろう。

 殿下の記憶力の残念さによって名前すら不明である故に確認しようはないが、実用的な観点を度外視すれば、メガネはあくまでおまけの装飾品でしかないはず。

 真似たくらいで令嬢の気を引けるならば社交界ではメガネが流行となっていて当然。けれども殿下に訊いたところ全然そんなことはないというので、つまりはそういうことだ。


「早速だけど街にメガネを買いに行きたい。ヘレンにも一緒に選んでほしいから、ついてきてくれ」

「お忍びでございますね」

「もちろん! ヘレン、準備をよろしく頼む」

「承知しました」


 こういうことには慣れていた。元々城での生活に飽いており、隙さえあれば抜け出すような人だから、護衛もなしに彷徨き回った経験も少なくない。

 クローゼットの半数を占めているお忍び用の衣装から適当なものを選び、ジークハルト殿下に手渡して、そのあと自分もメイド服から着替える。


「参りましょうか」

「ああ」


 まもなく街へ繰り出した私たちは、ともすれば触れ合いそうな距離で肩を並べて道を行く。

 本来は従者は主の背後に付き従うもの。だが「その方がお忍びっぽいと思うだろ?」と言うので、いつしかこれが当たり前になっていた。


 どう見ても容姿の釣り合いが取れていないので衆目には不自然に感じられているだろう。地味な私が地味な装いをすると王城勤めをしている者には見えなくなるのに、ジークハルト殿下は輝きをまるで失わないので目立ってしまうのだ。

 本人的には完璧に隠せているつもりであるため何の問題もないし、私も今更肩身が狭く思ったりはしないけれど。


 王都中心は裕福な層と貧困層が入り乱れて暮らす特殊な場所である。

 人々がひしめき合い、あらゆるものが店先に並ぶ商店街。貴族御用達の店もあれば庶民向けの店もある中で、メガネ屋を探す。

 そしてまもなく見つけた。


 見つけたのだが。


「鮮やかなメガネがたくさん並んでいるぞ! ヘレン、どれが僕に似合う?」

「ジークハルト殿下。鮮やかだからと言って安物を選んでは知的メガネとやらにはなれませんよ」


 小さくて可愛らしい店の外観に期待して入ってみたが、残念ながら品質的にはいまいち。庶民のおしゃれにちょうど良いのだろうそれらはパーティーなどにつけて行くには不向きに違いなく、もっと高品質なものが望ましい。

 アホなジークハルト殿下はそこまで頭が回らないから、ほぼ私任せにされている。


「そうか。わかった、ヘレンがそう言うならやめておく。じゃあ次だ」


 歩くことしばらく、辿り着いた別のメガネ屋。一軒目とは打って変わって無駄にキラキラとしていて貴族御用達なのは明らかだった。

 品質はいいもののジークハルト殿下の私財では購入不可能な値段に慌てて撤退。三軒目、四軒目と巡っても似たり寄ったりだ。


「せっかくのお買い物ですが、芳しくありませんね。どうなさいますか?」

「もちろん続ける。だって僕はまだ知的メガネになれてないんだからね。あ、ヘレンも欲しいものがあったら言って。それとも疲れたなら今日のところは帰るけど……」


 発端はただのアホな思いつき。そろそろ諦めたらいいのに――と思って言ったら気を遣われてしまった。

 柔らかな眼差しに射抜かれ、グッと喉が詰まりそうになりながら私は首を横に振る。


「大丈夫です」


 不意打ちの優しさはずるい。

 ジークハルト殿下はアホのくせに変に優しいから、付き合って差し上げようという気にならずにはいられないのだ。


 ――知的メガネになんてならなくても、もう充分に素敵なのに。

 その想いは口に出さず、そっと胸の中にしまっておいた。


 結局五軒目で良さそうな店に巡り合った。


 フレームが横長の四角形の、縁なしメガネ。

 眩い銀色のつるのそれをジークハルト殿下はドヤ顔で掛ける。


「どうだ?」

「素敵です。文句のつけようがありません」


 中身がアレなので断じて知的メガネではないと思うが、あまりの美しさに目が眩んでしまいそうになるくらい、超絶美形に凛々しいメガネの取り合わせは様になっていた。


「そうだろうそうだろう! これで僕も知的メガネの仲間入りだ。令嬢たちがわらわら群がってくること間違いなしだ」


 そうして迷うことなく即購入。

 ささやかな買い物は、終わってしまうと呆気ないものだ。帰りも肩を並べて……傍から見るとまるで恋人同士のように城まで帰ったのだった。

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