2.静寂の中の探針

 アルマが新市街へと姿を消したその日、エリスは教会の庭を一人で歩いていた。冷たい風が修道院の石壁にぶつかり、細かく刻まれた紋様の隙間から忍び込んでくるようだった。その風は、エリスの肩にかけたマントを無理やり引き裂こうとするかのようにまとわりついて、彼女の髪を時折乱していた。


 だが、エリスの心は風の冷たさよりも、これから迎える茶会に集中している。


 庭を歩き回りながら目を閉じ、アルマの残したメモの内容を思い返していた。「マリナ・レオニス――親友」と書かれたその言葉が、やけに空しく思える。


 ゲームの中でのエリスとマリナは親密な関係にあったが、現実の世界でどれほどその絆が続いているのかは未知数なのた。エリスはいつも自らの目で確かめたものしか信じない。アレクセイとして生きた過去の記憶が、常に彼女の背後に暗い影を落としている。


 マリナがアルマが語る通りの人物かどうかは分からない。だからこそ、確信を得るために今日は慎重に行動する必要があった。


 召使が運んできたティーセットに目をやり、エリスは静かに指先でその冷たい白磁をなぞった。ボーンチャイナ風のカップは、まるで割れやすい薄氷のようで、彼女の肌にひんやりとした感触を伝えてくる。どこかよそよそしい優雅さが漂い、それが彼女の心を少しだけ落ち着かせた。同時に、ヴァレンシュタイン家では華やかで暖かみのあるマヨリカ風の陶器が用いられていたことを思い出して、その記憶が遠い過去のもののようにも感じられていた。


 そして昼過ぎ、マリナが現れた。


 彼女はゆっくりとした足取りで庭を歩き、エリスの前に立った。黒髪に黒い瞳、痩せた体躯。彼女の姿は冷たい教会の風景の中に不思議と溶け込んでいた。風にそよぐ彼女の髪はまるで木の葉が舞うように軽やかで、その瞳には何か考え込むような光が浮かんでいた。


「エリス、どうしてアルマのような人を助けたの?」


 椅子に座ったマリナが口を開いたとき、その声は柔らかくも冷たく、教会の石壁に反響するようだった。彼女の表情は穏やかだが、瞳には疑念の影が潜んでいる。エリスはその瞬間、相手の心の底に潜む何かを感じ取ろうと、無意識に注意を向けていた。


 エリスはカップに手を伸ばし、その白磁の冷たさを再び感じながら、慎重に言葉を選んだ。


「アルマは悪い人ではないの。ただ、追い詰められていただけよ。私は彼女の反論が正しいと思ったわ」


 彼女の言葉は簡潔で、感情の裏に何も余計なものを混ぜ込まないようにしていた。しかし、その一方で、エリスは相手の表情に細かく目を向けていた。マリナは少し驚いたように見えたが、笑みを浮かべてそれを包み隠した。


「それに、私は皇太子陛下よりアルマが好きよ」


 エリスは冗談めかして続けた。その言葉に、マリナはくすっと笑いながらも、どこか考え込むような様子を見せた。


「あなたがそんな冗談を言うなんて、意外だわ。あんなにも陛下を愛していたじゃない?」


 マリナの笑顔は、彼女の言葉とは裏腹に少し硬く見えた。エリスはその表情に微妙な違和感を覚えたが、すぐにその感覚を押し殺し、軽く肩をすくめた。


「本当に愛していたかどうか、今では疑わしいわ。私はただ、周りにそう見えていただけなのかもしれない」


 エリスは、その言葉を自分の口から発することで、彼女自身も今まで気づいていなかった感情に触れた気がした。


「それでも、アルマを助けたなんて本当に意外ね」


 マリナは続けた。


「彼女があなたをいじめていたことは、みんな知っていたはずよ。それに婚約破棄がそのまま進めば、陛下があなたを選ぶのは誰が見ても明らかだったのに」


 エリスは紅茶を飲み干しながら冷静に考えた。マリナの言葉はもっともだが、彼女の口調にはどこかしら猜疑心が漂っていた。エリスはその空気を壊さないよう慎重に答えた。


「以前から、教会と国家の関係が悪化するのは良くないと考えていたのよ。それに、私は皇太子に特別な興味を持っていたわけではないの」


 マリナはその言葉に少し驚いた表情を浮かべた。


「あなたが政治的なことに関心を持つなんて……聖女になってから何かが変わったのかしら?」


 その言葉には、軽い冗談のような響きがあったが、エリスはその裏に潜むものを読み取ろうとしていた。


 エリスはマリナの視線を受け流し、軽く微笑んだ。


「変わったかどうかはわからないけれど、アルマが正しいと思ったのよ。それだけのことよ」


 マリナの顔には再び穏やかな笑みが戻ったが、その微笑みの奥に何かが隠されていることは明らかだった。エリスはそれを感じ取りながらも、あえて何も言わずに紅茶のカップを静かにテーブルに置いた。彼女はマリナとの距離を感じつつも、それを壊さずに保つことの重要性について考えていた。

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