第四章・みんなの策動

1.自由の街へ

 二人が新市街を歩いている姿は、普通の親子のように見えた。


 アルマは、商家の娘を装うように、目立たぬ質素な衣装に身を包んでいた。


 濃い茶色のリネン素材のスカートと無地の薄いショールは、彼女の姿を背景に溶け込ませるようである。その地味な装いは彼女自身の存在を周囲の喧騒の中に隠そうとするものだった。衣装はシンプルで、細かな刺繍もなければ、光沢のある布も一切見当たらない。その慎ましさが、彼女の心に宿る強い決意を、外部から巧妙に隠し通している。


 隣に立つセリーナは、その落ち着いた衣装とは裏腹に、母性を漂わせるような柔らかな雰囲気を纏っていた。


 彼女の動作は穏やかで、アルマの横にいると、まるで若い母親が娘を慈しむような空気を自然と醸し出していた。セリーナの籠にはパンやハーブが詰め込まれており、その姿は一見、日常の買い物を楽しむ母娘にも見える。


「セリーナ、そろそろ私のことを『同志』と呼んでくれないかしら?」


 アルマが微笑みながら問いかける。


 セリーナは、一瞬言葉に詰まり、ため息をつきながら対等の友人への言葉遣いで答えた。


「アルマ様……いや……同志アルマ……私にはやっぱりまだ馴染まないのよ。『同志』なんて……なんだか……こう、妙な感じがして」


「でも、エリスだって私を『同志』と呼んでるわ。あなたもそろそろ慣れてくれないと、エリスに負けてしまうわよ?」


 アルマは半ば冗談めかしながら、セリーナをからかうように言った。


 セリーナは肩をすくめた。


「仕方ないわね。じゃあ、アルマ、そう呼ばせてもらうわよ、同志」


 アルマは満足げに笑みを浮かべた。


「それでいいのよ。これで私たちも同じね」


 二人はそのまましばらく歩き続け、目当ての酒場にたどり着いた。その建物は古びた佇まいで、窓からもれ聞こえる音楽と共に、どこか落ち着いた雰囲気を醸し出していた。看板には『ハープのしらべ』と書かれており、店内からはハープの柔らかい音色が流れてきた。


「ここでいいの?」


 アルマが少し不安そうに尋ねる。


「そうよ、ニュンがここを指定していたの。私の行きつけでもあったけどね」


 セリーナは自信を持って答え、扉を押し開けた。


 酒場の扉を開けた瞬間、アルマは自らの役割を切り替えた。彼女の偽名は「カレン・ダウナー」で、共和国で大仕事をしている商家の娘という設定だった。セリーナも、そのまま母親のような雰囲気を崩さず、二人は店内に足を踏み入れた。


 店内には、暖かい光が広がっており、木のテーブルや椅子が整然と並べられている。その片隅にハープの奏者がいた。彼女は年配の女性で、どこかしら静かに威厳を漂わせながらも、顔にはいたって愉快そうな微笑が浮かんでいる。彼女の細い指がハープの弦に触れると、その動きはまるで猫が日向ぼっこをしているときのように優雅で、軽やかだった。店内にはわずかに数人の客がいたが、皆その演奏とそれぞれの酒に集中しており、二人に特に注意を向ける者はいない。


 二人はカウンターへと進み、控えめな様子でマスターに魔法が刻まれた木板の符牒を見せた。マスターは符牒を見ると、片眉を少し上げながら頷き、軽く微笑んだ。


「ああ、あなたたちでしたか。ちょうど良いところにいらっしゃいました」


 彼はカウンターの向こう側を指差した。


「あちらの方があなた方をお待ちです」


 カウンターの向こうには、一人の男が静かに座っていた。髪は少し乱れ、落ち着いた表情で手に持ったグラスを回していた。その男が、こちらをちらりと見て、ゆっくりと頷いた。


「カラム・ストレイトね」


 セリーナが囁いた。カラムは市民軍が改組した自由都市防衛隊の副司令官であり、新市街の支配者の一角を担う人物だ。アルマにとっては、慎重に接しなければならない相手だった。


 二人はカラムのテーブルに近づき、軽く頭を下げた。


「はじめまして、カレン・ダウナーです」


 アルマは偽名を使い、冷静に自己紹介をした。セリーナも微笑を浮かべ、何も言わずに座った。


「カレン・ダウナーか……悪くない名前だな」


 カラムはニヤリと笑い、グラスを一口飲んだ。


「『自由都市』へようこそ」


 彼の「自由都市」という言葉には誇りを感じさせた。新市街の市民たちは自らの街を必ず「自由都市」と呼ぶ。特にカラムのような防衛隊の人間なら、なおさらである。


「ありがとうございます」


 アルマは冷静を装って返答したが、心の中では少し緊張していた。


「あなたは昔から変わらないな。ずっと秘密めいたことばかりしている。まあ、そこがあなたの魅力なんだろうが」


 カラムはセリーナに向かって軽く冗談を言った。


「昔と変わらないって言うけど、私に大した秘密なんてあったことはないわ」


 セリーナは笑いながら肩をすくめて軽く返した。


「それもまた、あなたのいいところさ。ところで、ここから少し離れた場所に安全な場所を用意してあります」


 カラムは少し真剣な表情に戻り、彼女たちに伝えた。


「ありがとうございます。私たちは目立たずに過ごせればそれで十分です」


 アルマ――もといカレンは、素直に感謝の言葉を述べた。


「じゃあ、すぐに案内しますよ」


 カラムは軽く合図を送り、立ち上がった。二人を連れて店を出ると、狭い路地を進みながら、複雑に入り組んだ通りを通り抜ける。街灯は少なく、石畳の道は不規則に続いており、まるで迷路のようだった。


「この街に色々と驚いておられるのでは?」


 カラムが微笑みながら尋ねた。


「ええ、新市街には今まで足を踏み入れたことがありませんでした。まるで別世界のようです」


 アルマが答えた。ゲームに登場しなかったから、彼女は新市街について何も知らなかった。


「そうでしょう。ここは皇帝の権威に服さない自由都市としての地位を保っています。帝国の法律や規則に従うことなく、私たちが独自に街を治めているのです」


 今一つピンときていないアルマを相手に、カラムは説明を続けた。


「あなたの父上はよくいらしていました。とはいえ、今や貴族たちがこの街に来ることはありませんよ。私たちも彼らを迎え入れようなんてこと考えたこともありませんが」


 カラムは、やや意味深に語った。アルマはその言葉に少し不安を感じたが、カラムの目を見て、何か信頼できるものを感じたようだった。


「私たちは、この街で安全に過ごせるのでしょうか?」


 セリーナが確認するように尋ねた。


 カラムはゆっくりと頷き、アルマを安心させるように言った。


「もちろん。ここは皇帝だって立入禁止の自由都市ですから。ここでは我々の法と秩序が保たれています。カレン・ダウナーさん、あなたは我々の大切な客人ですから心配することはありません」


 やがて、カラムは一つの大きな建物の前で立ち止まり、頑丈な木製の扉を軽く叩いた。扉が開くと、内部は警備がしっかりとしており、何人かの兵士が出迎えた。建物全体がしっかりと守られていることがすぐに分かる。


「二階に部屋を用意しています。中に入ってください」


 カラムは二人を中に招き入れ、階段を指差した。


 セリーナとアルマが二階に上がると、そこには質素ながらも暖かみのある部屋が待っていた。古びたが頑丈な木の家具が並べられ、暖炉には穏やかな火が燃えていた。壁には柔らかな絵画が掛けられ、窓からは新市街の静かな通りが見渡せた。


「ここなら、しばらくは安全に過ごせるでしょう。何かあれば、下の兵士にすぐに知らせてください」


 アルマは部屋をじっくりと見回しながら、ようやく長い旅の終わりにたどり着いたような気分で、ふっと微笑みを浮かべた。窓から差し込むやわらかな光が部屋をやさしく包み込み、どこか秘密めいた空気さえ感じられる。


「ここは…落ち着く場所ですね」


 アルマは独り言のように呟き、椅子に深く腰を下ろした。クッションの弾力を確かめながら、彼女の顔には久々に安らぎが浮かんだ。


 セリーナもまた、暖炉の前に立ち、ゆっくりと燃え続ける炎をじっと見つめていた。彼女の肩から重圧が静かにほどけていくのが自分でもわかる。


「ええ、ここなら、しばらくは気を張らずに過ごせそうね」


 その軽い口調には確かな解放感が混じっていた。


 アルマは、もう一度部屋をキョロキョロと見渡してから、嬉しそうに言った。


「それにしても、この部屋ってまるでRPGに出てくる隠れ家みたいね。どこかに宝箱でも隠されているんじゃないかと思ってしまうわ!」


 セリーナは、少し眉をひそめ、頭を軽く傾けて、まるで自分が何か理解し損ねているような気配を漂わせながら尋ねた。


「RPGってなに?」

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