2.揺れる忠誠
セリーナがエリスとアルマの協力者になることを申し出たのは、夕暮れ時だった。外には冷たい風が吹き荒れ、外壁にぶつかる音がかすかに響いていた。近衛兵や騎士たちの足音が遠くから聞こえるような気がして、誰もがその静寂の中で神経を尖らせていた。
「あなたたちと同じ道を選び、その先に待つ運命に立ち向かう覚悟はできています」
彼女の申し出は、まるでこの静寂の中に投げ込まれた一石のように感じられた。それが小さなさざ波を起こすだけに留まるのか、あるいは大きな波紋となって彼女たち全員を飲み込むか、答えはまだ誰にもわからない。しかし、セリーナの声には覚悟と決意が感じられ、その背後にある複雑な感情が垣間見えた。
アルマはその申し出を受け入れる前に、注意深くセリーナの表情を見つめた。その瞳は、内に秘めた不安と迷いを隠そうとするかのように輝いていたが、それでもその奥には決意がはっきりと宿っていた。
アルマは、決意の正体を確かめる必要があった。
「セリーナ」
アルマは低い声で尋ねた。その声には冷静さと厳しさが混ざり合っていた。
「あなたの忠誠は、家に対するもの?それとも、私たちに対するもの?」
帝国と西の辺境にあるヴァレンシュタイン家の関係は、約百年にわたる緊張の中で保たれてきた。帝国の支配からは半ば独立しつつも、完全に離脱することは許されない一族であるヴァレンシュタイン家は、無数の陰謀や裏切りを経験してきた。
アルマがその家に生まれ育った背景には、複雑な政治的な力学があった。エリューシオンで、彼女の存在は単なる現当主の娘という意味を超え、家そのものを象徴していたのだ。
アルマは事実上の人質として帝国に差し出されていた。その立場は、エリューシオンにとって反乱を防ぐための強力な手段であり、アルマがここにいる限り、ヴァレンシュタイン家は反旗を翻すことができない。しかし、この抑止力は一方的なものではなかった。交換条件として皇帝は、第二皇子を養子としてヴァレンシュタイン家に送り込んでいた。アルマと同様に、第二皇子もまた事実上の人質としての役割を担っている。
外交的にみて、彼女は第二皇子と等価と言えるほど、重要であった。
昨日の婚約破棄によって、両者の間に張り詰めた緊張感はさらに増すことが明らかだった。帝国はヴァレンシュタイン家の動向を注視し、一方でヴァレンシュタイン家も帝国の動きを監視している。
このような状況下で、アルマがセリーナに向けた質問には、深い意味があった。
もしセリーナが帝国に対する反逆を企てるのであれば、その運命を預けるのがヴァレンシュタイン家のアルマであることは不思議ではない。しかし、ここで問われているのは、セリーナの忠誠がどこに向けられているかという点だった。
エリスとアルマの目的がヴァレンシュタイン家の利益に反するものであれば、セリーナはどちらの側につくのか?
それがアルマの真意だった。
この問いは、単なる疑念の表明ではない。彼女たちの未来を左右する重要な選択の判断材料であった。
「セリーナ」
アルマは再び問いかけた。
「あなたの忠誠がヴァレンシュタイン家にあるのか、それとも、私たちにあるのか、どちらなのかしら?」
もしセリーナがヴァレンシュタイン家に忠誠を誓っているのなら、計画における彼女の役割は、限定的なものとなるだろう。しかし、もし彼女がアルマとエリスの同盟に忠誠を捧げるならば……
アルマの目は、セリーナの瞳を鋭く見据える。その視線は、まるで彼女の心の奥底を覗き込もうとするかのようだった。冷静に判断しなければならない。今、この場で間違った決断をすれば、全てが崩壊する危険すらある。
セリーナは一瞬の沈黙を守った後、深く息を吸い込んだ。彼女の心の中では、様々な感情が交錯していた。彼女を拾い上げた家に対する忠誠心、遠く離れた家族への思い、そして養護してきたアルマへの責任感が、彼女の胸を締め付けていた。
しかし、その全てを乗り越えた決意が、彼女を突き動かしていた。
「私の忠誠はアルマ様に」
セリーナは、しっかりとした声で答えた。その言葉は、心から絞り出されたものであり、どんな偽りも含まれていなかった。彼女は自らの立場を熟慮した上で、この答えを選んだ。
その時、エリスが静かに口を開いた。その目は遠くを見つめていたが、その表情には何か重いものが感じられ、過去に浸っているようだった。
一時的に結婚していた女性。彼女の名前や顔はもはや曖昧になっていたが、その存在感だけは鮮明に残っていた。エリスは彼女の表情を見つめ、かつて信じた女性と重ね合わせていた。その女性もまた、困難な道を戦い抜いた。エリスはセリーナに、同じ強さを感じ取っていた。
「同志」
エリスはアルマに向かって静かな言葉を向けた。
「セリーナを信じましょう」
その言葉には、エリスの中に封じ込められた感情がにじみ出ていた。エリスは、今も心の中に影を落としていた過去と、セリーナの瞳の中に酷似した存在の陰を確かめた。
「分かった」
アルマは静かに頷いて了承した後、言葉を続けた。
「ただし、忠誠は私に対してではなく、この同盟に」
セリーナが頷くと、エリスは言う。
「同志セリーナ、あなたを私たちの同盟の一員として迎え入れましょう」
その瞬間、セリーナは深く息を吐いた。彼女の肩から少しの緊張が解けたようだった。彼女の忠誠は今や、二人の同盟に捧げられた。
それが本当に正しい選択であったかどうかは、まだわからない。しかし、少なくとも今、この瞬間、彼女は自らの選択に納得していた。
エリスは宣言する。
「いかなる困難が我らの前に立ちはだかろうとも、労働者階級の団結によって打ち砕き、共に前進しましょう!」
彼女には、自らの階級についての認識がおかしいという悪癖があるようだった。
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