第三章・ゲームに登場しなかった人の過去
1.ある天才の転落
エリスとアルマは、次なる一手としての計画を議論していた。
広間は豪華に装飾されていたが、その華麗さは今や計画の深刻さに対抗できるものではなかった。エリスはその重厚な机の前に座り、背筋を伸ばして、決意に満ちた眼差しでアルマと向き合い、アルマもまた、優雅な姿勢を崩さずに、キャラクターのプロフィールの詳細について話していた。彼女の表情には、計画の進展に伴う期待と不安が交錯していた。
その時、静かな足音が広間に響き、セリーナがひっそりと近寄ってきた。
彼女の姿勢にはわずかな躊躇があったが、目にはしっかりとした決意と、内に秘めたる葛藤が映し出されていた。
セリーナは、エリスとアルマによる会話のわずかな断片を耳にしながら、心の中で彼女たちの計画に対する深い関心と、自身の運命に対する小さくない不満が交錯しているのを感じていた。
―――二十数年も前のことである。セリーナ・シモンの魔術省での物語は、華やかなスタートを切っていた。彼女は若く、才能と知識に満ちていた。
魔術省に入省した彼女は、その鋭い頭脳と卓越した魔法技術で瞬く間に注目を集めた。中でも、著名な魔法工学者であり、魔術省の工学研究所で参事を務めていたロクサナ・トドレアヌは、彼女の才能に目を見張った。
「シモン君、君の提案した新しい魔法兵器の設計図を見せてもらったよ。驚くべき発想だ」
セリーナは謙虚に微笑んだ。
「ありがとうございます。まだ小さな改良の余地はありますが」
「いや、十分に素晴らしい。これを『エーテルランス』と名付けよう。実戦配備を急ぐべきだ……市民軍は今こそ、この種の兵器を必要としているのだから……」
魔法擲弾高速度射出機"エーテルランス"――セリーナ・シモンの才能が全て注ぎ込まれたそれは、人間よりも優れた魔法を持つエルフの隣国、すなわちルナリスフェア共和国との戦争において、その名を歴史に刻み込むこととなる兵器であった。
当時、戦況は悪化の一途を辿り、共和国軍は首都エリューシオンから僅か30kmの地点にまで迫っていた。貴族たちの寄せ集めの軍は蹴散らされ、皇帝も含めた上位階級の人々はエリューシオンを放棄して逃亡し、新市街の市民たちが結成した市民軍の義勇兵たちだけが絶望的な防衛戦を繰り広げていた。
その時、市民軍の手に託された急造のエーテルランスが初めて実戦で使用された。この兵器は、共和国軍が誇る野戦陣地に張り巡らされた強力な障壁魔法を打ち破るために設計されていた。魔法擲弾を小型・軽量化することよって可能となった、極高速の弾が敵の魔法障壁を貫通するというコンセプトは、まさに戦場での奇跡を生み出した。エーテルランスが発射されるたび、かつては"エルフの完璧"とまで称されていた防御陣地は、紙のように切り裂かれていったのである。
この兵器の登場によって、戦線は大きく動いた。市民軍は攻勢に転じ、10週間という短期間で防衛ラインは500km以上も押し上げられ、魔法的なエルフの圧倒的優位性が失われていることを示した。この10週間攻勢と呼ばれる大突破は、エーテルランスの性能に加え、それを扱う市民たちの勇気と決意の賜物でもあった。
絶体絶命に追い詰められていた帝国は息を吹き返した。エーテルランスは、単なる兵器以上の存在となり、戦いの象徴として市民に勇気を与え、忌々しいエルフたちの共和国に対する反攻の原動力となったのである。
しかし、彼女の急速な出世は、同僚や上司たちの嫉妬と反感を呼び起こした。特に貴族出身の者たちは、セリーナの成績を素直に認めることができず、彼女の成功を脅威として捉えていたのだ。
ある日、廊下でセリーナは同僚の会話を耳にしてしまう。
「あの平民風情が、どうして次々と功績を上げられるんだ?」
「誰かから盗んでるんじゃないのか?だいたい、魔術省が市民軍のような平民のチンピラ風情に兵器を供給するなんてあり得ないよ」
セリーナは胸を痛めたが、表情を変えずに歩き続けた。
彼女がどれほどの努力をしようとも、新市街の小さな毛織物商の娘という出自が、彼女の前に立ちはだかった。中でも、宰相アレクサンダー・パルミエの娘であるルーシー・ブラックウッドは、セリーナの評価を下げることに躍起になり始めていた。
ある会議の場で、ルーシーはセリーナの提案を公然と批判した。
「シモン氏の提案は確かに斬新ですが、リスクが高すぎます。我々の伝統的な魔法技術こそ、最も安全で効果的なのです」
セリーナは反論しようとしたが、周囲の同意の目つきに押し黙らざるを得なかった。
官僚制度の腐敗と、貴族たちの妬みが重なり、セリーナは少しずつ冷遇されるようになになっていた。彼女の名声が高まると同時に、彼女の周囲には敵意が渦巻くようになり、彼女の成功は逆に災厄を招くこととなる。
その最も顕著な瞬間が、彼女が提案したプロジェクト「トドレアヌの定理を応用した魔力波観測機」が承認される寸前に訪れた。承認決裁が行われる会議でのセリーナは眼差しに熱を帯びていた。
「もしこのプロジェクトが成功すれば、私たちは共和国軍の通信を完全に傍受することができるでしょう。彼らの一挙手一投足を監視し、次の一手を予測し、彼らの作戦を無力化します」
彼女はさらに言葉を続けたが、今度はより静かで重みのある口調で語った。
「それによって、この終わりの見えない戦争を、ついに終結に導けるかもしれません」
それを聞いていたルーシーは、冷たい視線を提案者に投げかけ、その唇は皮肉な笑みを浮かべていたが、目には軽蔑の色があった。
「あまりにも無謀です」
彼女の声には、心中にある暗い不安がにじみ出ていた。
「エルフの通信を傍受できるということは、同じ手段で我々の軍の通信も危険に晒されるということです。そのことに気づいていないのですか?」
ルーシーの言葉は、ぬるく湿った雨の匂いのように、そこにいた者たちの心に重くのしかかった。彼女は一瞬、シモンを見下ろし、続けた。
「市民軍のような素人どもにそんな力を与えたならば、それは我が国を破滅へと導くかもしれないのでは?シモンさん、あなたは帝国を積極的に危険へと誘い込みたいということでしょうか?」
セリーナは内心で強く反論したかった。実際に国防を担っているのは市民軍であり、彼らの努力こそが戦線を支えているのだと。
しかし、その言葉を口に出すことはできなかった。なぜなら、それを口にすることが、魔術省の高官という、そのほとんどが貴族出身であり古い血筋と特権意識に固執する者たちの前では、自らを危険な立場に追い込むことを意味していたからだ。
「本研究には秩序に反逆するような意図を感じます」
結果としてセリーナの提案は「危険すぎる」として破棄が命じられ、彼女自身も陰では「反逆者」と評されるようになっていた。セリーナはその結果に愕然とし、失意のどん底に突き落とされた。
「なぜ...私の言葉が伝わらないの...」
彼女の状況は日に日に悪化し、魔術省内部での信任も完全に失われ、ついには辞職を余儀なくされた。最後の日、彼女が職場を去ろうとするその瞬間、ロクサナ・トドレアヌが声をかけた。
「君の才能は本物だ、セリーナ。ここを去っても、その灯を消さないでくれ」
ロクサナの言葉には真摯な思いが込められていたが、セリーナの心にはその言葉が届かなかった。彼女はわずかに微笑み、しかしその笑みには苦渋が滲んでいた。
「帝国の役に立つことは、もうないでしょう」
セリーナは静かに答えた。
その後、彼女は黙って自らの研究ノートを取り出し、それをロクサナに差し出した。ノートには、彼女が長年にわたって積み重ねてきた研究と、未完成の夢が詰まっていた。
「返却は結構」
彼女は言った。
「いつか、誰かの役に立つかもしれません」
ロクサナは、セリーナから手渡されたノートを受け取り、その重みを感じながらも、呆然と立ち尽くしていた。背丈の小さな中年女性の手の中にあるのは、ただの紙の束ではなく、セリーナが全てを賭けて取り組んできた研究の集大成であった。
セリーナが静かに去っていくその背中を、彼女は何も言えずに見送った。その心には、セリーナが背負ってきた重圧と、失われた未来への深い悲しみが染み込んでいたが、その思いを言葉にすることはできなかった。
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