第二章・裁いてしまった人

1.現実を取り戻す

 アルマの断罪に一区切りがついた時、広間全体に氷のような静けさが広がった。照明が不自然に揺れて光を乱し、絨毯が冷たさを帯びたかのようだった。


 アルマ・ヴァレンシュタインは一人呟く。


「あの神様っては嘘つきだったなぁ、打開する方法なんてどこにもないじゃんね~」


 その言葉は、心の中で閉じ込めていた諦めのようなものが漏れ出した瞬間を切り取っていた。発せられたその一言は、冗談めかしているようで、不貞腐れているようで、しかし深刻な響きを持っていた。


 エリス・ロザリーがその言葉を耳にしたとき、鋭い直感が働いた。彼女はゆっくりとアルマの方に振り向き、その姿を少しばかり観察した。エリスは自らの瞳に、一瞬の閃きが走るのを感じた。アルマの言葉には、単なる貴族令嬢としてのものとは全く違う、深い意味が込められていることを理解したのだ。


 聖女として知られるエリスは、まるで舞台の主役のようにゆっくりと立ち上がり、その場の全ての注目を集めながら、アルマに歩み寄った。


「アルマさん。これまで集めた限りの情報では、あなたが諦めの言葉を口にする人物だとは思えなかったわ」


 エリスは周囲に気づかれないよう、そっと耳元でささやく。その声はどこか魅惑的な響きを帯びており、まるで秘密の暗号を伝えられているかのように感じられた。それは単なる言葉のやり取りではなく、何かもっと深いものを隠し持っているかのような錯覚さえ覚えさせる。


「あなたが言う『打開する方法がない』というのは、ただの嘆きではないわね」


 エリスは耳元でさらに声を低くして囁く。その声は、まるで秘密を共有する者同士の絆を強めるかのように、親密な響きを帯びていた。


「私が考えが間違いでなければ……あなた、私と同じ経歴を持っているでしょう?」


 その瞬間、アルマはエリスの言葉の意味を深く理解した。目の前にいるエリスは、ゲームの中でプレイヤーとして操っていたキャラクターでは最早ない。自分と同じ転生者であると。


 背筋が凍るような感覚が走った。


 転生してからの全て。ゲームのイベントのように理想化されたシーンの連続というガラス細工が、エリスの鉄槌によって叩き壊された瞬間だった。ガラスケースの中に封印され、疎外されてきた「現実」を、アルマはようやく取り戻したのである。


「おそらく、私はあなたを救うためにここに来たのでしょうよ。ただし、あなたが同志であるならば、だけど?」


 エリスは耳元で囁くのを止めた。それでも周囲の耳にはほとんど届かない程度の音量だ。あるいは、その微細な声の響きは、聖女の魔法によってもたらされたものなのかもしれない。空間の静けさの中で、まるでひそかな呪文のように、周囲の耳から遠ざけられているかのように感じられる。


「アルマ、これは歴史の必然で、あなたがここにいるのは偶然なんかじゃないのよ」


 アルマはエリスが何を言っているのかを理解できないまま、痺れた脳の神経がパニックに近い状態を持続させていた。


「私は聖女じゃない。正確に言えば、聖女なんてものは支配階級の道具に過ぎない。でも、私はこの世界を変革するために存在しているの。そして、あなたにもその力があるのよ」


 エリスの囁きは、まるで悪魔のそれだった。しかし、その中には鋭い真実が含まれており、渦巻いていた興奮にさらなる刺激を与え、抑えきれない熱情が一気に燃え広がっていくのを感じた。


「打開する方法はわかったでしょう?私と共に理想を築いていただけないものかしら?」


 アルマは、自分の心の奥底にくすぶっていた反抗の火種が燃え上がるのを感じた。この世界で「悪役令嬢」として滅びる運命が待っていようとも、彼女はそれを受け入れるつもりはない。運命の糸をただ辿るだけの存在にはならないという、強い意志が息を吹き返した。


「どうするの、アルマ?」


 再び耳元に顔を寄せて、しかし強く言った。


「私と共に戦うか、それともこの場で滅びるかを選びなさい」


 アルマは一瞬だけ躊躇したが、何のために躊躇することがあるのかと考えると、すぐに決意を固めた。彼女の瞳には新たな光が宿る。


「私は自らの運命を切り開くために闘う」


 エリスは満足げに頷いてから、取って返してセドリックに向かって歩み寄り、まるで獲物を狙う鷲のように見据える。その目は彼の魂を貫くような鋭利で、セドリックの本質を一瞬で見抜いたかのようであり、その口元に浮かぶ冷笑は、エリスが聖女という名にふさわしくない存在であることを示している。


 それは悪役令嬢そのものであったかもしれない。


 表情には、先ほどとは異なる冷酷さが宿っていた。エリスは広間の全ての者に向かって、高らかに宣言した。


「セドリック、あなたが今やっていることは全くの無意味よ。これはただの詭弁の舞台に過ぎないわ。全てが、巧妙に演出された劇に過ぎないでしょう?」


 「声優」らしさのない声は女性としては少し低く、しかし確かな響きを持っている。広間全体に響き渡ったとき、その音色は冬の風のように冷たい。


 セドリックは驚きのあまり息を呑んだが、次の瞬間、エリスはこの皇太子を睨みつけてから、ゆっくりと近づいて言った。


「たとえ皇太子であろうと、あなたの告発は無効です。空々しい演技に付き合わせないでくれるかしら?」


 その言葉と共に、エリスは静かに広間を後にした。その後ろ姿は、まるで新たな時代の到来を告げるかのように力強かった。


 アルマはこの場から逃げることすら躊躇って混乱しているセドリックに、ゆっくりと近づいて、その動きに鋭い眼差しを向けた。内に秘めた挑戦的な意思が顔に現れていた。


「セドリック様、お待ちください」


 アルマの声は柔らかさを保っていたが、エリスによって取り戻された彼女の尊厳を隠そうとはしなかった。


「私から少しお話ししたいことがあるのです」


 セドリックはその声に反応し、恐る恐る振り返った。彼の目には動揺が浮かび、広間の中の緊張感が再び高まっていた。


「婚約破棄でしたか?それは逆に私から願い下げですわ」


 アルマはセドリックの目をじっと見据えながら、一歩一歩とその距離を詰めていった。その歩みは、どこか計算された冷静さを感じさせた。彼女が近づくたびに、セドリックの表情はさらに青ざめていく。


「皇太子殿下がそのような提案を持ち出すとは驚くばかりですね。私がこれまで築き上げてきたものが、軽薄な一言で覆されるとは考えもしませんでした。とはいえ、あなたがそのような提案をすること自体が、どれほど私にとって価値のないものであったかを証明しましたから」


 アルマもまた、新たな運命に向かって歩き出した。広間の前で待ち構えていたセリーナは、パーティから退席するアルマを満足げな表情で出迎えた。


「私の言った通り、上手くいったでしょう?御父上にはこのことを私の方からお知らせ致しますよ」


 彼女もまた、どこかで聞き耳を立てていたのだろう。


 断罪イベントの結果はこうだ。


 『二人の女性が、共に帝国の体制を覆し、新たな未来を切り開いていく決意を共有し、団結のサークルが結ばれる第一歩だった』

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