【32】ウィル

 前提として、まずウィルは善人という訳ではない。

 それは街一つ相手に披露したペテン師っぷりが証左だろう。

 そもそも神父を始めとした聖職者は、アラトスでは格別な権威だ。パブリックの様な教会の無い地方の町でなければああも堂々と騙れない。

 だからこそ口止め料をせしめるなんて真似が出来た訳であるが、それこそが正義心に基づいた結果ではないことの証明であった。


 ウィルは善人ではない。

 したがって成り行きで救う形となったオウガの同行を許しはしたものの、面倒を見るつもりはさらさらになかった。

 「勝手にやれ」という言葉通りに、あくまで好きにさせるだけである。

 だが、ウィルは見縊みくびっていたのだろう。路地裏暮らしの悪鬼が過ごした劣悪は、ウィルが思う以上に尾を引いていたのである。

 オウガには欠けているものが多すぎたのだ。

 それはなにも一般教養や道徳に限った話ではない。共に旅する事になってすぐに、問題は表面化した。


「今日は野宿だが⋯⋯お前さん、飯はどうする。自分で用意した? ほほう、良い心がけじゃないか」

「ん、うわ、なんだその蜘蛛。は? 昼間の内に獲った? いやそうじゃなくて、待て、ナイフで突き刺したそれ、どうするつもりだ」

「⋯⋯は? 晩飯? 焼いて食う?! いやいやそんなもん食ったら腹壊すぞ?! 慣れてるから大丈夫だぁ?! いやいやいや待て待て待て! 待てったら!」

「⋯⋯お前さんの飯は、今後なるべく俺が用意するから。いや施しとかじゃなくて。俺の精神衛生上の問題だから」

「施しが嫌ならまともな料理も覚えろな。あ? 顔色が悪い? お前さんのおかげだよチクショーめ!」


 毎日が窮地だった少年の食生活に矯正のメスを入れたのは、旅立ちから一日後の晩であった。

 だが悲しいかな、長年の路地裏暮らしの弊害は、なにも料理だけに収まらない。

 服を洗濯しようと思えば力任せで、読み書きも出来ない。知識のかたよりも相俟って、一般的な常識が虫食いの如く欠けていた。

 とんだ旅の道連れである。はっきり言って余計な問題ばかりが増えた。


 ウィルは善人ではない。だが頑固であった。

 好きにしろと告げた言葉を反故にして、再び元の一人旅に戻る事は、良心ではなくプライドが許さなかったのである。

 面倒を見るつもりはなかったのに、結果的にウィルはオウガにとっての教師役をやっていた。

 背に腹代えられないウィルによる度重なる実習訓練の賜物たまものだろう。一年も経った頃には、安心して料理番を託せるレベルに至っていた。


 しかしである。

 そもそもオウガの目的は強くなる事であり、一般教養や生活改善ではない。

 奪われるだけの弱者からの脱却。その為に彼は強くなることを渇望したのだ。


「だーかーらお断りだっつってんだろ。そんなに強くなりたいなら、筋トレでも勝手にしてれば良いだろ」

「⋯⋯⋯⋯」


 かといって「強くする」事はすげなく断られており、あくまで許されているのは「勝手についてくる」ことのみ。

 やむを得ない生活面ならいざ知れず、強くなる云々はオウガのエゴだ。自主的に教えてくれるはずも無い。

 オウガもそれは承知していた。


『勝手にやれってことだ。強くなるのも、なろうとするのも』

 だからといって簡単に諦める悪鬼ではない。

 旅立ち当初に告げられた言葉をなぞるなら。

 オウガは"勝手にやる"ことにしたのだ。



「ぐ、う⋯⋯」

「飯時にいきなり背後からの奇襲たぁ、今日は偉くシビアに攻めて来たもんだなぁ。いや焦った焦った」

「げほっ⋯⋯何が焦っただ、涼しい顔で対処しやがった癖にっ」

「嘘は言ってないぞ。なんせ危うく手加減し損ねるとこだったし。子供相手に半殺しなんて、あまりに人聞きが悪くてお天道様の下を歩けないだろ?」

「もとからだろ、ペテン神父の癖に⋯⋯ぐえっ」

「おおっと脚がすべった」


 教えてもらえないのなら、擬似的にでも教えてる状況を作れば良い。

 つまりは連日連夜、オウガはウィルに挑みかかったのだ。

 ウィルは善人ではない。聖人でもない。当然反撃される。だが子供相手と手加減されても、その一打一蹴は並外れた強さであった。

 これを耐えられるようになれば良い。

 これを避けられるようになれば良い。

 これに抗えるようになれれば、結果的には強くなってるはずだから。

 そんな合理性とはかけ離れた決断を、しかしオウガは強行した。

 来る日も来る日もオウガはウィルに挑み、そして幾度となく打ちのめされた。無論、ただ負けている訳ではない。

 傷を一つ増やす度に、なにか一つの学びを得る。オウガには強さを磨くだけの精神とセンスが備わっていた。


「つくづく普通に生きられないガキだね、お前さんは」

「普通に生まれなかったんだから、当然だろ」

「そうかい」


 飽きる事なく繰り返したそれをオウガは『修行』と呼び、ウィルは『子守』と呼んだ。それだけで双方に広がる差が明確だったと言えよう。

 ウィルは紛れもなく強い。単純な子供と大人の差以上に阻む途方もない壁があった。


「なんだなんだ、スランプか? 今日はやけに手応えなかったな」

「っ、うるさい。黙れよ」

「おぉ恐い。うーん。最近はそれなりに闘えるようになってきたと思ったんだが、買い被りだったかねえ」

「⋯⋯ウィルには、ギフトがあるからだろ」

「ククク、坊やだな。強さにこだわる男が、他人の特別を妬んでどうする。今ある手札でどこまでやれるか。結局はそこだろ?」

「⋯⋯ペテン神父のくせに」

「やれやれ、困ったもんだ」


 そんな反抗期を挟みつつも、継続は力である。

 旅立ちから三年が経った頃。オウガは気付けば、二人を隔てる壁の高さを推し測れるくらいには強くなっていた。

 かつて為す術もなく痛めつけられたパブリックのゴロツキ程度ならば、容易に叩き伏せられるほどに。

 背が伸びた。手足も伸びた。料理の腕は師匠を越え、今なら難しい中身の本さえ読める。陰のすくった顔立ちはシャープさを備え始め、口の悪さは拍車がかかる。

 異様な目付きと傷だらけの少年は今や、ただ奪われるだけの弱者ではない。

 矢のように過ぎ去った三年間は、ちっぽけな路地裏の悪鬼を育て上げていた。


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