【31】黄昏に伸びる影二つ


 茜色に焼ける街道で、人影が二つ伸びていた。


「そんでお前さんはいつまで付いてくるつもりだ?」


 大きな影からのうんざりとした問い掛けに、小さな影は沈黙を貫く。ただじぃっと見上げるだけ。神父はどうにも困ったと、盛大に溜め息をついた。

 昨日から。いや、正確にはこの小さな影を裁く場を調停して以降ずっと、神父はオウガに付き纏われていた。

 常に付かず離れず。

 当初は相手にしなかった神父だが、こうして町外れの街道にまで付いて来られれば、流石に無視し続けるのも限界だった。


「なぁ。頼むから帰ってくれって」

「⋯⋯帰るってどこに」

「はぁ? どこって、家に決まってんだろ」

「俺に家なんか無い」

「あー⋯⋯」


 説得の初歩を間違えたかと、気まずげに神父は頭を掻く。とはいえ未だ痛ましい傷を残した子供を力づくで追い払いたくはない。

 ならばと神父は説得も兼ねて、一先ず彼の目的を探る事にした。


「じゃあ、なんで俺についてくる」

「教えて欲しいから」

「あん? 何をだよ?」

「どうすればあんたみたいに強くなれる」

「強くなれる、ときたかぁ」


 直球かつ無垢な目的に、神父は困ったように言葉をなぞった。

 見上げる眼差しに尊敬の色はない。畏怖とも違う。

 ただ飢えた狼の様に鋭く光る赤の瞳だ。 


「お前さん、強くなってどうしたい?」

「どうしたいとかじゃない。だって、必要だろ」

「必要とは?」

「この世の中は弱肉強食だ。強さが全てで、弱いやつはただ奪われる。弱いやつに出来ることなんて、自分よりも弱いやつから奪うか、諦めるしかない。でも、俺はもう、どっちもごめんだ。だったら、強くなるしかない。強くなったらもう、誰も俺から奪ったりしない」

「弱肉強食ねえ⋯⋯本当に悪鬼にでもなるつもりか?」

「──必要なら。周りが望んだ通りに、"かくあってやるさ"」

「⋯⋯めんどくせえ」


 パブリックの路地裏に住み着く悪鬼。町長による処刑の贄に選ばれた少年の事情を、神父も把握していた。

 奪われてばかりの人生。その中身を知らずとも、薄汚れた身なりと礼節の欠片も無い態度を鑑みれば、どういう道を歩んで来たかは想像に難くない。


「あの町長への復讐か?」


 だから、強くなるという手段の奥の目的についても、神父には想像出来ていたのだが。


「あのクソヤローはむかつく。でも、今は強くなるほうが大事だ。あんなやつ、もうどうでもいい」

「?」


 しかし少年は神父の問いをあっさりと否定する。

 復讐を咎められるから、という抵抗ではない。見上げる赤目には、散々痛めつけてくれた者への憎しみは灯っていなかった。


「本当か?」

「本当だよ。だってあいつ、もう終わりだろ」

「なに?」

「てめーはあいつを裁かなかったけど、本来だったら相当重い罪をおかしたんだろ? あいつは権力はあるけど、町のみんなから信頼はされてない。それどころか、あいつに嫌な思いをして欲しいやつだっている。きっと、これからどんどん味方が減る一方だろ」

「⋯⋯ほう」

「致命的な弱みを街中に晒した奴に町長なんて務まらない。だからほっといてもあいつは"落ちる"と思う。ならそんな奴を憎むより、強くなるほうが大事だ」

「⋯⋯⋯⋯なかなかどうして。末恐ろしい餓鬼だこと」

「餓鬼じゃない、悪鬼オーガだ」


 朗々と紡がれた確固たる根拠に、神父は思わず舌を巻いた。あまりの執着の無さに、よもや心が壊れているのかと思えば、彼は年に似合わず聡明だった。

 確かに神父は処刑を阻止したが、町長に対して明確な処罰を下してはいない。ただ汝の行いは罪であると"名言した"。それだけだ。

 それだけではあるが、聖都より離れの町とはいえ聖職者から罪ありきと告げられたのだ。その重さを、幼いながらにオーガは推し量ったのだろう。

 知識は持たずとも、知性は水準以上にあるらしい。

 多少の理想を織り交ぜている辺り子供染みているが、オウガの告げた町長の末路は、神父の思う所とそう変わらなかった。


「強くしろ、ねえ⋯⋯」

『必要なら。周りが望んだ通りに、"かくあってやるさ"』

(⋯⋯⋯⋯)


 だからだろう。

 少年の願いに応える義理も義務も、神父には無い。

 されど見下ろす翡翠色の瞳には、オウガへの漫然とした興味が光った。


「残念だが、お断りだ」

「⋯⋯」


 ひとまずの拒否に、少年は大して動揺を見せない。 

 認めるまで死んでも食らいついてやると、強い意思が滾っている。

 絞首台で項垂れていた時の、死んだ目とは違う。どこまでも飢えた瞳。その光に一抹の危うさを覚えながらも、神父は無精髭を一撫でして、笑った。


「だが、ついてくることまでは咎めないでおいてやる」

「⋯⋯どういうことだ?」

「勝手にやれってことだ。強くなるのも、なろうとするのも」

「⋯⋯意味が分からねー」

「分かんねえで良いのさ」


 目的の読めない線引きだけして、神父は背を向け、再び歩き出す。

 好きにしろ、という事なんだろう。

 なんだか腑に落ちないながらも、小さな歩幅を懸命に動かしてオウガは後をついていく。


「あ。神父。てめーの名前は?」

「⋯⋯はぁ。仮にも世話になる相手をてめー呼ばわりか? 頭は回れど根本的に駄目なガキんちょめ」

「うっ⋯⋯⋯⋯じゃあ、"オマエ"は?」

「おう論外だわクソガキ」

「だ、だったら名前早く教えろよ! そう呼ぶから!」


 一方、神父は神父で早くも目に見えた問題に頭を抱えたくなった。路地裏暮らしの悪鬼に、礼儀なんて無縁だったのだろう。

 とはいえ子供相手にオマエ呼ばわりなど御免である。ささやかな期待を込めて見上げる悪鬼に、呆れながらも神父は答えた。


「ったく。いいか坊主。俺の名前は『ウィル』だ」

「⋯⋯ウィル」

「ん。そうだ。次にてめーやオマエ呼ばわりしたら、パブリックの町まで全身全霊で殴り飛ばしてやるからな。肝に命じとけ」

「⋯⋯分かったよ、ウィル」


 誰かの名前を呼ぶのも初めてだったのだろう。

 覚えたての言葉みたいに名前を転がすものだから、ウィルからすれば妙にむずかゆいものだ。

 きまりが悪そうに顎を擦るが、やがて何かを思いついたように神父はピタリと立ち止まった。


「あ、そうそう」

「?」


 彼からすれば、面映さを誤魔化すための手段に過ぎなかったのだろう。


「言い忘れてたが⋯⋯俺は別に『特級神父』じゃねーぞ?」

「⋯⋯は?」


 しかし落っことされた真実の衝撃は、手段の割には尋常ではない。

 目付きの悪さすらも削ぎ落とした無垢なる少年は、呆然とウィルを見上げるしかなかった。


「人間の先入観ってのは怖いよな。格好だけ神父だとしても、状況が噛み合えば嫌が応でもそうとしか認識できない。"そうあれかし"とは限らないっつのになぁ」

「⋯⋯え。おい。それって」

「小ずるく生きてる大人ほど、ひっかかり易い。力の差を嗅ぎ分けるのも大事だが、疑う事をしないってのも怠慢って訳さ」


 思い返して、オウガは気付いた。

 あぁ、そういえばウィルは確かに、パブリックで一度たりとも名乗っていなかった。

 誰もが彼を神父様と呼んだ。肩書きだけに注視していた。そうせざるを得ない状況だったから。


「そんで、怠慢もまた一つの罪。罪には罰を、ってな」

「⋯⋯その袋は?」

「授業料って奴さ。今回の一件を"お勉強って事にしてくれるなら"と、町長さんは喜んで払ってくれたぜ」

「⋯⋯⋯⋯」


 パブリックを出る際に、口止め料としてせしめたのだろう。貨幣のたんまり詰まった麻袋をこれみよがしにもてあそびながら、ウィルは笑う。

 つまりは、たった一人の余所者相手に、町一つが揃ってたばかられたという訳だ。

 蓋を開けてみれば、ろくでもないあらまし。その企みの一端に、自分の命も利用されたと来てる。

 もはや茶番とすら言えた。


「とんだペテン師だ」

「騙される方が悪いのさ」


 けれど鮮やかで、痛快なことこの上なかった。

 なにより、聖女に侍らう神父の正義感に救われた訳ではなかった事が、オウガの心を軽くした。

 正義感ではない。同情でもない。単なる画策の果てに、オウガの今があるのだと。

 精々奪われてばかりの弱者が救われるには、そのくらいの理由の方が心地良かった。


 弱肉強食、かくあれかし。

 自分を含めた弱きもの共が、真に強き者にまんまとたぶらかされただけなのだ。

 故にオウガは悪態をつきながらも確信していた。

 このしたたかな男に付いていくと決めたのは、間違いではなかったのだと。





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