【22】ナイト級

 湖上は既に、凍土のテリトリーではなかった。

 新たなる侵略者⋯⋯否。もともと湖の深き底にて潜まされていた巨大水樹が、本来の領域を主張せんとばかりにそびえ立ったのである。


『ク──ォ──ル──』

「くっ⋯⋯!」


 現在の湖の主は誰であるかを示すように、ツリールーパーの蠢く触手がアイリーンへと迫る。青白く明滅する透明な触手の動きは、さながら意志を持った蛇のよう。

 その一本一本の大きさもまた、本体に見合って巨大である。足場を凍らせながら触手を掻い潜る度に、湖面が派手な水飛沫を上げているのだ。

 直撃を貰えばひとたまりもないだろう。


『ルル──ルォン──ルォ』

「ぐねぐねと、気持ちの悪い! 面倒な動きですねっ!」


 威力、速度、共に脅威的なのは勿論のこと。しかし、触手達の無軌道な動きはまるで予測がつかない。

 水面を凍結させ、常に足場を作り続けているアイリーンにとって、非常に厄介極まりなかった。


(軌道の読みづらさに、触手の数の多さ。回避に徹し続けるにも限界がある。少しでも攻めなければ!)


 スケールの大きさそのものが違う相手に、後手に回り続けたくはない。瞳に反攻の火を灯し、アイリーンはコンディションの最悪なリンクを滑りながら、空中を撫でる。

 すると指先が触れた先から氷の華が咲き、みるみるうちに掌大の氷柱まで育った。


「『フリーズバレット』!」


 触れたものを凍らせるギフトならば、空中の水分を氷弾に仕立てる事など造作もない。

 アイリーンの指揮に従って、宙に留まっていた氷柱五つが、巨大水樹の幹を食い破らんと直進した。


『────』

「くっ。やはり効果は無しですか」


 結果だけいえば、ダメージを与えられなかった。

 氷柱は幹へと届きが、そのまま青白い胴体の貫きはした。しかしそれは食い破ったというよりは、ただ通過しただけに過ぎない。


(全身が言わば水の塊⋯⋯これだけのスケールをしていて、なんて出鱈目でたらめな生命体。戦術級ナイト級というのは、伊達ではありませんか)


 全長十メートルにも及ぶ程の巨身が、全て水で出来た化物。

 そんなもの相手に幾ら弾丸を飛ばそうとも、さながら大海に岩を落とすようなものである。焼け石に水どころではない。


(相手は水そのもの。本来なら、私が勝てない道理は無いのですが⋯⋯)


 だが例え一個戦術並の強さを誇る魔物であっても、体組織成分が水であるのは、アイリーンにとって好都合だった。

 湖面を銀世界に仕立てたように、相手そのもの凍らせてしまえば良い。

 液体から個体へと性質を変えた上で攻撃すれば、ナイト級であれどダメージを負わせる事が出来るはずだろう。


(伏兵処理の消耗が大きい。私としたことが、まんまと一杯食わされましたか⋯⋯!)


 しかし、勝機を見定めたはずのアイリーンの表情は苦々しく歪んでいた。

 なにせ前哨戦での広範囲凍結キスアンドクライの消耗が大き過ぎたのだ。もう一度同じ規模を凍結させるのは、決して容易い事ではない。

 とはいえそこにしか勝ち筋が見い出せないのなら、実行するしかない。それはアイリーンとて承知の上だったのだが。


『ル──ォ──ォ──ォォ──』

「これは⋯⋯!」


 相手は、ルークサハギンビショップキマイラの上を行くナイト級。易々と実行などさせてくれるはずもない。

 ダメ押しとばかりにけたたましい奇声を挙げるツリールーパー。大きな眼球の元に青白い光が集まり、遮る間もなく膨れ上がっていく。


『クォォォ──ォォル──!!!』

「⋯⋯っっっ!」


 膨大な光を矛にしたのは、見るも醜き鯨の歌。

 青き閃光はレーザーとなり──湖面を、紙切れのように裂いた。


「はあっ、はあっ⋯⋯なんて威力。あんなの、フリーズウォールじゃ防ぎようがありませんね⋯⋯」


 初見で避けられたのは、半ば奇跡だったのかも知れない。あるいはステラの出鱈目なビームを肌で感じた体験があったからだろう。

 防ぐこと自体が不可能だと見切り、ツリールーパーの正面から全身全霊をかけて離脱したからこそ、アイリーンは傷を負わずに済んだのだが。


(ビームに、触手に、水の身体。本当に、厄介極まりない魔物ですね⋯⋯!)


 不用意に離れれば、超火力のビーム。

 不用意に近付けば、無数の触手の殴打。

 生半可な攻撃も、水の身体相手では全てが水疱に帰してしまう。

 自身の消耗具合も加味すれば、まさに窮地としか言いようが無い。


(このままでは⋯⋯)


 湖上戦の旗色は、星を飲み込む暗雲ほどに曇っていた。



◆ ◆ ◆



 天にも届かんと聳え立つツリールーパーの更に頭上。

 ボルコス湖の上空では相対する二つの影が、空の覇者の座を掴まんと熾烈な攻防を繰り広げていた。


『ウォォォオンッッ!!』

「っととォ⋯⋯しっつこいグリフォンちゃんねェホント!」


 激しい猛追を仕掛ける巨躯を躱しながらも、苦々しい顔をするのはシェモンである。

 彼が相対するはストームグリフォン。嵐の名を冠する鷲獅子にして、ナイト級の魔物であった。


「ナイト級。国衛兵士百人が束に掛かれど敵わない、だなんて乱暴な評定よねん。評論家ってのは面倒臭がりだから、時に言葉足らずで誤解を招きがちだもの」

『グウォン⋯⋯!』


 騎士。あるいは一個戦術に匹敵する力を持つ怪物を正眼に捉えながら、シェモンは場違いないちゃもんをつけた。

 しかし当然、獰猛な鷲獅子に人の言葉など分からない。分かる必要も無かった。

 猛禽の眼が睨めつけるのは、ただの敵である。

 敵ならば粉砕するのみ。グリフォンは雄々しく翼を広げながら、半竜へと突撃した。


「──『ドラゴンブレス』!」


 流星が如き白い巨躯を、迎え撃つのは竜の息吹。

 青空さえも赤く焼く業火が、グリフォンの身体を包み込んだ。いかに巨躯であろうと、鋼すら溶かす竜の火炎を浴びればひとたまりもない。


『──!』

「⋯⋯わお」


 だが。鷲獅子は、業火の中であろうと無傷であった。

 紅蓮の中を一矢となって翔け抜け、健在な剛翼を炎の向こう側へと振るった。


「"暴風そのものを鎧のように身に纏う"。そんな芸当が出来ちゃう魔物には、竜の火炎ですら毛を焦がすのが関の山。百の弓だろうが百の槍だろうが、届くはずがないのよねん」

『グルル』

「有効打を持たないのなら、幾千の兵であっても斃せない。そう評価を改めて欲しいもんだわねん」


 しかし、既にシェモンは火炎の向こう側から更に上空へと離脱していた。小手調べでは、ナイト級には容易く通用しないと予期していたのだろう。 

 ツリールーパーの手数と違い、鷲獅子の行動は非常にシンプルである。

 荒れ狂う暴風を身に纏う。たったそれだけ。

 ただそれだけが如何に厄介であるかは、シェモンのやっかみからも勘繰れた。


「不細工になるからあんまりやりたかないんだけど、四の五の言ってられないわねん」


 されど万策が尽きた訳ではない。

 更なる異能を行使せんと、シェモンは両翼、両腕、両足を胎児の如く身を畳む。

その様はまるで、一個の卵へ還るようだった。


「『形態成長──ミドラ』!」


 宣言すると同時に、顔に彫られたタトゥーの黒が闇夜のように広がった。身体の色を塗り潰し、やがて黒き鱗へと変質した。

 変化はそれだけに収まらず、両翼はぶ厚く尖り、両手の爪はより硬質さと鋭利を増した。

 更にその頭蓋からはニ本の角が生えて、後方へ向けて伸びていた。

 

ベビー赤子から、ミドラ青少へのステップアップ。さながら、大人の階段昇りかけってとこかしらねん」

『グルル──!』


 爪翼、尻尾、二本角。

 そこに居るのは、もはや半竜半人などではない。

 全身を変化、もとい成長させたシェモンの姿は、まさしく一個の竜と化していた。 


「グリフォンちゃん。炎が駄目なら、"雷"はどうかしらん?」


 変わったのは姿形だけに留まらない。

 新たに備わった二本角から、バチバチと眩い紫電が明滅する。


「『インペリアル・ラース』!!」

『────!』


 古きより暗雲で轟く雷を、人は竜の怒りと呼んだ。

 爪牙を振るい、灼熱を吐き、空で嘲り、遥か彼方より雷で地を穿つ。

 だからこそ、空を割る雷は竜の怒りであると恐れられていたのだ。

 

『フォォォォオン!』

「⋯⋯!」


 荒れ狂う嵐の中でさえ、稲妻は真っ直ぐ墜ちる。ならばストームグリフォンの暴風鎧とて、竜の怒りを防げはしないだろう。

 しかし──嵐の名を冠する鷲獅子が、空の理を知らぬはずもない。


「えぇ、うっそォ! ぜーんぶ避けちゃったっていうのォ!?」


 旋回、廻転、急上昇、急下降。

 己へと迫る号雷を黒き眼で捉えながらの、燕の如き飛翔の数々。

 まるで号雷の軌道のすべてを見通したかのように、グリフォンはシェモンの雷撃の全てを捌き切ってみせたのだった。


「⋯⋯そう。暴風を纏うぐらいだもの。風の流れを読んで細い稲妻をかわすくらい、お手の物ってワケ? あァもう、ホンっと手こずらせてくれるわねェ⋯⋯!」

『グフォォォォオン!』


 空らはお前達ドラゴンのだけのものではないのだと。

 僅かに焦燥をにじませる覇者を前にしながら、鷲獅子は勇ましき咆吼を轟かせたのだった。



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