【20】Kiss and Cry
「あれは、サハギン!? ルーク級の水棲魔物が、どうして湖からあんなにも!?」
「コボルトちゃん達は前戯ってこと? やあねえ。伏兵だなんて、魔物の癖にねちっこいじゃないの」
「状況を見るに、事前に湖に潜ませてやがったか。だがこれで一つはっきりしやがった。このクソ魔物共には、まず間違いなく指揮官が居やがる」
「指揮官⋯⋯」
オウガの言葉をなぞったアイリーンだが、彼の推測に異論はなかった。
サハギンとは青黒い鱗に身を包み、大きな河川や海に生息する魔物である。予め湖に潜み続ける事は、彼らにとって容易い。
となれば、姿を見せない指揮官の存在を疑うのは当然だった。
「指揮官については気になるけど、とりあえずは現状打破よん。水門を襲ってるサハギンはアタシが蹴散らすわ。二人はコボルトと、まだ湖に潜んでるサハギンをなんとかしてちょうだい!」
「っ、了解です!」
しかし、水門はいわば最終防衛拠点だ。窮地であるならすぐにでも援軍に駆け付けなくてはならない。
手短な返答に頷き返すなり、シェモンは颯爽と水門へ向かう。
「つっても、水中で活動するタイプは面倒くせえなクソが」
「伸縮自在の鎖でも、水中では動きが鈍くなりますか」
「チッ、まあな。だが泳ぎには自信あんぜ。水底に引き込もるクソ魚人共を絞めるくらい、やれねえ事は無えが?」
「それでも十全には務まらないでしょう。サハギン以外に潜んでいない保証もありません。ですから──」
つらつらと手短な議論を連ねて、一度アイリーンは区切る。求めたのはひと呼吸。唇から吐息が漏れて、長い睫毛がまばたいた。
「ここは、私が行きます」
任せて欲しい、と。
逸らす事なく向けられた翡翠色の瞳に、今までに無かった色が僅かに混ざっている。
信頼でもない。信用でもない。でも銀藍凍土は託せと告げた。
「例え水中であっても、私の『フリーズ』ならばテリトリーに出来ますから」
「信用しろってか?」
「⋯⋯いいえ。疑うまでもないことに、信じるもなにもないでしょう?」
「ククク、違えねえ」
些細な心境の変化でもあったのか。それとも、オウガ・ユナイテッドを少しでも認めている証明か。
どちらでも良い。だが、アイリーンの叩いた大口を、オウガは大層気に入ったらしい。
「吠えるじゃねえか。なら⋯⋯"調子付いてる魔物共に、オマエの実力を刻みつけてやれ! 出来ねえとは言わせねえぞ、銀藍凍土ォ!"」
「⋯⋯、──!!」
ニイッと口角を上げながら、見栄も外聞もなく高らかにオウガが叫ぶ。
魂の底から編んだような彼の気勢が、光となって銀藍凍土を赤く染めた。
(⋯⋯すごいっ! 内側から力がどんどん湧いてくる! これが、オウガさんのギフト⋯⋯)
ギフト『おうえん』による総合強化。ただ力が漲るだけじゃない。力強く背を押されたような、不思議な高揚感がそこにはあった。
不思議だけれど、知らない訳じゃない。アイリーンにとっては懐かしい感覚だった。
『ヒュドラ』のギルドソルジャーとして駆け出したばかりの頃。頼りになるね、と褒められた時に抱いたものと一緒で。
「吐いた唾はもう飲めねえぞ、アホリーン」
「⋯⋯」
白い懐古に染められた少女の肩を叩いたのは、お決まりの皮肉。言うだけ言って、オウガは勇猛果敢にコボルトの群れへと殴り込んでいく。
勇ましく高く厚い背は、まるで振り返る気配もない。
「⋯⋯ですから。愛称は、嫌なんですってば」
前線の暴風雨は、任せたんだからとっととやれ、と言わんばかりに大立ち回って餓狼を薙ぎ払っている。
取って付けた抗議も、当然届かない。
「少し
届かないのならもう仕方ないから。
少しばかりのむず痒さを覚えながらも、果たすべきことを確かめるようにアイリーンは槍を手に取って。
高く、跳んだ。
「水中が貴方達の領域であるなら──水上は、私が支配する」
跳び立って、白鳥のように"水面"に降り立つ。
軽装とはいえ人間一人。しかし湖面は波の一つも作らない。踵から次々に広がる凍結の指紋が、既に足場となっているからだ。
銀藍凍土のギフトは『フリーズ』。
あらゆるものを凍てつかせる、奇跡の業。
「『フリーズ』行使範囲・大!
行きますっ! 『キス・アンド・クライ』ッ!」
そしてアイリーンが片手を湖面に置けば、水面は更に白銀へと凍りついていく。
広大なるボルソス湖を余すことなく覆いつくさんとばかりに、凍土が伸びて、広がり、侵略する。
『イア⋯⋯』
『イア?! アイア?!』
水中にて更なる加勢の時を待っていた
なにせ彼らの黒い眼が見上げた先には、まるで天から見下ろすかのように、大きな氷華が花弁を伸ばしていたのだから。
「さあ、ここから先は銀藍凍土。浮かばれるものなどありませんよ」
白銀の向こう側。
氷の華のはじまりで、銀藍凍土は宣誓する。
これより先も、蹂躙であると。
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