【19】ペルセウスの竜

 その背に刺々しい鋭利な翼を顕しながら、ペルセウスの竜は微笑む。

 ドラゴン。竜。人々の悪夢。封じられし凶星まがつぼし

 セレスティアル大陸における災厄の象徴に相応しい様相ながらも──浮かぶのはあまりに柔らかい微笑みだった。


「ドラ、ゴン?」

「そーよ、アイリーンちゃん。竜と化す。それがこのアタシのギフト『ドラゴニック』の力。ま、このベビー形態じゃあ、ドラゴンってよりドラだけどねん。なんだったら、そう呼んでくれたって構わないわん」


 変化を顕在させてなお、親しみやすいシェモンの声色。

 けれどアイリーンの表情は険しかった。

 無理もない。当人はなんでもない風に振る舞ってはいるが、ドラゴンとはセレスティアルに住む人々にとっては災厄の代名詞である。


──六百六十六年前に訪れたとされる大厄災。

 一匹の【おおいなる竜】によってもたらされた未曾有の脅威は、今もなお、忘れられぬ悪夢として語り継がれているのだ。

 アイリーンの反応は至極普通のもの。否、シェモンからすれば充分マシと言えた。


「ドラ娘ってガワかよ。主張の激しいトカゲだなオイ」

「やん。ドラゴンだってば」

「どっちだって良いだろ」

「あら、クールねぇ。んふふ、でもそういう気遣いは嫌いじゃないわよ」

「気遣いじゃねえわ勘違いしてんなよクソトカゲが」


 だから、平然としているオウガが異常なのである。

 災厄の代名詞たるドラゴンの顕現を、クソトカゲ呼ばわりする方がおかしい。百人に聞けば、九十五人はそう答えるだろう。


 だが、オウガはオウガで非凡が服を来て歩いているようなものである。

 彼からすれば災厄だろうがなんだろうが関係ない。こと戦場においては、敵でなければ取るに足らないしがらみだった。


「⋯⋯ふう。ええと、分かりきった事を尋ねますが、ギフトである以上、変化したのは見た目だけではないですよね?」

「ン?⋯⋯ンフフ、もっちろんよォ」


 当人シェモン第三者オウガが平然としてるのに、自分だけが取り乱してはいられない。

 狼狽ろうばいを誤魔化すように振る舞うアイリーンの可愛げに、シェモンは微笑ましげに喉鈴を転がして。


「色男に、見せてみろって言われたんなら⋯⋯応えなくちゃァ、オンナが廃るもの!」


 鋭翼をはためかせて、半竜はのたまった。

 これより先は、蹂躙であると。




◆ ◆



 人間がドラゴンを恐れるのは、何も過去の厄災の象徴であるからだけではない。

 純粋に、脅威であるからだ。

 鋭き爪と牙と尾で地を薙ぎ、あぎとからは火炎を吐き散らし、剛翼を広げては手の届かない宙を駆ける。

 生態系の頂点といっても良い。そんな生物を人が恐れない道理が無い。


『グオオォォア!』

『ガゥガッ、ガゥガゥ!』

『ギギ、ギア、ァ⋯⋯!』


 人の形をした狼達とて同じ事である。彼らに翼はない。地を這いずっては、睨んだ空へ吠えるのが精々。

 高きから一方的に降り注ぐ火炎の弾丸からは、逃げ惑うしか無いのだ。

 故に。その光景はまさに、一方的な蹂躙であった。


「圧倒的ですね。まさかこれほどとは」

「あのクソトカゲ、マジに出し惜しんでやがったとは。大した殲滅力じゃねえか。おかげでこっちは残党処理かよ」

「不貞腐れないで下さい。発破をかけたのは貴方でしょうに。ほら、そこのコボルト弓持ちですよ」

「チッ。ビビってやがった癖に、調子戻して来やがって。オラ伸びろォ!『プレアデスの鎖』!」

「動じない貴方が可笑しいだけですよ⋯⋯『フリーズ』!」


 宙を駆けるシェモンの口から放たれる火炎ブレスから逃れた先も、また死地である。

 伸縮自在の鎖がせめてもの一矢さえ奪い取り、足場はみるみる内に凍土へと変わる。

 空にも地にも逃げ場など無い。先程とは比べ物にならないほどに、黒灰へと散っていくコボルト達。

 瞬く間に数を減らしていき、もはや殲滅も時間の問題かに思われたが。


『うわぁぁぁあ!! 水門に魔物の大群がぁっ!』

「「「!」」」


 狼兵達の断末魔に混じった兵士の悲鳴が、新たなる脅威の来訪を告げる。


「そんな、どうして? コボルト達は防衛線から殆ど通してないはずなのに!」

「森の中を迂回した? いや違え。周囲の森は、空からクソトカゲが目を光らせてたはず。ってことァ⋯⋯」

「──湖からって事ねん」


 コボルトではない。アイリーンが述べた通りコボルトの大半は、オウガ達三人が敷く防衛線を越えられず消滅したはずである。

 とはいえ、誤報という訳でもなかった。

 目を凝らせば確かに、魔物らしき青黒い怪物達が水門目掛けて押し寄せていたのだから。



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