【18】叱咤の義務

 木々の隙間を駆けていた。

 或いは馬車窓から覗く風景よりも早い疾走。

 樹木の枝で羽根を休める鳥達が、驚いて飛び立たてども構うことをせぬままに。

 オウガ達は、村外れの水門へと駆けていた。


「てっきり表情筋まで凍り付いてんのかと思ったが、ちげえらしい」

「え?」

「後悔するだけの可愛げは、まだ残ってやがんだなって言ってんだよ」

「⋯⋯」


 藪ほども浅くない森の中で入れられた皮肉に、アイリーンは己の頬に触れた。

(悔いた顔をしてたのですか)

 ユクシへの言及は確かに、我ながらやり過ぎたと思っている。けれど突き付けた一字一句は紛れもない本音だし、本心だった。

 ならばかえりみはしても、後悔はしないはず。

 なのに今この瞬間も、ユクシを庇うカノンの姿が脳裏から離れない。

 

『アイリーン。強く、生きなさい』

(⋯⋯お母さん)


 脳裏に浮かぶカノンの姿が、重なってしまう。

 とうに亡くしてしまった、大切だった人と。

 思い出に足を取られそうになるのが怖くて、アイリーンは無意識にブルーリボンに触れていた。

 せっかく綺麗なんだからと、良く髪を梳いてくれた母からの、最後の贈り物だった。


「浮かねえ顔をするなとは言わねえ」

「え?」

「だが俺にしろオマエにしろ、ガキ相手にあれだけ容赦の無ェ詰め方をした訳だ。肝心のお仕事は上手くやれませんでした、じゃあ話になんねぇぞ?」

「⋯⋯」


 かくも変わらずニヒルな言い回しをするオウガに、まだ短い付き合いながらも良い加減、アイリーンは学んでいた。

 他人に容赦もないこの男は、かといって自分を甘やかせる事もしない。普通ならば気疲れを誘う捻くれた男だが、生真面目な彼女にはむしろ丁度良かった。

 そうだ。引き締めなくては。

 追憶に足を取られている暇はない。私情に悩まされている場合ではない。

 今の自分はクェーサー。

 弱い自分とはとうにお別れをしたはずなのだから。


「やれんだろうな」

「貴方に言われずとも!」


 発破に背を押されるように、銀藍凍土は一息に跳び出し。

 景色を囲う樹々を追憶ごと追い越して、そして二人は間もなく水門に辿り着いた。


「──あらん、遅かったじゃなあい?」


 幾人もの守衛兵士達の喧騒と叫喚に塗れた、ボルソス湖の水門。

 二人を迎えたのは、狼人コボルトの顔を鷲掴みながら妖艶に微笑む、シェモン・グラッチェだった。


「ずいぶんのんびりなご到着ねん。ひょっとして、アタシの居ぬ間にデートでもしてたのかしらん? だったら罰として、後でみっちり詳細を聞かせて貰うけどぉ」

『グ、ル⋯⋯』


 実に場違いな勘繰りである。

 掴んでいたコボルトを放り投げながら、まるで休日のカフェテラスでするような下世話な挨拶。

 軽快さに錯覚を招きそうになる。 

 時と場とのそぐわなさに、味方でありながらも僅かな怖じ気を感じずにはいられない。


「身に覚えのねえ罰なんざ受けてたまるか。状況はどうなってやがる」

「ンン、ご覧のとおりよん」

「見ての通りって、一人でこの数を相手にしていたのですか⋯⋯」


 辺りは死屍累々といった有様だった。

 数十匹はくだらないコボルトが、揃って湖畔の露草に埋もれている。恐らくシェモンがやったのだろう。


「でもォ、あっちの森の奥から魔物がわらわら湧いて来てるみたいなのよねん。水門は守衛ちゃん達に任してたんだけど、一人じゃちょーっと手が回らなくて困ってた所よん」


 出遅れた事実に顔を顰めるオウガだったが、それは杞憂に過ぎなかった。

 シェモンの指差す、オウガ達が駆け抜けた森林とは反対側。

 深い森の奥からは、更なる魔物の陰影が、群を成して此方側へと迫っていたのだから。


「さぁて、構えなさい新星達ルーキーズ。狼ちゃん達にペルセウスの輝きを、存分に見せてあげるわよん!」

「っ、了解しました!」

「フン。ったりめーだ」


 剣に槍、斧に弓。人を殺めんと武器を片手に、湖畔を颯爽するのはポーン級の狼、約五十。

 迎え撃つのは、英雄の名を冠する座の三連星。

 ボルコス湖での"前哨戦"が今、始まらんとしていた。



◆ ◆ ◆



「シッ──!」

『グキ、ルゥッ⋯⋯』


 繰り出す銀槍は、さながら流星だった。

 夜でもないのに駆ける銀は、牙を剥く狼兵の胸を穿つ。

 命が絶える。黒い塵へと変わる魔物の落命を、アイリーンは看取ることもない。そんな暇も無い。

 所詮、数十の中の一つ。湖畔は既に、乱戦の様相を呈していたのだ。


「ぶっ飛べオラァ!」

『グォン!?』


 視界の隅では鎖で絡めとったコボルトを弾丸に、群れへと投擲するオウガが映った。

 力任せな荒々しい戦闘スタイルは、乱戦模様を歓迎するかのように、存分に発揮されていた。


「どうした犬っコロ共がァ! 馬鹿みてえに突っ込んで来やがって。俺ァ棒切れとは訳がちげえぞ、あァ!?」

(相変わらず凄まじい体術です。けど、あれではどちらが悪役か分かりませんね⋯⋯)


 俊敏な身のこなしに、容赦なく砕く拳と蹴り。

 尖り歯を覗かせる獰猛な笑みに、これではオウガの方がよほど牙狼に相応しいと、感嘆と畏怖が半々であった。


『グォ、キ、キ⋯⋯』

「あらぁ、ちょっと強く引っ掻き過ぎたかしら。でも残念、恨み言を聞く余裕は無いのよねん。さ、空にお還りなさいな」


 一方。シェモンの闘いは静かであった。

 しかし静寂が弱い事に繋がる訳ではない。両手に備えたカギ爪で首元を的確に裂いて、穿うがつ。

 急所を付いての一撃で決する戦技。二撃目を求めない一撃離脱の手腕は静かであり、優雅。その武闘には、並々ならぬ技巧が光る。

 まさに、蝶のように舞い、蜂のように刺していた。


「⋯⋯勢いは衰えども、終わりは見えませんね」


 各々喧静けんせいの度合いは違えど、一気呵成。コボルト達からすれば脅威という他ないだろう。

 だがやはり数が数である。また一つの狼を槍で沈めながら、アイリーンは愚痴るように呟いた。


「なんだ、もうヘバッたってのか?」

「まさか。ですが、気になりませんか。これほどの数の魔物が、一体どこに潜んでいたのか」

「もっともな疑問よねえ。トイン村長ちゃんの話だと、襲いかかって来ても精々が十体くらいだって聞いてたけど。ここに来て、本格に水門を落としに来たのかしらねん?」

「⋯⋯俺達が来たタイミングでか? ハッ、だとしたらおもしれえ偶然だな」


 水門への継続的な襲撃規模が、ギルドの到来に伴って何倍にも膨れ上がる。それを偶然の一言で片付けられる楽天家など、この場に一人も居ない。

 村へ訪れる以前から抱いていた違和感が更に輪郭を帯びてきており、ならば悠長にやっている暇はない。

 偶然を装う『何者か』を、強引にでも引きり出す必要があった。


「ちょっとペースをあげなくちゃねん⋯⋯ってことで、オウガちゃん。例のやつ、お願いするわん」

「あァ? ギフト使えってか?!」

「そーそー。報告に聞いてはいたけど、一回はナマで感じてみたいじゃない。ってことでよろしくぅー!」

「チッ。気色悪い言い方しやがってクソが」


 と、建前をあえて述べず、シェモンは催促した。

 オウガの洞察力ならばきっと同じ結論に至るだろう。

 不服であろうと必要ならば、彼はきっと行動すると期待して。そして、シェモンの期待は正しかった。


「"オマエほどのやり手なら、こんな狼共ひと捻りだろうが。いつまでも出し惜しんでやがるギフト切ってでも、とっとと叩き潰して来やがれェ!"」

「────あらま」


 期待は正しかったが、更にオウガは上を行く。

 どうやらシェモンが未だにギフトを用いてない事に、彼は気付いていたらしい。


「ンフフ、バレちゃってたか。恐いルーキーだこと」

『『『グォォン!!』』』


 本当に大した洞察力だと、思わず感嘆に見開くシェモン。その背後に狼兵達が迫るが、焦燥など感じるまでもない。

 捻くれた"おうえん"を受けた途端に、湧き出る力の躍動。己から溢れる高揚感に酔いしれるように、シェモンは目を閉じながら──"尻尾"を振るった。


「ふぅん。これがオウガちゃんのギフトかぁ。凄いわねぇ、おかげでアタシ、ギンギンにみなぎっちゃって⋯⋯うっかりメイクが剥がれちゃったわん」

(えっ!? シェモンさんに黒い尻尾が生えた?! それに瞳孔が、縦に裂けて⋯⋯!)


 あっけらかんとした口振りのシェモンだが、その姿は異様にして威容であり異常であった。

 臀部から伸びる黒鱗の尻尾。琥珀色した瞳の瞳孔は縦に裂け、下目瞼の泣き袋は黒鱗と化している。

 人の形を保ちながらも、爬虫類を想起させるシェモンの肉体変化メタモルフォーゼは、間違いなくギフトによる超常を体現していた。


「尻尾に、鱗に、その目。オマエのギフトは『トカゲ』ってとこか?」

「トカゲ? うふふ、やあねん。お生憎様、アタシのギフトは『トカゲ』だなんて可愛いもんじゃあなくってぇ⋯⋯」


 一目瞭然なシェモンの変化に、難しくはない憶測をぶつけるオウガだったが、答えは否であった。

 トカゲではない。トカゲなどではない。

 もっと強く、もっと神秘で、もっと恐ろしいものだと。


「『ドラゴン』よん」


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