【17】信じる者はすくわれるか

 絹を裂くような、悲鳴染みた怒号だった。

 あるいは、慟哭どうこくとさえ形容しても良いかも知れない。


「ユクシ!」

「⋯⋯目は、醒めたようですね」


 恐らく一通りのやり取りを聞いていたのだろう。

 怒りのあまり、小さな肩で息をする。駆られた激情は並々ならず、目を剥いてはオウガ達を睨めつけていた。 


「人の家で好き放題言って! なんなんだよおまえらは!」

「ユクシ、やめなさい! この人達は、気絶したあなたを此処まで運んでくれたのよ?!」

「僕が頼んだ訳じゃあるまいし、知らないよ! こいつらが勝手にやった事だろ!」

「ゆ、ユクシ! クェーサーの方々になんて口の聞き方をするの!」

「っ! クェーサー⋯⋯!」


 母の言葉に、まじまじとオウガとアイリーンを見回すユクシ。けれど眼差しには敬意などなく、敵愾心と僅かな畏怖が込められていた。


「だ、だからなんだって言うんだよ。あとそっちの人、僕の父さんは逃げちゃいない! 勝手に決めつけないでよ!」

「⋯⋯決め付けではありません。失踪してから既に十日。水門から、カークスさんに関する報告は届いていないのですよね。だからこそ、村の方々も"そう"見なしている。違いますか?」

「ち、違う。父さんは逃げたりしてない! きっと今もなんとかしようと頑張ってる。父さんを僻んだ村の奴らが、逃げたって事にしようとしてるだけなんだ!」

「⋯⋯あなたの方こそ、逃げていないって事にしたいだけではないのですか」

「う、うるさい! おまえらも、村のつまんない奴らとおんなじだ! なんだよ、僕が何を信じたって僕の勝手じゃないか! それをどいつもこいつも分かったような顔で、間違ってるって!」

「ユクシ⋯⋯」


 だが迎えるアイリーンの言動もまた、明らかに普段と違った。冷静ではなく、冷徹。

 低い声色から作られる一字一句が、ユクシの事を想っての温度ではない。


「僕は聞くもんかっ! 大人はすぐに自分が正しいって言いたいだけで、なんでもかんでも決め付ける! そ、そうだ、あんたたちは水門を護りに来たんだよね?

僕の父さんが逃げてなくちゃ、手柄が無くって困る訳だな!」

「別に困ることはありません。逃げたとすればいらぬ犠牲が出なかったと、一つ胸を撫で下ろすばかりですが」

「嘘だ! 僕は騙されないぞ、卑怯者のクェーサーめ!」

「っ、卑怯ですか。貴方がそうあって欲しいだけでしょう。ですが、歪んだ事実を遠ざけて都合の良い真実ばかりを望んでいては、いつか痛い目に遭いますよ」

(⋯⋯コイツ、妙なスイッチでも入りやがったのか。ガキを詰めるなんざ、似合わねえ真似しやがって)


 大人げがない、どころではないだろう。

 アイリーンの言葉に虚偽がある訳でもないし、正論といえば正論だ。けれど一方的に正しいだけである。

 諭すのが目的であれば、下の下だ。子供相手でもまるで緩められない舌鉾は、彼女自身も意固地になっているようにも見えた。


「分かったようなことばっかり!」

「分かったようなこと、ですか」


 案の定、アイリーンの言い分はユクシの視野をせばめただけである。

 しかし形にならないユクシの抗弁が、アイリーンから表情を奪った。


「分かったようなつもりで、振りかざしたくて言っている訳ではありません。これはただの忠告です」

「忠告、って」


 銀藍凍土は、それでも言葉を曲げない。

 ユクシを見下ろす瞳はガラス玉みたく無機質で、さながら鏡のよう。

 己を語ろうとせず、他に背いてばかり。

 そんな態度を貫いてきた少女が見せる、かつての足跡にも思えて。

 オウガは至極面倒臭そうに、舌を打った。


「オイ、ちっと出しゃばり過ぎてんぞ、アホリーン」

「!⋯⋯急になんですかオウガさん。あとその愛称はやめてほしいと言ったはずですが」

「うるせえわクソが。オマエがどういうつもりで"世話を焼こう"が、ソイツはそもそもガキ扱いがお気に召さねえみたいだぜ?」

「そ、そうだ。僕はクェーサーの息子、僕だって一人の戦士なんだ! コビンみたいなただの子供と一緒にしないでよ!」


 オウガが割って入れた茶々により、アイリーンの舌鉾が遮られたことに安堵したのだろう。張り詰めた顔を弛ませて、ホッとしたようにユクシはオウガに同調した。

 あるいは「案外みやすい」とでも思われたのかも知れない。オウガの凶相を前にそれだけの態度を貫ける辺り、確かに彼はただの子供ではないのかもしれない。


「⋯⋯おいクソ坊主」

「うっ、な、なんだよ。ぼ、僕はカークスの息子だぞ。お前なんか、恐くないったら⋯⋯!」

「はン。カークスの息子ね⋯⋯だからどうしたよ、あァ?」

「ひっ」


 だが、あまりに甘かった。

 大魔王とさえ恐れられる男が、安易に子供の味方などするはずがないのだ。子供だろうが大人だろうが、対峙すれば等しく扱うのが魔王なのだから。

 現に彼は、ようやくお鉢が回って来たとばかりに、凶相をニヒルに歪ませていた。


「オマエの親父が過去にどれだけ活躍したかも、その真偽も、俺からしたらクソほどどうだって良い事だ。だがオマエ自身の真相に関しちゃァ、これっぽっちだが興味がある」

「な、なんだよ、僕の、って⋯⋯」

「クク、簡単な事だ」


 蛇に睨まれた蛙の如く、ユクシは膝を震わせた。

 蛙の子は蛙。ならば勇敢なクェーサーの子は勇敢なのだと威張る日頃の姿勢は、そこには無い。

 総てを嘲笑うかのように尖るオウガの紅い瞳は、カークスとやらの真相などまるで興味を示すことなく──。 


「クソ坊主。オマエが信じてんのは、本当に父親か?

 それとも⋯⋯」


 彼は、最初から"もっと別の真実だけ"を見据えて。

 そして、見抜いていたのだ。


「父親の、"武勇伝"か?」

「⋯⋯っ!?」


 残酷なまでに。

 的確に。


(え?)


 僅かな疑問が冷徹に凍ったアイリーンの心に、普段の冷静さを取り戻させた。

 けれどもオウガの意図が分からない。

 カークスと、真偽の定かではない武勇伝。何故そこを分けて問い詰めたのか。

 アイリーンには分からない。そのニュアンスの違いも。

 怯えるようにユクシが喉を鳴らしたのも。

 縋るように、スカーフを握り締めたのも。


「そ。そんなの両方に決まってるだろ!」

「クククッ」

「な、なんだよ。なにがおかしいんだよ!」


 ユクシを嗤うオウガの鋭い眼差しが、取っ掴み合うユクシとコビンを見据えていた時の色と、同じ色であるという事。

 アイリーンには判ったのは、ただそれだけだった。


「笑わせんじゃねえよ『嘘つきユクシ』」

「!」

「オマエが信じてんのは"片方だけ"だろうが」


 容赦や酌量など、一欠片もなかった。

 信じているのは片方だけ。疑いではない。揺らがぬ確信でもって言い切ったオウガの問いは、喉に刃を突き付けるのと変わらないほどで。


「ち⋯⋯ち、が⋯⋯、⋯⋯、⋯⋯」


 ただ「違う」と、そう否定したいのに。

 否定しなくてはならないのに。息をするのもやっとなほどに、ユクシは青ざめている。

 それが、オウガの言葉が真実として少年に深く刺さってしまった、何よりの証なのだろう。

 まるで、少年が孤立しようとも必死に張り続けていた虚勢の裏側だけを、丁寧に浮き彫りにするようで。


「ま、待ってください⋯⋯!」


 まさに魔王の独壇場。

 なにもかもを呑み込む強烈な気配に、ユクシの虚勢は今にも崩れ落ちそうである。

 けれどこの場でもっとも勇敢だったのは、震える我が子を庇い立つ、一人の母だったのだろう。


「貴方がたには、感謝してます。こんな辺鄙な所まで足を運んでくれたばかりか、気絶してくれたユクシを介抱してくださった事も。本当に、感謝してもしきれません⋯⋯ですが、どうかお願いです。これ以上はどうか⋯⋯お願いします⋯⋯」

「母さん⋯⋯」


 たどたどしく礼を述べて、深々と頭を下げる。

 けれどもこれ以上息子が向き合わなければならない真相と対峙するのを、カノンは堪える事が出来なかった。


「カノンさん。私は⋯⋯」

「⋯⋯チッ」


 切実なまでの懇願。優しいまでの逃避。

 けれど無下にしてまでそれ以上に踏み込む事は、いかにオウガとしてもはばれられたのか。

 自身の言動に行き過ぎを感じ、後悔を滲ませるアイリーン。そして同じく、バツが悪そうに窓の外へと視線を巡らせたオウガだったのだが。


『お前はあちらの家屋を頼む! 私はこちらを確認する! 急げ!』

『はっ!』


 閉じた窓からも漏れ聞こえた物々しい騒ぎ。

 長閑な村には不似合いな喧騒に、長く村に身を置くカノンは肩を震わせた。

 

「失礼するっ! こちらにギルド・ペルセウスのオウガ殿とアイリーン殿はおられるか!」


 間髪入れずに部屋に飛び込んで来たのは、手槍と革鎧で武装した壮齢の男であった。恐らく屯所に務める派遣兵士の一人だろう。

 ペルセウスの新星二人を見るや、「おお。探しましたぞ!」とすぐさま礼の姿勢を取る様は礼儀正しい。

 しかしそんな慇懃いんぎんな兵士がノックすら惜しんだのだ。緊急の用件であることは間違いなかった。


「シェモン・グラッチェ殿より緊急要請!『水門にて、"魔物達の襲来"が報告された次第、現場への急行を求む』とのことですぞ!」


 果然、予測は外れることなく。

 平穏を願う一児の母の想いを踏みにじるように。

 脅威の魔の手は、すぐそこまで差し迫っていた。 




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