【14】シャプレ村

 シャプレ村はプトレマイオスの南方、山間部に広がるボルソス湖の水門管理と羊や牛などの放牧産業を主に営む農村である。

 小さな村ではあるが水門管理の為に王都から派遣された兵士達の屯所もあり、辺鄙な村とは言いがたい。国からの支援金もあって、村人達はそれなりに裕福なのだろう。

 魔物達の襲撃に苛まれていながらも、クリミア村の空気はゆとりがあった。


「ギルド・ペルセウスの皆さま、よ、良くぞ我が村においでくださいました⋯⋯わ、私は村長の、トインと申しまして、こ、この度は我らのた、たた、嘆願を⋯⋯ひぃ」 


 放牧の羊や牛が鳴くのんびりとした清き空気は、山間部の麓だけあって肌寒い。だが村長トインの身震いは、当然寒さによるものではなかった。


「⋯⋯目ェ合ったくらいで一々怯むんじゃねえよ」

「はいオウガちゃんどうどう」

(えぇ、やはり恐いですよね。分かりますよトインさん)


 密かに同意しているアイリーン。気持ちが分かるからとはいえ、割と薄情である。


「あ、あの⋯⋯失礼ながら、あの方は本当にペルセウスのクェーサーなのですか? どちらかというとこう、スラム街で頂点に立っていそうなお方と言いますか⋯⋯」

「あぁん?! 誰が極悪卑劣の『マリグナントギフト犯罪者』だとコラ! 人をガワだけで判断してんじゃねぇクソがァ!」

「ひぃぃぃぃ! ななな何もそこまでは⋯⋯! も、もも、申し訳ありませんんんん!」


 オウガとて恐がられるのは日常茶飯事だ。むしろ全く恐がらないソルクトやトトリ達の方が異端なのだろう。

 二回りも年下の相手に腰を抜かす村長サイドが多数派なのである。

 とはいえ多数派が必ずしも正しいとは限らないが。


「チッ。おいシェモン、俺は席を外すぞ」

「んー⋯⋯まあいいけど、あんまりやんちゃしちゃ駄目よ?」

「しねえわガキ扱いすんなぶっ殺すぞ!」


 気分を害したのもあるだろうが、自分が居ると話も進まない。そう判断したのか、オウガは不機嫌そうに部屋から出た。

 こういう所で気を効かせられてしまうだけ、つくづく外見で損をしている青年である。


「はいはーい。じゃ、アイリーンちゃん。オウガちゃんのこと、よろしくねん」

「えっ⋯⋯私が、ですか?」

「トインちゃんから話を聞くだけなら、アタシだけでも問題なさそうだからねん。お目付け役よろしくぅ!」

「はぁ⋯⋯分かりました(なんだか貧乏クジな気が)」


 同行を促す辺り、オウガのフォロー役を期待されてるのはアイリーンとて分かる。

 分かるのだが、自信は無い。なにせ彼女とて多数派であったのだし。

 けれども有無を言わさぬシェモンの軽快な笑みに押されて、仕方なくアイリーンはオウガの後を追いかけたのだった。


◆ ◆ ◆



「待って下さいオウガさん。どこへ行くつもりですか?」

「うるせえ、特に決めちゃいねえよ。オマエも別について来なくたって良いだろうが」

「そうしたくとも、シェモンさんに任された以上、私には同行する義務がありますので」

「⋯⋯チッ、このクソ真面目の優等生が」

 

 一歩に追いつくのに二歩が要る。

 背丈の問題で生まれる歩幅の差。先行く男は省みず、追う女は不平を言う訳でもなくせかせかと足を急がせる。まるで色気の介在しない二人の上を、しがらみの無い一羽の鳥が駆けていた。


「もしかして、村長に怯えられた事、気にしてるんですか?」

「あァ? んな訳ねえだろクソが。俺は至って平常運転」

「⋯⋯いいえ、先程から物凄く怒り足ですし、周囲を睨んでは威嚇してますけど」

「オイ、怒り足は合ってっけど睨みも威嚇もしてねえぞ。目付きはデフォだっつってんだろ」

「ええと。どうどう、どうどう⋯⋯どうです?」

「おい、そりゃ煽ってんのか。オマエは俺を馬かなんかだと言いてぇのか?」

「そんなつもりは。シェモンさんはこうやって宥めてましたので」

「⋯⋯ハァ」


 従来の生真面目さが出ているのだろうか。

 シェモンからの頼まれ事を忠実に実行しようとするアイリーンであったが、誰かをなだめる事はあまり得意ではないらしい。

 その斜め上なフォロー加減に、もはや毒気を抜かれたように溜め息をつくオウガであった。


長閑のどかな村ですね」

「フン。楽観的なだけだろ」


 晴れた青空に千切れ雲。緑をついばむ馬や受動的な羊達が溢れるシャプレ村の風景は、極めて平和的である。

 だからつい口をついて出た味気ない感想を、目の前を歩く男は、振り返りもせずに鼻で笑った。


「否定は出来ません。水門ばかりの襲撃とはいえ、一応牧場の方でも魔物の被害があったらしいのに」

「平和ボケって奴か。百年近く人間同士での戦争やらが無くなっちまったから、危機感っつーのが欠けてんだよ。魔物の脅威がなくなった訳でもねえのにな」

「⋯⋯平和の弊害、というものですか。戦争が続くよりは、良い事だとは思いますけれど」

「ケッ。そのぶん腑抜けんなら一緒だろうよ」


 愚かな時代と称された大戦から百年。人々は長きに続いた苦悩の日々から解放されたかの様に、平和を享受している。

 だがオウガの言う通り、脅威が去った訳ではない。

 他国の人間から古来よりの魔物に外敵が変わっただけである。現にこの村とてその牙が迫り、故に自分達が呼ばれた。

 だというのにこの村に蔓延する安穏が、オウガは気に入らないのだろう。


「適材適所、というモノではないのですか。誰も彼もが気構えながら日々を過ごせる訳ではないのですから」

「ハッ、よく言うぜ。ソイツはオマエ自身で納得して吐けてる台詞なのかよ」

「納得、ですか?」

「適所が適材の前だけに都合良く現れてくれンなら世話ねえよ。闘うのは闘える奴だけの権利じゃねえ。生きてる奴の義務だろうが。ソイツを怠ってンなら、いくら奪われたって文句は言えねえ」

「⋯⋯⋯⋯」


 乱暴な理論だと思った。傲慢な筋合いだとも思った。

 けれども、オウガの吐き捨てた強者の理屈をアイリーンは否定しない。否定出来なかった。

 自分達が到着した際の「やった。これでもう安心だ」という村人達の顕著なまでの安堵に、つい眉をしかめたのはアイリーンとて同じだったのだから。

 脅威を脅威と捉え切れてない、どこか安穏としたゆるみ。それを受け入れ難いと心が感じたのは、事実だったから。


「どう取りつくろったって、この世の真理は弱肉強食な事には変わんねえんだよ」

(弱肉強食、ですか⋯⋯)


 呟いて、またオウガの背が先を行く。

 弱肉強食。それが彼の揺るぎない信条なのだろうか。

 なのに、歩む度にゆらりと揺れるコートの漆黒が、馴染めない風景を悪戯に裂いているみたいで。

 牧歌的な雰囲気にそぐわない異物。そんな自覚が、彼自身にもあるのかもしれない。

 目的もなく彷徨うオウガの大きな背中が、居場所を見つけられない迷子の様にも見えた時だった。


「──だからっ、違うって言ってるだろっっ!」



 少年のけたたましい否定の声が、響き渡った。

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