【10】プレアデスの鎖

 王都プトレマイオスには、おおまかに分けて四つの区画が存在する。

 一つは【王天区画】。トレミー王家の座すレグルス王城を含んだ国内中央区画。

 一つは【北天区画】。ペルセウスを含めた二十一のギルド拠点がある、西から北に跨ぐ、中央を除いた中で最も大きい区画。

 一つは【南天区画】。アイリーンの古巣でもあるヒュドラを含んだ十五のギルド拠点がある、南部の区画。

 一つは【黄道区画】。残る十二のギルド拠点が連なる東部区画。

 中央の【王天】。

 西から北にかけた【北天】。

 南部の【南天】に、東部の【黄道】。


 計四つの大区画であるが、更にこれらを区分する境界線の役割を持つ大通りが存在した。

 大通りの総称は『シルキーロード』。

 天の川、又は銀河商道とも呼ばれる区画境界道であり、それぞれの大区画に通ずる境界道ともなれば人々が最も賑わう大道である。


 人々が賑わう場所でこそ、商いが盛んに行われるのが世の道理だろう。シルキーロードには幾つもの商店が並立し、競っては行き交う人々の足を止めていた。

 そんなシルキーロードの北天寄り、ある一店舗の煙突からは轟々と太い煙が昇る。

 煙といっても火事ではない。『鍛冶屋プレアデス』と記された看板を見れば、単なる営業中だと察せられるだろう。


「はぁ⋯⋯シニョンちゃんとデートしてえ」


 一足先の春の到来であった。

 頬杖をつきながら恋患うは、齢十六ながら鍛冶屋プレアデスの店主を務めるテル・プレアデスである。

 しっとり伸びた亜麻色の髪を赤いバンダナで纏めた横顔には、だらしなくもまだ幼さが残っていた。


「なに腑抜けてんだクソテル。営業中だぞこら」

「兄に向かってクソとはなんだメル。発注分は全部仕上げただろ? 暇な時間をどう過ごそうが店主の俺の勝手っしょ」

「そういうとこがクソだっつってんの」


 しかし鼻の下を伸ばした兄の顔など、妹からすれば見苦しい事この上ない。そう主張をするのは兄と良く似た顔立ちのメル・プレアデスである。

 テルより少し色素の薄い亜麻色の髪を黒いバンダナで纏め、上下のジャージも黒一色とどこぞの魔王みたく黒づくめであった。


「ったく、腑抜けんなら店の奥でやれば? そこじゃ通りからてめえのキモ面が丸見えなんだよ」

「ここじゃなきゃ向かいのシニョンちゃんが見えないだろ!」


 テルの想い人とは、プレアデスの真向かいにある花屋の看板娘であった。

 目が合ったのだろう。三つ編みを揺らして微笑むシニョンに、ぐへへと締まりなく笑っては手を振る兄。


「クソキモストーカー野郎が」


 そんな兄の体たらくっぷりを、メルは容赦なく吐き捨てた。


「チッ、自分の恋路が上手くいかないからってあたって来んなよな」

「あ"ぁ"ん"!?」

「あ、やっべ。つい口が勝手に」

「てめえこらクソテルゥ! よっぽど死にたいらしいな、あぁん!?」


 自分の恋に挫折してる時に、惚気話など聞けたものではなかった。更にそこを指摘されたものだから、メルの怒りも一入ひとしおだろう。

 胸倉を掴んでは凄むメルの顔に、お淑やかの文字など無い。その緩み切った顔を修正してやるとばかりに、乙女は拳を固く握ったのだが。

 折悪く入り口のベルが、カランコロンと鳴り響いた。


「チィィッ、カランコロンカランじゃねえんだよ空気の読めねえクソ客が! 出直しやがれよ今ウチらは絶賛取り込みちゅう──」

「ほう、クソ客と来たか。今日は一段と威勢が良いなァ、オイ」

「────ぁうはわっ!? おおお、オウガ兄さん!?」


 最悪のタイミングであった。

 特にメルにとっては二重の意味で最悪だろう。

 聞くに耐えない暴言を向けた相手が、よりにもよって彼女の"想い人"であるオウガ・ユナイテッドだったのだから。


「やっほーメルちゃんにテルくん! あっそびーに来ーたよー!」

「す、ステラ姉さんまで!? あああなんてタイミングでー!」

「おおぉ、オウガのアニキにステラのアネゴっ! 実に良いタイミングで! いらっしゃいませっす、ようこそっすー!」


 しかも、恋敵とも言えるステラもセットでのご登場である。いい笑顔で彼らを迎えるテルの余裕が恨めしい。

 もしやさっきまでのやり取りを聞かれたんじゃなかろうか。だとしたら立ち直れない。乙女の一大事である。

 乱れた髪をせかせかと直しながら、メルは気が気ではなかった。


「取り込み中だってんなら、別に出直してやっても良いが?」

「あ、う、い、いえ、ごごご、ごゆっくりぃ!」


 多分無かった事にしてくれるんだろう。オウガの珍しい心遣いが余計にグサッと刺さる。

 とはいえ、これ以上想い人の前で失態を重ねる訳にもいかない。少し前の凶暴さをすっかり仕舞い込み、メルはすごすごと店の奥へと引っ込んだ。


 後で絶対、クソ兄貴を半殺すと決意しながら。



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