【6】銀藍凍土のアイリーン
「片付きましたか」
靴のずれを直しながら呟く彼女の一言の通り、魔物は一匹残らず討伐された。
太陽の位置も変わらぬ間のこと。迅速な討伐戦を終えた広間には、凍土の名残りであるダイヤモンドダストが星々みたく煌めいていた。
「うーんスッキリしたー! でもオウちゃんとは綺麗に同数だったなぁ。ぐぬぬ残念」
「ケッ。締まりの悪ィ結果だぜ」
ひと仕事を終え、ステラが
他愛のない競争に決着がつかなかった事が、そんなに不服なのだろうか。彼が勝負事にこだわる性質なのは見て取れたが、ひとまずはクエスト達成の余韻に浸れば良いのに、と。
そんな埒もない事を思い浮かべながら、では帰りましょうかとアイリーンが
「オマエがあの"銀藍凍土"だったとはな。なるほど、デカい口を叩くだけはありやがる」
「──っ」
永遠に閉じることなき天蓋を見上げながらのオウガの呟きに、アイリーンの脚はピタリと止まった。
「⋯⋯その名。知っていたのですか」
「情報通気取りの知り合いがぬかしてた事をたまたま覚えていただけだ」
「オウちゃんオウちゃん。その、ぎんらんとーどーって何?」
「ニ年前ぐらいにとてつもねえ速さで功績を積んでいくルーキーが居たらしい。で、氷系統のギフトを使いやがるっつー事で有名だったンだが⋯⋯どうやらソイツの事で間違いねえな」
「ほえー、リンちゃんってば有名人だったんだ!」
「フン。古巣の『ヒュドラ』は序列二十二等の中堅ギルドだったか? 大した出世じゃねえかよ」
訥々と語られる自身の過去。何故知っているのか、などの経緯はアイリーンにとってはどうでも良かった。
アイリーンとてオウガの悪評を知ってはいたのだ。触れられたくもない部分を突き付けたのはお互い様だろう。
「⋯⋯出世、ですか。物は言いようですね」
「あァ?」
「リンちゃん?」
しかし、彼女にとってその功績は今や、誇るべきものではない。暗い笑みを浮かべながら俯くアイリーンの雰囲気に、オウガとステラは眉を潜める。
「どういう意味だ」
「説明する義務はありません」
「義理の間違いじゃねえのか」
「どちらにせよ、同じ事です。信用も信頼もしていない相手に、ペラペラと自分のことを語るつもりなんて有りませんよ」
「⋯⋯チッ」
意味深な態度を取っておきながら、それでも肝心な踏み入りを拒むのは
例え面倒くさい奴と思われようが、それでも良い。
詮索を重ねられるより、腫れ物扱いに遠ざけられる方がアイリーンとしては良かった。
「でも、それってなんか⋯⋯悲しい気にならない?」
「え?」
「ステラは色んな人とお喋りするの好きだけどねー。何が好きとか誰が好きとか。ガールズトークってやつ?」
「⋯⋯」
「あ、ちなみにステラが好きな人はねー⋯⋯な、なんと! こちらのオウちゃんですイエーイ!」
「うるせえわ耳元で騒ぐな」
「乙女の重大発表をうるさいとは何事かー!」
「クソほどどうでも良い発表だろうがよ」
「⋯⋯⋯⋯はぁ」
(お喋りですか。でもステラさん。それは、信頼も信用も出来る相手が居てこそでしょう)
彼女は他人を信用しない。信頼もしない。
それは信条ではなく、苦肉の処世術である。
目の前の遠慮のないやり取りは、確かな絆の証なのだろう。眩しかった。痛いくらいに。
光に
『グオオオオオォッッッ!!』
「「「!?」」」
地を震わす程の咆哮が、旧砦に響き渡った。
「ふぁっ!? え、なになに!?」
「今の声は⋯⋯っ、天井です!」
新たな驚異の予兆に周囲を警戒するが、アイリーンの報告に揃って砦の天井へと視線を束ねる。
青空を背負い立つ、神獣気取りの魔獣が居た。
煩わしい光を嫌うかの様に広がる飛竜の翼。
牝山羊の胴体に獰猛な肉食獣の手足。
長き舌をチラつかせる蛇頭の尻尾。
そして、高きよりオウガ達を見下ろす様に
「あれはキマイラ!
「ハッ、ビショップ級ね⋯⋯」
明らかに先程のポーン級とは違う威容の出現に、オウガの顔付きが凶悪に尖り、一つ前へと歩み出る。
悪童の威嚇に応えるように、キマイラは翼をはためかせて彼らの前へと降り立った。
「真打ち登場ってか。面白くなって来やがったじゃねえかッ!」
『グルォォン!』
ギラついた獅子の紅い瞳と、オウガの紅眼が睨み合う。種は違えど狂獣同士が今まさに、ぶつかり合おうという瞬間だった。
「⋯⋯先手は打たせません!『フリーズ』!」
「なにっ」
半ば横槍気味に地を蹴り上げたアイリーン。
急速に凍結される地面に気付いたキマイラが翼をはためかせるが、不意を打った先制だけあって離脱は間に合わない。獅子の両手足は、瞬く間に凍土ごと凍りついてしまった。
「チッ、水差しかよ。顔に似合わず手癖が悪ィな」
「なんとでも! ビショップ級相手に悠長にしてられません、速攻で片を付けます!」
梯子を外すような形になってしまった自覚はあるが、四の五の言ってる場合ではなかった。
舐めてかかって良い相手ではない。アイリーン一人ならまだ問題なく討伐出来るが、この場にはオウガとステラが居る。余計な被害が出るよりも早く倒す必要があった。
文句ならば後で幾らでも受け付けると、彼女はキマイラを穿たんと凍土を踏み抜く。
だが。
『キシャァァオウ!』
「炎のブレス⋯⋯!?」
蛇頭から吐き出された火炎の息吹は、瞬く間に四足の枷を溶かす。
キマイラは迫り来る氷柱を焔で溶かしながら、そのまま宙へと舞い上がった。
「くっ⋯⋯空中に逃げられましたか」
「お利口さんだねぇ。ステラとどっちが勉強出来るかなー」
「アレと比較しようって時点でオマエの負けだアホ」
窮地を脱され、魔獣は今や翼を活かせる空中に在る。
悪い方へと状況が転んでいるのに、何を呑気に構えているのか。アイリーンは歯噛みしたかったが、遮るように再びオウガが前に立つ。
「魔物風情が。誰を下に見てやがんだ」
「だ、駄目です。
「うるっせえ、しくじったんなら引っ込んでやがれ! オラ行くぞ、援護しろステラァ!」
駆け出すと共に支援を要請するオウガ。空も飛べない彼女に何を求めるのかと、アイリーンは異論を挟もうとする。
「あいあーい! いっくよー!『ブレイブビーム』!」
(は? え。び、びーむ!?)
だが彼女の異論は瞬く間に掻き消え、開いた口は中々塞がらなかった。何故なら任せろとばかりに応えたステラの手から、白く輝く光線が放たれたのだから。
フォン!フォン!と鋭い音を立てながら、光線が空を裂き、キマイラの元へと殺到する。
咄嗟に
「うろちょろと。だが下暗しだクソキマイラ!」
光線に当たればただでは済まない事は、キマイラの目にも明らかであった。その分、地を駆けるオウガに気付くのが遅れてしまう。
しかし所詮は翼を持たぬ人間風情。驚異はあの娘だけだと慢心する魔獣ではあったが。
「伸びろ、"プレアデスの鎖"ッ!」
『!』
オウガ・ユナイテッドはナメて良い相手などではない。コートの裾から重力に逆らうように天へと伸びた鎖が、キマイラの尾蛇を口ごと絡め取ったのだ。
「オラ掴まえたぜ。頭が高えンだよ、堕ちなァ!」
『グォン!?』
そのままオウガは鎖を肩に、背負投げの要領でキマイラの巨体を引きずり落とそうとする。
並ならぬ剛力を相手に、いかにキマイラとて空中では踏ん張りが効かない。
抵抗も虚しく、魔獣は無様にも頭部から地面に叩き付けられた。
「ハッ、思い知ったかクソキマイラが」
「おおーっ、一本釣りだー!」
(こ、今度は伸びる鎖? ステラさんのビームといい、彼らのギフトは肉体強化などでは無かったということなのですか⋯⋯?)
見誤っていたという事なのだろう。
しかし、ではオウガのあの赤い光は何だったのか。あれは間違いなくオウガとステラを強化していた。
ギフトは一人に一つまでしか宿らない。誰しもが知る鉄則に基づけば、やはり今のは有り得ない。
赤い光はステラによるもので、あの鎖の伸縮はオウガのギフトなのだろうか。それとも鎖自体に秘密があるのか。
思考に脚を絡め取られていたアイリーンだったが、ふと土煙の中で倒れ伏せていたキマイラの瞳が、獰猛に輝くのを見つけた。
「っ、オウガさん! まだ終わってません!」
『グォォォァァ!!!』
「なにっ」
油断大敵。そう告げるかのように、キマイラは己が尻尾に絡む鎖に灼熱を吐いた。
「チッ、そっちからも火ィ吐けんのかよ!」
『グルルルゥ!』
だが、灼熱の源は先程の尾の蛇ではない。
鋭利な牙がいくつも生えた獅子の
『グオオオオオォ!!』
「わ、やば⋯⋯」
再び自由を得た猛獣は、一番厄介な敵を獲物と見定め、殺到する。
しかし狙いはオウガではない。キマイラにとって一番厄介な獲物とは、遠距離攻撃を使えるステラであった。
皮肉にも、不意を打ったオウガに対する意趣返し。
鎖を伸ばそうにも一直線に駆けるキマイラには追いつかない。
(いけない! 私が助けないとッ!)
間に合うのは、ただ一人。
比較的ステラに近いアイリーンだけであった。
『さすがはうちのエース。すみませんね⋯⋯お手を煩わせちまってさ』
「────っ」
(なんで、こんな時に⋯⋯!)
だがステラを救おうとした瞬間に脳裏に過ぎった"かつて"が、彼女の脚を掴むように一瞬止めてしまって。
『グオオオオオォン!!』
「うわぁぁぁぁーっ!」
「ステラッ!」
「あ⋯⋯⋯⋯」
猛獣の突進をもろに受けたステラは、小石のように弾き飛ばされてしまった。
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