第3話

足を挫き、かえでから受け取った木の棒を支えに歩き始めて30分。下っていたはずなのに俺たちは今山を登っている。どうやら俺たちが居たのは山間だったようだ。楓も流石に疲れが出てきたのか顔に疲労の色が出てきている。近くに川があるのか水音が聞こえてくる…何処かに水場があるといいが…。


「楓ちゃん、木の棒…使う?」


「大丈夫…それはおじさんが持っていて。」


「そ、そう…」


小学生に気を使われてしまった。しかし手離すと転ぶのは目に見えている。お言葉に甘えてこれは俺が使っていよう。


「何かこう…出来ることあれば言ってね。と言っても出来ることはそんな無いんだけど…」


「出来ること…。そういえばおじさんは、木のお医者さん?」


「え!?いや、ただのサラリーマンだよ」


予想外に出てきた職業に声を上げてしまう。確かにそんな資格はあった気がするが俺は持っていないし、その資格は勉強すらした事がない。


「折れた枝を治してたから」


恐らく会社に戻る前の夕方、誰かがぶつかって折れたであろう街路樹の枝を簡易的に治した時の事だろう。治したと言っても大したことはしていない、コンビニでビニールテープを買って断面を繋げ、ぐるぐる巻きにしただけだ。あの辺りは小学生の通学路になっているので偶然目にしたのだろう。


「あ、あぁ…よく見てたね。見様見真似だけどね。おじいちゃんが木を手入れするお仕事でね。朝になれば専門の人が気付くと思うけど…折れてたら可哀想だから。」


「優しいね」


「どうだろう…。でもありがとう」


「ううん。こちらこそ、ありがとう」


楓がお礼を言い微笑んだ瞬間、雲間から光が差しこみ少女を照らした。人からお礼を言われるのは久しぶりで、俺の気持ちも少し明るくなった。


「あ…あれ、見て」


楓が指差したのは岸壁から出ている人工的に作られたパイプ…そこから流れ出る月明かりに照らされキラキラと輝いている液体。


「水だ!」


助かった!喉がカラカラだが果たしてこれは飲んでいい水なのか…?先に少し飲んでみると水は冷たく、渇いた身体に染み渡った。もう一口飲もうとした所で楓が「私も」と手を伸ばすが届かない。楓が水を飲めるよう身体を持ち上げると、楓は両手で一生懸命に水を飲んでいた。


互いに水分補給を終え、僅かながら休息が出来たことでなんとか歩く気力が戻ってきた。山間の谷から大分進んだ。後はこのまま山頂に向かって歩き、街に降りるだけだ。


「楓ちゃん、行けそう?」


「うん。」


声を掛けると水場に座り、休んでいた彼女はゆっくり立ち上がった。水に付けていた足をワンピースで拭こうとグラグラしている彼女の支えになる為にしゃがみ、背中を貸す。靴を履くのを見届けてから立ち上がる。


「ありがとう」


「どういたしまして」


じゃあ行こうか、と木の棒を掴み歩き出した。登りは順調だった。雲が一時的に消え、大きく丸い月が道を照らしてくれたお陰で楓と何気ない話をしながら頂上まで無事に辿り着けた。


「水も飲めたし、上は涼しくて良かったね。」


「うん…夏は嫌い、暑くて喉が渇くから。」


「俺もだよ。」


なんて、本当に何気ない会話だったが普段の会話は必要最低限。友人は居らず、雑談はネットのSNSのみ…。俺にとっては充分だった。話しながら、楓と2人で下山ルートを確認した。


ここから降りなければならない。そんな風に考えてしまった。楓を家まで送ると約束したが俺はその後どうしようか、またあの息苦しい日々に戻るのだろうか。しかしやり直しの為にまたこの山を登るのはちょっと…。己の今後を決められない、全てが嫌になり再び足が重くなってしまった。


俺の進むペースが遅くなったのに気付き、楓は立ち止まり俺の方へ振り向いた。


「おじさん、帰りたくないの?」


「まぁ…ちょっとね。」


「嫌なことあったの?」


「うん…そんな感じかな。」


「好きな事とか、楽しい事をすると良いと思うよ」


むん、と楓は拳を握った。大人しい子に見えて案外面白い行動をする子だ。しかし趣味もやりたい事もない自分には何をすべきか検討も付かないな…。普段は生産性のない仕事を惰性で行い、休みの日は昼まで寝た後そのままダラダラとスマホでSNSを見ている。なんとも刺激がなく、無価値な人生を送っている。…敢えて言うなら。


「比較的、今が楽しいかな」


「そうなの?…じゃあ、私が大人になるまで見守っていて。」


「はは、良いよ。出来たらね。」


親御さんが許さないだろうな…。愛想笑いで適当な返事をすると楓が俺の正面に来て真っ直ぐ目を見つめながら再び口を開く。


「冗談じゃないよ、約束。」


「約束か…うん。じゃあ、約束ね。」


まぁ、すぐ忘れるだろう。若干の罪悪感を感じながら彼女の小指に俺の小指を絡ませ、指切りをした。

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