第2話

 異常気象の続く夏…夜と言えども気温は30度前後。山は標高が高い分涼しいと言うが絶えず続く傾斜を登り続けて30分。慣れないこともあって流石に疲れが出てきたようだ。


「待って…。」


 空は変わらず曇っている…が歩き始めてから曇の厚さが変わったのだろう、先程と違い薄明かりが差している。しかしぼんやりとした月明かりで足元を気にしながら山道を歩くことはかなりの労力を使う。普段出歩かず、室内でエアコンに頼り切りの現代人には辛いに決まっている。


「休憩しよ…?」


「…おじさん、体力無い。」


 そう、バテたのは俺だ。


 俺はまだ34歳なんだけど…まぁ、小学生にとってアラサーはおじさんだろう。膝に手を付き、肩で息をすることしか出来ない俺の傍まで来た少女は大丈夫?と俺の顔を見上げている。


「大丈夫…」


 背負って下りてあげよう。なんて考えが甘かったな…木々に囲まれ景色は見えないが、気温が大分涼しくなっている…かなりの高さまで来たんじゃないだろうか?しかし、喉が乾いた。


「おじさん、まだ歩ける?」


「辛い、かな…。」


「もう少し頑張って。道が見えたから。」


「本当?」


 どこ?と少女と同じように上を向く。まだ頂上には遠そうだし、開けた道などは全然見えない。暗いからか?


「ん…?どこ?上の方?」


「あれ。」


 少女が指差したのは数十歩先…赤いビニルのテープが巻いてある木だった。


「いや、分かんないよ!」


「目印なんだから、ちゃんと見付けて。闇雲に歩いても迷うだけでしょ?」


「…はい。」


 まさか職場だけでなく少女にも注意されるとは…。仕事でもよく「周りを見て動け」と言われたのを思い出す。まぁ…もう職場の人間にはすっかり見限られ、そんなことを言われることも無くなってしまったのだが…。ずん、と気分が沈む。肉体的疲労とは別に、身体が重くなった。膝に手を着いたまましばらく項垂れていると少女に手を取られる。


「行こ。」


「うん…。」


 少女は無表情のままぐいぐいと俺の手を引っ張り歩いて行く。いい歳の大人が少女に手を引かれている情けない姿を誰にも見られていないのが唯一の救いだろうか…。



 正しい道を歩き始めて、数十分。登りだった道は下りに変わった。先程よりずっと歩きやすいが足を滑らせて少女を巻き込むと危ないので俺が先に歩き、少女には後ろから着いて来てもらうことにした。


「えっと…。君の名前はなんて言うの?」


 風の音しか聞こえない静かな空間に耐えられず、雑談をしようと話題を振ってみる。この少女は出会ってからずっと無言であり、無表情だった。疲れているのか、会話をしたくないのか…手を繋いで歩いたから俺の事が嫌な訳ではないと思いたいが…。


かえで。」


「楓ちゃん…ね。楓ちゃんは疲れてない?」


「平気」


 会話終了。俺には会話を展開する能力は無い。俺の気持ちと連動するかのように再び空が厚い曇に覆われ、視界が悪くなる。そっか…と歯切れの悪い返事をした所で足元を取られた。


「うわっ!」


 暗くて足元の木の根を見落としてしまった。疲労で持ち上がらない足が引っかかり、バランスを崩し変な体制で着地。足を捻挫し、更に地面に付いた手も擦りむいた。


「大丈夫?」


 楓が上から降りてくる足音を聞きながら俺は痛みで地面に蹲っている。

かれこれもう1時間は歩いている。喉も渇いたし足は普段使わない筋肉が悲鳴を上げ、今新たに出来た怪我と共に痛みを訴えている。大人だから、男だから、とか関係ない。普通に辛い。正直もう歩きたくない。


「無理…。もうさ、助けが来るまでここで待たない?正しい道に戻れたから誰か来てくれるよ」


「ダメ」


 楓は真っ直ぐ俺の目を見て力強くダメと言った。ダメ…ダメか…そうか…。


 俺はダメ人間だからここから立ち上がる気力が無い。


 俺は昔から諦め癖があったし、皆が出来ることが出来なかった。仕事すら書いてある《目印マニュアル》を見落としてしまう。正解がない人間関係は特に苦手だ。人と関わることを避け、独断で決断し《人生》を間違えて、《此処この年》まで来てしまった。挙句の果てには自力で立って正しい道へ戻ることすら出来ないダメ人間なのだ。

会社どころか家にも居場所はない。就活は上手くいかず、親からの重圧から逃げるように地方の会社に就職…植木屋の祖父母の家に転がりこんだ。父の代わりに祖父の仕事を引き継ぐこともせず、やりたいことも無く適当な会社に入ったが故にいつまでも上がらない給料と能力…。同期どころか後輩にもバカにされているのに気付いているが、そこから俺はやり直す術を俺は持ってなかった。そもそも今のように俺は最初から何も持っていない…。こんな道外れた山奥で寝ていた理由は覚えていないが此処に来た理由は覚えている。


俺はこの山にのだ。


「ここで立ち止まるのはダメ。私を送り届けて。…約束、した。」


あぁ、そうだそんな約束をしてしまったな。自分の為には立ち上がれないけど人の為になら立ち上がれるような気もする。そういう事にして己を誤魔化さないと動けない。弱い自分を見て見ぬふりし、自分自身を鼓舞しながらなんとか立ち上がる。楓がキョロキョロしながら少し離れた場所へ歩いて行き、何かを手にして戻ってきた。


「これ、使って」


棒だ。こんな都合よく都合の良い長さの棒が出てくるとは思わなかった。しかし助かる…「ありがとう」と楓から棒を受け取った。


「おじさん、一緒に家に帰ろ」


帰る場所なんてあるだろうか、とりあえず少女を送り届けてからその先を考えよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る