幼馴染をBSSされた先の未来

テノシカ

佐藤亮介

第1話

「え、りょーすけ……?」


 営業先のロビーで担当者を待っていたところ、突然声をかけられた。振り返ると、そこにいたのは明るいブラウンカラーのショートヘアの美しい女性だった。


「お前……美月か……?」


 あの頃よりも髪は短くなっていたし、ハツラツとした雰囲気はすっかり鳴りを潜めて落ち着いた見た目になっていたが、その面影は見間違えようがなかった。


「……こんなところで会えるなんて」


 信じられないという表情で、口元に手を当てながら目を見開いてこちらを見つめる彼女。


「……」


 思ってもみなかった突然の再会に、言葉を失って戸惑う。


 そこに中年の男性がこちらに駆け寄ってくる。


「すいません佐藤様、お待たせしました!」


 そうだ、ここは営業先だった。気を引き締めてビジネスモードに切り替え、担当の方に返事をする。


「い、いえとんでもないです。改めまして○○社の佐藤亮介さとうりょうすけです。この度はお時間いただきありがとうございます」


「それではご案内しますね。……ってあれ?小川さん?お二人は知り合いですか?」


 彼はその場にいた美月に気付いたようで声をかける。


「え、えぇ。そうですね、彼とは昔ちょっと」


 少し慌てながらそう答える彼女。

 ……ちょっと、か。


 担当者の男性は呑気にそうなんですねー!なんて声をあげている。居心地の悪さを感じた俺は、その場をさっさと切り上げるため声をかける。


「はい、学生時代の同級生で少し話してたところでした。……小川さん、それじゃ」


 素っ気なく美月にそう伝えて、担当さんと一緒にエレベーターへ向かう。背後から小さく「あっ……」と聞こえた気がしたが、無視して歩みを進めた。


 それから打ち合わせをどうにか済ませ、ビルを後にする。

 正直、今回の仕事には全く身が入っていなかった。


 目の前に広がるオフィス街とせわしなく行き交うビジネスマンの群れ。


 なんとなく足を止めて軽くため息をついていると、俺の中で蓋をしていた記憶が溢れ出してきた。



 ※



 小川美月おがわみつきは、いわゆる俺の幼馴染というやつだった。

 

 家が近所で、公園で出会ったのをきっかけに幼稚園よりも前から交流があった。


 男女の幼馴染なんてだんだん疎遠になっていくのが普通だと思うが、俺たちの場合は高校までずっと一緒で疎遠になることもなく共に過ごした。


「りょーくん、あそぼ!」

「りょーくん、一緒に帰ろ!」

「りょーすけ、今度あの映画見に行こうよ!」

「りょーすけ、高校は絶対に一緒のとこ行こうね!」


 時間があえば一緒に登下校したり、勉強したり、買い物に出かけたり、お互いの家族総出でキャンプに出かけたり。


 明るくアクティブな性格だった美月は、インドア派であまり積極的じゃなかった俺を色んなところへ連れ出して行ってくれた。


 俺にとって彼女は憧れで尊敬の対象だった。


 そして彼女はとても綺麗だった。小学生の頃から可愛い女子として学校でも評判だったし、成長するにつれてその美貌は磨きをかけていった。


 そんな彼女に俺が恋をするのは、自然なことだったと思う。


 ライバルは多かったようだが、俺の側にいることが多かったので諦める男がほとんどだった。それでもたまに告白はされていたようだが、美月は相手にしなかったみたいだが。


 だから俺は勘違いしまっていたんだ。

 絶対におれたちは両思いだと。

 この先ずっとこんな関係が続いていくのだと。


 しかし改めて振り返れば、ただその関係に甘んじていただけだった。ちゃんと踏み出して、変わることを恐れていたんだ。だからあんなことになってしまったんだろう。



 高校2年生とある頃を境に、突然美月の様子がおかしくなった。


 一緒に帰ろうとしても断られたり、家にも来なくなったし、なんというかよそよそしくなった。何か嫌われるようなことをしたかと省みても、思い当たる節はない。話しかけようとしてもやんわりと避けられてしまって、悶々とした日々を過ごすことになった。


 それからしばらく経った頃、おれは放課後に美月から呼び出された。


 この頃彼女がおかしかった理由がついにわかるんだろう。もしかして告白もあり得るかもしれない、なんて浮かれていた俺は本当にバカだったと思う。


 二人でよく遊んでいた公園のベンチに美月が座っていたので、ドキドキしながら彼女のもとへ立ち寄る。しかし彼女の表情は暗く、これは告白じゃないとすぐに悟る。


 そして美月から告げられた一言は、あまりに衝撃的な内容だった。


「私、柳先生と付き合ってるの」


 耳に言葉は届いているが、全く理解ができなかった。美月に彼氏ができた?しかも相手は先生?


 柳先生は昨年赴任してきた教師で、若くてスタイルも良く、端正な顔立ちから女子生徒たちからも人気があった。少しチャラい雰囲気もあって個人的にはあまり好きになれなかったのだが。


 教師と生徒が付き合うなんてフィクションの世界の話だと思っていたし、しかもその相手が美月であるという事実は、あまりに現実感がなく足元がグラグラ揺れる。


「………いつから?」


 聞きたいことは山ほどあったが、何とか言葉にできたのがその質問だった。


「2週間前くらいから。委員会で話すようになって、それがきっかけで……」

「……柳先生のこと、好きだったのか?」


 美月は下を向いてしばらく黙った後、コクンと頷く。


「最近ずっと避けててごめん。ずっと言わなきゃって思ってたけど、なかなか勇気が出なくて伝えられなかった。ただ、もう恋人ができちゃったから今までと同じようにはいられないの」


 彼女の言葉ひとつひとつが胸に突き刺さる。


「ごめんなさい」


 下を向いていた彼女の足元に涙が落ちる。


 なんでお前が泣いているんだ。

 泣きたいのはこっちの方だよ。

 謝るくらいなら俺のことを選んでくれよ。

 俺たちは両想いだったんじゃないのか。

 よりによって何で相手が教師なんだよ。


 様々な思いが頭の中を駆け巡る。しかしそれらを口に出す強さすらも、このときの俺にはなかった。


「……そうか、わかった」


 お幸せにな、と無理やり声を絞り出して、泣きそうになるのを堪えながらその場から走り去った。


 部屋についてから、今起こった出来事をいくら振り返っても夢としか思えなかった。しかし、あの時の彼女の表情や声はどうしようもなく現実でしかなくて、俺は枕に顔を埋めて思いっきり泣いた。


 翌朝起きても現実は変わらなかった。


 それから俺と美月は前以上に関わることもなく日々を過ごして行った。周りの友人たちには色々心配されたが「ちょっと色々あって」と誤魔化していた。



 そんなある日、急に美月が学校に来なくなった。その頃には完全に会話も連絡も途絶えていたので、体調不良だろうくらいに軽く考えていた。


 放課後家に帰ると、美月のご両親が我が家に来ていた。佐藤家と小川家はたびたび交流があったので、それ自体は別に不思議なことではない。


 しかし、ただならぬ雰囲気が場を支配しており、こちらも神妙な態度で彼らに挨拶する。


 そして聞いてみると、美月が妊娠してしまったらしい。


 相手はもちろん柳先生。教師と付き合って挙句妊娠までしてしまったという事態に、小川家はとんでもない修羅場を迎えたらしい。


 今は美月は部屋でひきこもっているそうで、美月の両親も自分たちでは抱えきれず、我が家に話に来たという経緯だそうだ。


「亮介くん、ごめんね」

 おばさんに涙ながらに謝られた。


 なぜ俺に謝るのか?俺と美月は付き合っていたわけではないし、謝る必要など一つもないだろう。当時はそう考えたが、今思えば俺が美月のことを好きだったのは勘づかれていたのかもしれない。


 いえ、と曖昧な返事を残して自室に籠る。


 美月が妊娠しようが、俺には何の関係もないことだ。そうやって自分に無理やり言い聞かせようとする。しかし美月が柳先生をそこまで受け入れていたという事実はよほどショックだったらしく、しばらくは眠れない日々が続いた。



 人の口に戸は立てられないとはよく言ったもので、柳先生が美月を妊娠させた事実は学校中を駆け巡った。


 それからすぐに柳先生は懲戒免職され学校を去った。美月は停学扱いで子供も堕したようだったが、さすがに学校の居場所もなく登校できずそのまま退学した。


 俺と美月の仲の良さを知っていた友人たちにはかなり慰められた。


「女はアイツだけじゃない」

「教師と付き合うなんて碌な奴じゃなかった」

「付き合ったりしてなくて正解だった」

「お前を裏切るなんてアイツも見る目がない」


 たしかに友人たちの言うことも一理あるのだろう。自分の女を見る目の無さ、女性は思わせぶりな態度をとるんだという不信感、様々な負の感情が俺の中で積み重っていく。

 

 かといって、美月と積み重ねた10年間を簡単に割り切ることもできずにいた俺は、本当に弱い男だと自覚させられた。


 色々と拗らせてしまった俺は、高校を卒業後すぐに就職してから出会いもなく女性との接触を避けていたため、現在に至るまでの10年間恋人ができることはなかった。



 ※



 物思いに耽ってしまっていたが、今は仕事中だ。フルフルと頭を振って、会社に戻ろうと歩みを進める。


 しかしそこに、後ろから声をかけられる。


「りょーすけ!」


 振り向くと、そこに美月がいた。わざわざ追いかけてきたのだろうか。


「あ、さっきりょーすけと打ち合わせしてたのが私の上司で、終わったって声かけてくれて。だから来ちゃったんだけど……ごめん、忙しいところ」


 顔に出てしまっていたらしい。美月はここにいる理由をあたふたとしながら説明してくれた。


「……いや、大丈夫。それより何の用?」


 つい素っ気ない言い方になってしまう。久しぶりだとか、元気にしてたかとか、もっとそれらしい言葉はあったと思う。

 しかしそんなことを口にできるほど余裕を持てない。


「あ……その……」


 そんな俺の態度に少し気押されたようだったが、美月は意を決したように言葉を続けた。


「これ、私の連絡先。ずっと変わってないけど、もしかしたら消されてるかもしれないから……」


 そう言いながら1枚の紙を手渡された。可愛らしいクマのイラストが描かれたメモに彼女の連絡先が書かれている。


「伝えたいことがあるの。もう私の顔なんて見たくもないかもしれないけど……ずっと待ってるから、よければ連絡してください」


「……あ、あぁ」


 そんなことを言われるとは思っていなくて、情けない返事しかできなかった。


「それじゃ、お仕事頑張って。またね」


 美月はそう言ってオフィスへと小走りで戻って行く。俺は手渡されたメモを眺めながら、しばらくその場に立ち尽くしていた。


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