第13話 探している人
ようやくお互いに緊張が解けて率直になれたのか、それを境に二人は様々なことを話した。
フィリップはバーデット伯爵家の長男で、ジュディスより3歳年上。妹が一人いるが、既に結婚が決まっている。バーデット伯爵家は多くの軍人を輩出してきた名家で、父親の当代バーデット伯爵は陸軍大将だが、そろそろ家督を息子に譲って悠々自適の生活をしたいらしい。そういったことをフィリップはごくごく自然に話してくれた。
「ではバーデット様は……」
言いかけたジュディスをバーデットが遮り、少し懇願するような口ぶりで言う。
「できれば名前で呼んで頂けないだろうか。私の名はフィリップ、フィリップ・バーデットです」
「フィリップ……?」
どこかで聞いた名だとジュディスは首を傾げた。フィリップという名前自体はさほど珍しいものではないが、少し前にその名をどこかで耳にした気がする。
「……あっ!」
突然ジュディスの記憶が蘇ってきた。そうだわ、なぜ今の今まで思い出さなかったの。
「貴方はもしや、以前、馬車に轢かれそうになったわたくしを助けて下さった……」
「思い出して頂けましたか?」
ジュディスはうんうんと何度も頷いた。確かにそうだ、この前からずっとフィリップと顔を合わせるたびに以前どこかで会ったことがあるような気がするのだけど、どこだったかしら……と気になって仕方なかったのだ。
「あの時助けて下さったのはバーデットさ、いえ、フィリップ様だったのですね! 嫌だわわたくしったら! ろくにお礼も申し上げないままで!」
「良いのですよ、あの時は私も急いでましたし」
「近衛の時のお姿と違いすぎて分かりませんでしたわ。もっと早くに仰って下されば良いのに」
「あの日は非番で、いとこ達に王都を案内していたのです」
「そうだったのですか。さすがに近衛の制服でいとこ様と王都観光をなさる訳にはいきませんものね」
「でしょう?」
フィリップはそう答えると真面目な顔になってジュディスと向かい合った。
「あの時、貴女はどこか思い詰めたような顔をなさっていましたね。何かお悩み事でも?」
「え、あの……」
ジュディスは回答に詰まってしまった。まさか前の晩に大公ご夫妻のあれを見てしまって、いや、自分から覗いておいて衝撃を受けていたなんて言えるものか。そんなの、わたくしは恥知らずですと全世界に発表するようなものだ。仕方なく曖昧に微笑んで話題を変えようとした。
「少し驚くことがあって、自分はこのままで良いのだろうかと考えてしまっていたのです。でももう吹っ切れましたから、ご心配には及びませんわ」
「そうですか。それは良かった。しかし、このままの自分……なかなかに考えさせられるお言葉ですね。それは今の筆頭侍女というお立場のことで?」
「それもありますが……他にも色々、たとえば……」
「たとえば?」
「わたくし、もうとうに結婚して子供がいてもおかしくない
そこまで言ってしまってからはっとしたように続ける。
「いけない、こんなはしたないこと、フィリップ様にお話しすることではありませんわね、フィリップ様だって殿方ですのに。すみません、忘れて下さい」
どうしてわたくしはいつもこうなんだろう、ジュディスは今更ながら自分の空気の読めなさが嫌になる。
だがフィリップはジュディスの言葉にさらりと答えた。
「私も両親からいつになったら身を固めるのだとうるさく言われて困っているので、貴女の仰ることは理解できるような気がしますね」
「まあ、でもフィリップ様ならすぐにでも素晴らしい花嫁をお迎えできますでしょう?……以前聞きました。その……貴方と結婚したがっているご令嬢が沢山いらっしゃると」
少し目線を落として微笑むフィリップの姿を見ているとレジーナの言葉が思い出される。眉目秀麗なお顔立ちではないけれど、令嬢は皆フィリップ様の花嫁になりたがっている……筋金入りの鈍感な自分でもそれは分かる気がする。
「……確かに、そう言われている部分はあるかもしれません。だが私は……」
「もう心に決めた方がいらっしゃる、とか?」
言いかけて口を噤んでしまったフィリップの後を継いで会話をまとめながら、ジュディスは自分の言葉に胸がかすかに痛むことに驚いていた。
「決めた、という人はいませんが、探している人はいます」
「探す?」
「ええ……大切な思い出を語り合いながら、共に未来に思いを馳せることができる人、を探しているのです」
「は……あ……そうですか」
フィリップの言っていることがいまいち理解できず、適当な返しが見つからないジュディスに向かって、フィリップは静かに言った。
「何を言っているのだとお思いになるでしょう。無理もありません。自分でも馬鹿げていると思います。……でも、どこかにいるはずなのです、それもそう遠くない所に。そしてそれはたぶん……いや今はまだ……」
最後まで言わず言葉を濁したフィリップの姿に、この方も他人には言えない何かを抱えていらっしゃるのだとジュディスは直感した。
「わたくしの口から軽々しいことは申せませんが、きっと見つかると思いますわ。妃殿下がいつも仰るのです、人の縁というものは思いもよらない所で繋がっているのだと。だから全ての出会いを大切にして真摯に向き合わねばならないのだと」
ジュディスが自分に言い聞かせるように言うと、フィリップがほっとした表情になった。
「大公妃殿下は素晴らしいお方ですね、メンデル子爵令嬢」
「ええ、本当に。……それから、わたくしのこともジュディスと呼んで頂けませんか、フィリップ様?」
フィリップの顔が心なしか輝いた。
「勿論です、ジュディス。……そろそろ帰りましょうか」
王宮に帰り着くと、フィリップがジュディスの顔を覗き込んで言った。
「また次の休みもお誘いしていいでしょうか? ジュディス」
ジュディスが頬を染めて頷くとフィリップは素早くジュディスの右手を取って軽く口づけし、去っていった。ジュディスは息が止まって倒れそうだったが、無意識のうちにフィリップの唇が触れた右手の甲を自分の口元に当てようとしていた。だがその時、扉の奥からにまにまとした笑顔で様子を窺っているレジーナの視線に気づくと慌てて顔をつんと反らせて平静を装った。
「ジュ〜ディスちゃんに〜春が来た〜、ラ〜ラララ〜」
「……レジーナ、妃殿下に言わないでよ?」
「あーら、それはどうかしら。うふふ。ああ、お友達の恋の話ってどうしてこんなに楽しいのかしらね』
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