第11話 夕暮れ時の色
大公妃付きの侍女の休みは、月に三日と決して多くない。なぜなら、そもそもお側に置いている侍女の頭数が少ないからだ。
妃殿下はいつも申し訳ないと言って下さるが、当の侍女達は皆、妃殿下が好きでお仕えしているのだし、とりわけジュディスにはそのぶんお手当てが加算して頂けるので願ったり叶ったりなところもあるのだった。
その貴重なお休みの日の午後、なぜか今ジュディスはバーデット少佐と王立公園を散歩している。
(どうしよう……会話が続かない……)
もう何度目か分からない溜息を少佐に気取られないように俯くと、真新しい靴にジュディスの目が止まった。
大公殿下からのお呼び出しから一週間ほど経ったある日、ジュディスの元に箱が一つ届けられた。
「貴女にですって、ジュディス」
そう言ってレジーナから受け取った箱は、ジュディスの両手でやっと持てるほどの大きさで、幅広のピンクのリボンが掛けてあった。
「わたくしに? 全く心当たりがないわ」
「開けてごらんなさいよ」
首を捻りながらリボンをほどき、箱を開けると、そこに入っていたのは一足の美しい靴だった。
「え……」
覗き込んだレジーナが歓声をあげる。
「何これ! 素敵じゃないの! ジュディス、これ一体どうしたの?」
「どうしたも何も……一体どういうことかしら」
それはとても手の込んだ造りの靴だった。素材は抑えた色合いの淡いラベンダー色の繻子で、真ん中がくびれたルイヒールと呼ばれる少し低めの踵、そして甲のところにはレースとサテンのリボンとガラスで作られたメダリオンの飾りが付いている。
薄紙で丁寧に包まれたその上にカードが添えられていた。ジュディスが広げると、こう書かれてあった。
"そろそろお怪我も治られた頃でしょう。気に入って頂けると良いのですが。 B "
思わずジュディスは音を立てて箱の蓋を閉めた。レジーナがびっくりして振り返る。
「駄目、受け取れないわ」
「なぜ?……あら、まさかこの『B』って、バーデット様? ええ、やったじゃないのジュディス!」
「多分そうでしょうね。だからこそよ。頂く理由がないもの」
「はい? 何を言ってるのよ? もう、貴女ったら本当に融通がきかないんだから。いいこと、ジュディス。貴女、自分の年齢を考えてみたことある? もうとうの昔に結婚して、子供の一人や二人いてもおかしくないのよ? ましてやお相手があのバーデット様だなんて……羨ましくて憎らしくなるぐらいだわ」
「止めてよ、レジーナ。わたくしは一生、妃殿下のおそばにいたいの。結婚なんてまっぴらよ。それにバーデット様だってそんな意図はないと思うわ。……そう、この前わたくしの古い室内履きをご覧になって、可哀相に思われたんでしょう、たぶん。であれば尚更頂く訳にはいかないわ」
そんな単純な理由な訳ないでしょ、となおも食い下がるレジーナから何とか逃れて、明日この靴は返しに行こうと思っていたジュディスだったが、話は意図せぬ方向へ進んでいった。
夕食後、寝椅子で刺繍をされていた妃殿下が、ふと思い出したようにこう言われたのだ。
「そろそろ貴女の靴を作らなければね、ジュディス」
「えっ」
「えっ、じゃないわ。この前失くしてしまった靴は結局見つからなかったのでしょう? 足の具合も良くなったようだし、新しい靴が必要だわ」
だがジュディスは困惑した様子でもじもじしたまま何も答えない。やがて蚊の泣くような声で言った。
「実は……」
そして昼間の出来事を聞かされた妃殿下は、にっこり笑ってこう仰った。
「その靴を見せて頂戴、ジュディス」
「はい……」
そしてバーデットから贈られた靴をしげしげと御覧になった。
「素敵な靴じゃないの。履いてみて。まあ、ぴったり。ジュディス、これは頂いておきなさい」
「でも、妃殿下」
「駄目よ、これは命令です。……ジュディス、貴女の独立心と自尊心は尊敬に値するけれど、それと人の好意を無碍にすることは全く違います。たとえバーデット少佐が貴女の古い室内履きを見て気の毒に思われたからだったとしても、これは貴女に似合うものを真剣に探して贈って下さったのだと思うわ。であれば、有難く頂戴してそのお気持ちに応えるべきではなくて? 頂く理由がないからお返ししますなんて、無礼極まりなくってよ」
「そうでしょうか」
「そうよ。わたくしは貴方が侍女になってくれて本当に感謝しているし、いつまでも側にいてほしいと思っているけれど、自分で自分の世界を狭めてしまっては駄目。せっかく宮廷にいるのだから、沢山の人と交わって、ご縁を繋いで頂戴。そのすべてが貴女の人生にとってかけがえのない宝石になるのだから」
「はい……」
妃殿下の仰ることの全てが腹落ちした訳ではなかったが、次の日ジュディスは丁寧な礼状を認め、その最後にこう書き添えた。
わたくしは王立公園の並木道を散歩するのが好きです、と。
果たしてどこから情報を入手したのか、その週の休日の前日に狙いすましたかのようにバーデット少佐から散歩の誘いがあり、勇気を振り絞ってその誘いを受けてみたのだが……。
肝心の少佐が、ほとんど口をきいてくれない。何か言いかけようとしてはジュディスの顔をチラッと見て口を噤んでしまう。
ジュディスも殿方と二人きりで会話することなど今まで仕事以外ほとんどなかったため、何を話して良いのかさっぱり分からないのだ。
(やっぱりお断りすれば良かった……)
何ともいえない微妙な沈黙を抱えたまま並木道の端まで来てしまったところでベンチを見つけたジュディスはバーデットに提案した。
「あの、座りませんか?」
バーデットがほっとしたような顔をしたのを見て、ジュディスはまたしても心の中で大きな溜息をついた。
並んで腰かけても、相変わらず少佐は何も言わず、ジュディスのほうを見ようともしない。
(やっぱり、わたくしがあんまりつまらない人間だから、失望なさったのよね……妃殿下のこと以外お話しできるようなことがほとんどないのだもの。そりゃあ退屈だわ……)
必死で会話の糸口を探していたジュディスは、足元を見つめながらふと口にした。
「この靴……」
「気に入って頂けましたか!?」
途端に食い気味に答えたバーデットに驚きながら、ジュディスは言葉を続けた。
「え、ええ、とても綺麗ですね。ただ……」
「ただ?」
「……何故この色をお選びになったのかと……自分ではまず手にしないような色ですから」
淡いラベンダー色の繻子など、とても高価な素材だろう。それを惜しげもなく靴にするなど、自分の境遇ではまずありえない。
俯いてしまったバーデットの様子を見て、頂き物にケチをつけるような言い方だったかしら……とジュディスは少し心配になったが、やがてバーデットは顔を上げるとこう言った。
「貴女の髪に似合うと思ったのです」
「髪?」
今日初めてバーデット少佐と目を合わせたジュディスは、その瞳が熱っぽい輝きを帯びていることに困惑した。
「貴女の髪にこの色を合わせたら、まるで夏の夕暮れ時の空のようではないですか。きっととても美しいだろうと思ったのです……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます