第4話 秘めごと*

 *大公夫妻の性的表現があります。苦手な方はブラウザバックをお願いします。



 その夜、ジュディスは大公ご夫妻の寝室の前に座っていた。

 侍女と侍従の仕事の中に、不寝番ふしんばんという不思議なものがある。

 文字通り、主人の寝室の前で一晩中一睡もせず番をするのだ。


 これは交代制なのだが、大公妃はあまり多くの侍女を置かれていない。当然、番が回って来る回数はどうしても多くなる。


「皆に負担をかけてしまって、ごめんなさいね。わたくしも大公殿下もこの職務に何の意味があるのか疑問なのだけど、しきたりである以上どうしようもなくて」


 あの灰緑色の瞳で申し訳なさそうに謝られてしまっては、やりたくないなどと口が裂けても言えるものか。

 それにジュディスは心のどこかでこの不寝番を有難く思っている部分もあった。というのも、不寝番は時間外扱いになるので、通常の給金と別にお手当が頂けるからだった。


 メンデル子爵家にはジュディスの下に年の離れた弟が二人いて、それぞれ士官学校と大学に行きたいと言っている。

 士官学校は成績優秀であれば学費はかからないが、制服や同級生との付き合いなどにそれなりに金がかかるし、大学も奨学金だけで賄うには無理がある。

 それに何より、弟達にはお金の心配をせずに思い切りやりたいことを学んでほしい。だからジュディスにとってお手当は貴重な収入源であり、他の侍女が嫌がる不寝番もどこか嬉々としてこなしている部分もあった。


 夜もかなり更けた頃、ジュディスは扉の向こうから微かな声が聞こえてくるのに気付いた。

 声、というよりは、苦しそうな呻き声に近いだろうか。

(妃殿下のお声……かしら?)

「……ぁ……ロ……レンス……はぁ……っ……ぁぁ……」

 大公殿下のお名前を呼ばれているということは、殿下がお側にいらっしゃるのだろう。でも大丈夫だろうか。

「……リリ……ヌ……もっと……」

 いつも冷静な大公殿下とは違う、切羽詰まったお声も切れ切れに聞こえてくる。

 ジュディスは心配で堪らなかったが、不寝番は主君から声をかけられない限り、こちらからノックしたり、扉を開けることは許されない。

「ぁぁー……ぁ……っ!」

 さきほどよりも更に少し高い妃殿下のお声が聞こえてきて、思わずジュディスは椅子から立ち上がった。

(どうしよう、何が起きているの? 誰か人を呼んだ方が良いかしら? でも、下手に大事おおごとにしたらお二人にご迷惑をおかけしてしまうわ……)


 王宮の建物は古くて所々建て付けが悪い。ご夫妻の寝室もドアのところに細い隙間がある。

 扉の先で何が起きているのか気になってどうしようもなくなってしまったジュディスは、思い余ってその隙間から中を覗いてしまった。


 そこで繰り広げられていたのは、あまりにも衝撃的な光景だった。


 お二人とも一糸纏わぬお姿で、妃殿下は寝台の上で四つん這いになり、腰を高く上げられている。大公殿下は妃殿下の脚の間で膝立ちになり、ゆっくりと腰を動かされていた。

 血管が浮き出た筋肉が盛り上がる殿下のお背中はうっすらと汗をかいている。

 妃殿下の長い黒髪がほどけて広がっている。お顔は枕に押し付けられていて窺い知れないが、前に伸ばされた手が時折シーツを固く握りしめ、拳が震えるのがわかる。


「……ぁ……だめ……そんな……ローレ……わたくし……もう……」


 その悲鳴のような声を聞くと大公殿下は上体を倒し、妃殿下の背中に覆い被さるような体勢を取られた。そのまま妃殿下のお顔をご自分のほうに向かせ、激しく唇を貪られる。殿下の腰の動きが深く、激しくなった。

 妃殿下の目尻には涙が滲んでいたが、その表情は苦しさの中になんとも表現しがたい恍惚としたものが感じとられた。


「ぁぃ……てる……リリアーヌ……あい……」

「ロー……レ……ス……わた……も……ぁぃ……てま……す……」


 気が付くとジュディスはずるずると床に座り込んでいた。ほんの少しだけ残った理性をかき集めて、なんとか再び椅子に腰かける。視界がぐるぐると回るような気分だ。


 細い隙間から覗いた薄暗い室内の様子だったので、はっきりとは分からない部分も多かったが、見てはいけないものを見てしまったことは理解できた。


(まさかあれが、夫婦の営みというもの……?)


 ジュディスは来年には二十歳はたちを迎えようとしていたが、恋愛や結婚には全く興味がなかった。

 子爵家の大黒柱として弟達を立派に成人させなくてはならないし、もとより結婚して妃殿下のお側仕えができなくなるなんてまっぴらごめんだ。

 寄宿学校の同級生の中には卒業と同時に結婚したり、もう既に子供が何人もいることも珍しくなかったが、ジュディスは自分には遠い世界のことだと思っていた。

 そのため男女の睦事についても疎く、ぼんやりとした知識しか持っていなかった。

 初めての時は痛いとか、殿方の子種が自分に注がれるといったことは本で読んで知ってはいたが、それがどのように行われるのか具体的に知る機会などなかったのだ。


(妃殿下も大公殿下も、わたくしの知っているお二人とはまるで違うご様子だったわ。そう、まるで獣のような……ああ)


 思わず両手で顔を覆うが、先ほどの光景が目に焼き付いて離れない。忘れようと頭を振っても、その度に生々しい記憶が蘇ってくる。そして……なぜか疼くのだ、身体の奥が。

(忘れるの……何も見なかったのよ……考えては駄目……忘れるのよ……)

 その夜が明けるまで、ジュディスは椅子の上で身を屈め、両手で自分を抱き締めるようにして、長い時を過ごした。


 不寝番の翌日は、半日、休暇が与えられる。

 今日の休暇はとりわけジュディスには有難かった。

 あんな光景を見てしまった直後とあっては、どういう顔で妃殿下にお会いすればいいのか、整理がつかなかったからだ。

 仮眠を取ろうとしても目が冴えてしまってどうにも眠れず、仕方なくジュディスは王宮を出て、街へ向かった。

 流行りのカフェに入ってみようかとも思ったが、やはり気乗りしないので止めた。

 あてもなく街をぶらぶら歩いていても、昨夜の出来事が頭から離れない。そのくせ妃殿下のことがどうしても気になってしまう。


 菓子店の前を通りかかれば、

(このお菓子、妃殿下にお土産でお持ちしたら喜んで下さるだろうか)


 キオスクに目を向ければ、

(新聞の社交欄に妃殿下の記事が載ってる……ご一緒に読ませて頂いたら楽しそうだわ)


 何を見ても妃殿下に繋がってしまう。


 一時間ほど街を彷徨った後、ジュディスは諦めた。


 結局自分はとにかく妃殿下のことが大好きで、お側にいたいのだ。それにたぶん、大公殿下のことも、どちらかというと好きになっている気がする。

 自分の大好きな方とちょっとだけ好きな方がご夫婦で、いつもあれほど仲睦まじくいらっしゃるのだから、が自然な姿なのだろう。だったら、もう考えるのは止めよう。


 王宮に戻ろう、と道を渡りかけたその時。


「危ない!! 」


 轟音と共に、馬車が猛スピードでジュディスのほうへ向かって来ていた。

 馬が暴走している。


 逃げなきゃ……と頭では思うのだが、身体が固まってしまって動けない。その間にも馬車はこちらに近づいてくる。


 轢かれる……と目の前が真っ暗になった瞬間、強い腕がジュディスを引っ張って路地へ倒れ込んだ。


「え……?」

「お怪我はありませんか?」


 一人の青年がジュディスを覗き込んでいた。


「わ、わたくし、馬車に……」

「ええ、危ないところでした。全く、なんて御者だ」

 そう言いながらその青年はジュディスの肩を抱いたままなのに気づいて両腕をぱっと離した。


「あっ、あの、ありがとうございます。助けて下さって……あの、改めてお礼を……貴方のお名前は……」


 だがその時、表通りから青年を呼ぶ声が聞こえた。

「おい、フィリップ、置いてくぞ!」

 それを聞いた青年はジュディスを助け起こすと、軽く頭を下げて走り去ってしまった。呆然と立ち尽くすジュディスを残して。


(フィリップ、という名でいらっしゃるのね……)


 だがそれ以上、思索に耽る暇はなかった。教会の鐘が鳴って、ジュディスは現実に引き戻された。


「いけない、王宮に戻らなくちゃ!」


 そして慌てて泥だらけになったドレスの裾を持ち上げると走り出したのだった。

 この一瞬の出会いが自分の人生を大きく変えるものになるということになど微塵も気づきもせず……。

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