第11話 エア・ヴィークルとは

 寒い……。

 物理的にも寒いが、精神的にも寒い。大の男が、エア・ヴィークルで空中高く躍り上がって、何を大声で罵り合っているのか。

 そうはいっても、元を正せば、自分の鞄がきのえのエア・ヴィークルに引っかかっているのが問題なのだ。文句を言える立場ではない。


 ちなみに物理的に寒いのは、冬物のクラシカルロリータ装備の中で、防寒具は肩から羽織ったケープ一枚という状態だからである。

 元々、透き通るような色白のエリーゼは、寒さに益々青ざめて、顔が真っ白に見えた。顔色が悪い事、引っ込み思案な性格故に存在感が薄い事、養母の趣味で可愛らしいロリータ服を着ている事、……などなどで、口さがない貴族の令嬢達の品のない一部には、エリーゼは「幽霊みたい」と陰口をたたかれている。

 エリーゼ本人、夜中に暗い部屋で窓や鏡を見た瞬間、「幽霊の女の子!?」と自分の影を見間違う事もあるぐらいだ。

 それぐらい、可愛い事は可愛いが、貧相で頼りなく、気弱に見えるタイプであるから、アスランが気にするのも無理はなかった。


「エリーゼ!? 大丈夫か、貧血を起こしそうじゃないか!!」

「あ、いえ……大丈夫……です」


 あんまりエリーゼが大人しいので背後を振り返ったアスランが、彼女の顔色を見てそう叫んだ。

 気にしてくれるのはありがたいが、頼むから前を見て運転して欲しい。


 勿論、エリーゼは、エア・ヴィークルどころか、機動軍馬ヴィークルの免許を取る資格が、年齢的にもないために、機動軍馬ヴィークルのからくりや交通規則などを知っている訳ではない。だが、見ていてわかる事もある。


 機動軍馬ヴィークルはその名の通り、軍用の馬をモデルに開発された鋼の乗り物である。頑健な馬に酷似した姿形を持つのはそのためだ。

 基本は四本の足を持つが、稀に”スレイプニール”と呼ばれるシリーズなどで八本足などもある。

 手綱のかわりに首の周りから特殊なチェーンが伸びており、それと、鐙がわりのアクセルで、操縦するらしい。チェーンもアクセルも一定量の魔力を体からこめることで動かす事が出来るようだ。


 エア・ヴィークルになると、機動軍馬ヴィークルの蹄の部分から何らかの反重力の魔力を自由自在に出す事が出来るらしい。それも、チェーンとアクセルの操作によるようだが。

 機動軍馬ヴィークルの殆どは鉄製か鋼製になる。その重量たるや、人一人簡単に殺せそうな勢いだが、それもあってか、庶民にはまだ広まっていない。魔法になじみの深い上流階級の乗り物が、機動軍馬ヴィークル機動軍馬ヴィークルによる馬車である。


きのえ……大人しく、エリーゼの鞄を返せ。そして今すぐエア・ヴィークルから降りて、近衛府に出頭しろ!」

 アスランが、うなるような声を上げる。


「やなこった」

 それに対してこちらはあくまで軽くふざけているような口調だったが、内心は焦っている様子なのが、きのえが忙しなくチェーンを握り直す仕草でわかった。


「エリーゼに謝れ!」

「お前何そんなにムキになってんの?」


 怒るアスランに疑問符をぶつけるきのえ


「何で怒られてるのか、わからねえのか、お前はぁあああ!!」

「いや全然。俺、何かしましたか?」


 平気でそんなことを言われたもんだから、アスランは、一瞬ぶち切れそうになったようだった。だが、それがきのえのよくある煽りの手口と気がついて、次の一瞬には平常心を取り戻した。


「何をしたか忘れたのなら、思い出させてやる。エリーゼ、しっかり捕まってろよ!」

「は、はいっ!!」

 言われるがままに、エリーゼはアスランの背中にしがみついた。何かするだろうとは思ってた。


 アスランが鐙の位置にあるアクセルを踏みならすと、エア・ヴィークルは風を越したような速度できのえの方に接近する。

 それぐらいは予測していたきのえは、エリーゼの鞄を自分の肩にかけて守り、そのままエア・ヴィークルを真横に走らせ、右方向に走り出す。


 そのとき、アスランは呪文を唱えていなかった。


 チェーンを一体どういうふうに操作したのか、背中にしがみついていたエリーゼにはわからない。


 アスランのエア・ヴィークルの馬の頭部、その口から、光の球が発射された。

 きのえにしてみれば、全く意表を突かれた攻撃だったらしい。


 アスランの呪文ならばほぼ網羅して、見切りをつけることが出来るきのえ。だが、エア・ヴィークルの性能自体はよくわかっていなかった……ということか。


 急激な明るさに視力を奪われ、一瞬、硬直するきのえ

 そこにアスランのエア・ヴィークルがぎりぎりまで接近し、アスランは、片手運転で……きのえの頭を鞘でどついた。


「思い出せッ!! エア・ヴィークルは、近衛府の軍事機密だ!! アルマ様の私兵の忍者が、なんで近衛府の軍事機密かっぱらって暴走してるんだよッ!! 主君のためにも落ち着け馬鹿野郎!!」


「あ……そうでしたね」


……そういうことである。

 新型の軍事機密の演習は、近衛府でしていたため、アスランは動かし方がよくわかっているが、きのえの方は見よう見まねであるらしい。


「エリーゼの鞄、返せ!! 早く!!」

 エア・ヴィークルにエア・ヴィークルをぎりぎりまで寄せて、アスランはきのえに詰め寄った。

 何となく、エア・ヴィークルを取り返すよりも先に、エリーゼの鞄を取り返して、安心させたいようにも見える。


「あ、アスラン様。お気遣いなく。それよりも、軍事機密の方が大事です」

「ダメだ。今すぐ、きのえをエリーゼに謝らせる!! こういうことは曖昧にしちゃだめなんだ!!」

「わ、私の事なんか……」


「エリーゼ」

 アスランは、またしても背後のエリーゼを振り返った。


「俺の前で、俺の仲間が自分の事を、”なんか”なんて言うな。俺はそういう言い方は嫌いだ。自分の事は自分で大事にしろ」

「……」

 真っ赤になって何も言えなくなるエリーゼだった。転生する前からも転生してからも、そんなことは初めて言われた。


 さっきまで凄く寒かったのに、今は顔が熱いぐらいだ。


「エリーゼの鞄を今すぐ返して、彼女に謝れッ!!」

「嫌だ」

 ところがそこで、きのえはそう反応し、エリーゼの鞄をアスランから反対側の脇に隠してしまった。


「何子どもみたいな駄々り方してるわけ!?」

「絶対嫌だ。返さない!!」


 恥ずかしいぐらいに頑迷に、きのえはエリーゼの鞄を手放すまいとする。アスランは流石に苛立ってきて、きのえにまた鞘でもう一発ぶん殴ろうかと考えているようだった。

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