第3話 決戦の前準備

 神聖バハムート帝国 神竜暦905年、2月。

 帝都シュルナウ--。


 五年間続いた魔大戦の苦悶を乗り越え、自由と平和を取り戻した帝都の花櫚通りクイッテンウェグは、平日だというのにかなりの賑わいであった。


 その名の通り、昔は、店先や大店の庭に、花櫚かりんを植えて、店の裏には大抵、樫の木が植えてあったそうだ。

 これは、あくまで、バハムート語の格言ではあるのだが、「金は貸すが、借りない」という意味なのだそうだ。商売繁盛の縁起を担いでいるのである。

 名の通る店はどこも競い合うように、「金は借りん」の意味の見事な花櫚の木を植えて育てていたのである。

 だが、近代に入り区画整理などの国の事業が始まってからは事情が変わってきて、今では、機動馬ヴィークルやそれを利用した馬車用に整備された広々とした道路の両側に、花櫚の街路樹が綺麗に整列して植えられている。

 花櫚通りクイッテンウェグの表通りは花櫚の花期である春に来ると目にも鮮やかな美しい淡紅色の花が楽しめるのだそうだ。今は冬だから想像するしか出来ないが。


 どうしてかはわからないが、エリーゼの知っている限り、神聖バハムート帝国や他の文化圏でも、自動車は開発されていないらしい。そのかわり、馬に似せた形の機動軍馬ヴィークルを軍部が開発し、それが次第に民間に広がっているようである。

 機動馬ヴィークルを繋いで快適な馬車を作るところまでは出来ているようだが……。

(なんで、自動車が開発されないのかなあ。軍部だって、戦車とか、そのうち思いつきそうだけど。やっぱりそういう発想って、大事なの? それとも単純に、法律や常識の問題で、発想はあっても開発出来ないとかそういう事なのかしら)

 エリーゼは快適で清潔な歩道を歩きながら考え込んだ。

 実際に、花水晶クロリスを利用した機動軍馬ヴィークルが車道を駆け巡っている。騒音はほとんどせず、排気ガスをまき散らす事もない、そういう意味では安全な乗り物だ。


 少し目を移せば、現代日本の都会と遜色がないほどに、高くてファッション性に富んだビルがいくつも並び、その下の階には、ありとあらゆるブランドの店が入っていた。服から美容コスメ、宝石、アクセサリー、何でも見る事が出来るようになっている。


 エリーゼは仮にもアンハルト侯爵令嬢であるから、店の前で身分を明かしさえすれば入る事は出来るだろうが、さてそこからして冒険だ。

(や、やっぱり、お養母様に連れてきて貰った方がよかったかな……)


 何しろ異世界からの転生者という引け目もあって、ろくすっぽ友達がいたこともなく、オタクっぽい引きこもりで、侯爵令嬢としての衣装だけはいいが、この手の店に一人で入った事などなかった。

 当然、店の常識やら、ルールやら、暗黙の了解など何にもわからないのだ。


 だが、エリーゼの頭の中では、アスランにバレンタインのプレゼントを用意するといったら「これぐらいの店」という先入観があり、中学生が気張って、一流ブランド宝石店が並んでいるような通りに出しゃばってきてしまったのである。


(お養母様に図書館に行くって嘘ついて来ちゃったけど……やっぱり、家に帰って頼み直した方がいいだろうか……だけど、アスラン様とのことを、色々根掘り葉掘りされたら辛いし、恥ずかしいし……お養母様は、アスラン様はやめておきなさいって言うかもしれないし)

 また頭の中で四の五のと考え始めるエリーゼ。

 通りの真ん中に突っ立っていたら通行人の邪魔になるとようやく気づき、隅っこの方に自動的によっていく。


 そして今更気がついた。

(重い子と思われたらどうしよう!)


 正直、エリーゼが重いか軽いかといったら、重い方には入るだろう。前世が前世で、今の人生でも両親の伯爵夫妻は魔大戦で戦死していて、その後、戦友の侯爵家に引き取られている養女なのだから。

 軽いと言われる筋合いはない。

 だが、エリーゼはそういう自分の属性を考えて、その自分がいきなりバレンタインに高額のジュエリーを持っていってプレゼントした場合、かなり、アスランの方から嫌がられるんじゃないかと思いついた。

 思いついたら元の根暗で引っ込み思案な根性が出てきて、だんだんだんだん、そうとしか思えないようになった。

 優しいアスランは断りはしないだろうが、内心で、「暗くて重くてダサい……」と思うかもしれない。

 そう考えたら泣きたくなって、エリーゼは今更、通りを後ろの方に向き直り、トボトボと自動的に徘徊し始めた。


 とにかく、おしゃれできらびやかで素敵な空間ではあるのだが、「私のようなネット炎上一家心中両親戦死の不吉な娘がいていい場所じゃないわ」と勝手に思い込んで、とにかく、宝石のようなキラキラから逆方向に歩き始めたのであった……。


※ オタクはリア充に弱いのは本当。


 そのまま小一時間も一人でまっすぐ通りを後ろの方に歩いたであろうか。

 何やら軽快な音楽が聞こえてきて、それが魔法のものであることに、エリーゼはすぐに気がついた。

 魔法で、先ほどから、軽快で楽しげな恋歌の数曲を、何でもリピートさせている。


(! 有線、っていうのだ。きっと。有線で、今の流行歌を通り全体に流して空気をアゲているんだ。さっきと、随分雰囲気が違うなあ。なんだろう、ここ……)


 神聖バハムート帝国にも流行歌、POPSなどはあるわけで、それを恐らく音楽に関する魔法で、日本における有線のように使っているようだった。

 エリーゼは流行歌などはよく知らなかったが、曲を聴いていると次第に落ち着いてきたし、周りを歩いている人達も、自分と年の近い若い女の子や少女が多い事に気がついて、先ほどの威圧感の事は忘れる事が出来た。


 要するに、花櫚通りクイッテンウェグといってもとにかく広く、その中でも若者向けの街に一人で迷い込んでしまったのである。

 だが、それがかえって良かった。自分と同じぐらいの年齢の女の子達が群がっている、店先などをチェックすればいいのだから。今、何が流行っていて、何が好感度が高いのか。


 中学生~高校生ぐらいの女子達が色めき立ちながら追いかけているもの。

 それを、追いかければ、「多分うざがられる事はないはず!!」


 ……エリーゼはあまりに他力本願の事を考えた。だが、いきなり、自分なりの判断で知識もないのに高級ブランドを買って重い子と言われるよりはマシだろう……。

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