第30話 あなたは日本人ですか?

(くそっ! どうしてこいつらは毎回同じタイミングでコンタクトしてくるんだ!?)


 キセナからのメッセージを処理しながら、ネオンと通話するユーゴ。


(こんなことなら髪を乾かす前に端末を見るんじゃなかった!)


 現在のユーゴはパンツ一丁、髪は濡れっぱなしの風呂上がり直後だ。今はホカホカと汗をにじませて湯気を立てているが、数分もすれば冷えてくる。それまでに片方は打ち切りたい――と思っていたらキセナの方が襲撃者の調査依頼をしてきた。


『少し待て』と返信する。


(ありがとうキセナ! メッセージにしてくれて!)


 ネオンとの通話は繋げたまま、身支度を整えていく。

 ユーゴもユーゴで気になっていることがあった。あの竜骨結晶の生えたスケルトンは何なのか。なんだってデュナミス次席が監督員なんかやっていて、しかもあのスケルトンとの交戦に割り込んだのか。


 そんなだから、キセナとネオンがなぜコンタクトしてきたかなんて、これっぽっちも考えていなかった。



   ☆



 日が暮れた。夜空の星は、地表よりも少しだけ近い。

 最低限の街灯だけが点いた寂れた商店街に、一人の男が居た。


(くそっ、ネオ・アイチでの拉致は失敗したが、あのネオン・キサラガワとかいうヤツはこの村で暮らしてるんだ……。諦めねぇぞ、俺は絶対にアルター・エドに帰るんだっ!)


 派手に動いたせいでもうネオ・アイチで活動するのは難しいだろう。だが、ネオ・アイチでの活動が難しいのは向こうも同じだ。同じ、パンタレイグループから来た人間なのだから。


(まだチャンスはある……。ここで、ひっそりと息を潜めて、準備をする)


 きっと息苦しい生活になるだろうが、それでもネオ・アイチでの無味乾燥な生活よりはよっぽどマシに思えた。

 がらんどうのシャッター商店街で、潜伏場所を見繕う。男は誰もいない道の真ん中をゆっくり歩いていた。右も、左も、二階か三階建ての古びた店舗付き住宅ばかりだ。店構えの面影はしつこくこびりついており、何の店だったかは大体わかる。


(あそこは精肉店、そっちは衣料品か。拠点にするなら電気屋がいいだろうな)


 電気屋の特徴は、電気屋らしくネオンライトや電光掲示板を用いた看板、テレビを店頭に置くための台、あるいはショーウィンドウか。


 こつん。


 不意に、男のものではない音が商店街の静寂を揺らした。

 幽霊などは信じていない男だが、自分が追われている自覚も、やましいコトをしている自覚もある。背骨を素手で握られるような恐怖に後ろを振り返る。


 何も見当たらない。

 切れかけの街灯がチカチカと明滅する。

 前髪を揺らす微風は、カビと埃の匂いが混じったただの空気。やけに冷たかったり、湿っぽかったりはしない。


「なんだ、…………気のせいか。ははっ」


 自分を落ち着かせるように声に出して、男は前を向く。




 居た。




 鈍く輝く、赤い切先を向けた人間が立っていた。

 距離は、そう近くない。十メートルくらいは離れているだろうか。


「誰だ?」


 男は心底驚いたが、それによって声が裏返ったり、ビクリと震えるほど腑抜けてはいなかった。


 刀を構えた相手は答えない。

 顔は仮面で隠されているが、後頭部で束ねられた、艶やかな漆黒の髪が風に揺れていた。全身を覆うような外套の上からでもわかる身体の起伏。筋肉もある。しかし胸もある。


(女か?)


 男はゆっくりと両手を挙げながら、問いかけを続ける。


「俺に何か用か?」


 少なくとも、パンタレイグループが遣わした使者や処刑人ではなさそうだ。

 見たことのない刀。有住グループ側の人間だろうか。素性や足取りを掴まれるような動きはしていない自信があった。街中の警戒が強まる程度かと予想していたが、ここまで早く辿り着かれたのか。


「噂に聞く、有住グループの執行者アポリアの方ですかね?」


 抵抗の意思はないと示す。

 両手を挙げたまま膝をつく。もっとも、この体勢からでも油断した相手一人に不意打ちを喰らわせるくらいはできるのだが。


(さぁて…………どう出る?)


 返事は短刀だった。


「あっっっ、ぶね!」


 これまた見たことない、翠の刀身の短刀が肩口を狙って投げつけられた。

 だが、それが見えているのだから、男はきちんと避けている。大きく上体を反らしながら、限界まで身を捻ることで、かろうじて。


「まだ、諦めていない目ですね」


 初めて相手が口を開いた。女の声だ。涼やかで透明、硬質だけど穏やかさのある、

天然の水晶のような声だと感じた。


(対話の意思があるのか?)

「ええまあ。だけど生き物ってのはそういうモンでしょう?」

「ふっ。まるで諦めた人間は死んでいるのと同じ、とでも言いたげですね」

「死にたくねえんですよ」


 女は沈黙した。

 表情は読めない。切先はブレない。だが、殺気が薄らいだ。何かを思案している様子だ。


(なら、動かねえ方がよさそうだ)


 男は女が再び口を開くのを待つ。

 地面についた膝から、冷気が伝わってくる。春とはいえ、夜風はまだ冷たい。

 腕も上げっぱなし。血が指先まで行き渡らず、凍りそうなくらい痺れてきた。


 どれくらいの時間、待っただろうか。

 ようやく女が口を開いた。


「あなたは、日本人ですか?」


 質問の意図がわからなかった。回答の是非で処遇が決まるのだとしたら、この女は出身で殺すか決めるというのか。あるいは、主義主張か。この問いには思想の片鱗、女の持つ独自の哲学を感じられたが、肯定と否定のどちらで答えるべきかは見当もつかない。

 だから、正直に答えることにした。


「そうですよ。俺は日本から来ました。いわゆる密航者ですがね」


 女は一切動いていない。しかし、存在の圧力が増した。

 どうやら、あまり良くない回答だったらしい。


(やれやれ、女ってのはいつもそうだ。察してくれなきゃすぐキレる)


「『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』」


 突然、女が何かを詠唱し始めた。


「私たちは『全世界の』人たちが『ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認』したんじゃないんですか」

「何です、それ?」


「『日本国憲法』」


「あなたも日本人だと言うのなら、どうしてEXSなんか持ち出したんですか。なぜ恐怖を振り撒いて、理不尽を押し付けるんですか!」


 女が刀を取り上げ、上段に構えた。


「待て待て、俺を殺すのか? 俺はまだ誰も殺しちゃいないぜ?」


 女はゆっくりと首を横に振った。


「『撃っていいのは、撃たれる覚悟がある者だけ』そして自分は撃っていないから、撃たれる覚悟もない、とでも?」


 女が言葉を続ける。


「違いますよ」


 滔々と。


「あなたは私たちに銃口を向けた。たとえそれがオモチャだろうと、弾が籠められていなかろうと、安全装置が降りていようと。ただ銃口を向けたという事実だけで、撃たれる理由としては十分すぎるでしょう」

「ふざけんな……っ」


 まだ彼我の距離は十メートル近くある。

 男は即座に手を降ろし、懐から拳銃を抜く。


 拳銃を抜いた手は、そのままの勢いで並んだ店舗のシャッター手前まで飛んでいった。


「は?」


 血が溢れる。

 右腕の先から、真っ赤な命の熱が流れ出していく。


 目の前には、刀を振り抜いた女が立っていた。


「なんだ、それ…………」


 斬られた。

 銃を抜くより速く。十メートルの距離を詰められた。銃口を向けることすらできなかった。


「なんなんだよ! 理不尽じゃねえか!」

「はい。最後に言い残すことはありますか?」

「…………俺は、死ぬのか?」


 女は静かに頷いた。


「そうかよ。やれよ」


 男は項垂れて、首を差し出す。


(リョーゴ……お前は俺みたいになるんじゃねえぞ…………)


 音は無かった。空気を裂く音すらも。

 静かに、刃が真っ直ぐ動いた。


 重力に引かれて、頭が落ちる。


 遅れて、身体がくずおれた。

 首から二枚一組の金属板が滑り落ちる。


『リューガ・カヤガヤ』


 その金属板には、名前が刻まれていた。

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