第29話 エレベーター再起動作戦:失敗

「なんだ? 確かにさっきまで……」


 人間が肉塊に変わる瞬間を妄想したのは、ほんの一瞬だ。その直前には、確かに掌中にあることを確認している。

 焦りよりも先に疑問が湧いて、立ち止まり、確かめる。

 家の鍵を確認するような、ごく自然で、日常的な仕草。EXSの掌をカメラのある顔に近づけ、体液でも付着してないか見て、来た道を手前から奥に視線を流し、落っことしていないか見て、左右の路地や物陰にないか、上の方に引っかかってないか見て回ろうとした。

 男は、完全に油断していた。


 突然視界が揺れる。

 正面ディスプレイにぶつかりそうになったかと思えば、離れていって空が見える。


(空……? まずいっ!)


 2RSの視界で空が見えるということは、EXSの操縦席からはみ出しているということ。視界の揺れも合わせれば、攻撃を受けて引きずり降ろされそうになっているのは明らかだ。

 咄嗟に拳を強く握る。EXSの操縦桿が軋む。

 EXSも苦しみもがくように両腕を突き上げているが、その手は固く握られている。


「どうなってやがる……、テメェは誰だっ!」



   ☆



 キセナの心は燃えていた。

 理不尽に対する怒り。あの日、列車の中で見つけた復讐の炎。それが今、強く燃え上がっているのを感じていた。


(ARS操作室に、EXSで襲撃。あまりにも非常識……。そんな相手に、ずっと追いかけられていた……。そりゃあ、EXSも持ち出して戦うか)


 初めて会った時。ネオンの逃走と、その後の騒動は少し大袈裟なんじゃないかと思っていた。


(こんな、理不尽……)


 ネオ・アイチで。プラクシスの寮で暮らしていたから忘れていた。

 人間というのはかくも理不尽だということ。権力だけでなく、暴力を他者に振るうことを厭わない者が存在するという事実を。

 改めて認識した。

 この世界はまだ、まるで平和とは程遠いということを。


(私は、こういう理不尽が許せなくて、力を手にしたんだ)


 強風にポニーテールが暴れまわる。

 EXSは、キセナを持っていることを忘れているかのように動いて、キセナを振り回す。

 その加速度、慣性、衝撃、肌を叩く風、日常感じない刺激の数々が、キセナの心に燃料をくべる。


 EXSが高架された車道を飛び出して、薄暗い居住区画の路地に入る。

 着地の衝撃は凄まじかった。並みの人間なら首の骨が折れていたかもしれない。わざわざ殺さずに連れ去った相手を一顧だにしない蛮行だ。不合理だ。理不尽だ。


(だけど、おかげで握りが緩んだ)


 抜けようと思えばいつでも抜けられた。しかし、不規則に腕を振り回されると脱出した後の反撃が難しいから機会を待っていた。


(今だっ!)


 発勁でEXSの指をこじ開け、真上に飛ぶ。

 EXSの頭上を越えて、背中側の操縦席へ落ちる。操縦席に居る2RSの真上に。太腿で頭部を挟むように。


 落下の衝撃で、2RSが画面に頭を打ち付ける。そして反動で仰け反る瞬間、キセナも大きく背を反らす。両足でがっちりと首をホールドして、操縦席から引っぺがす。


 が、キセナの身体が止まった。頭を下にして、地面との為す角が斜め四十五度になったところで動かなくなった。


(自重だけじゃダメか)


 相手が上体を起こそうとする勢いを利用して、一気に姿勢を戻す。ちょうど肩車みたいな体勢になるが、そのままだと操縦席の天井、EXSの背中にぶつかってしまう。だからEXSの背中に両手をついて衝撃を受け止める。そして、そのまま背中を押す。ただし真っ直ぐではない。押す方向は斜め前、右から左へ流れるように。上半身を捻る動きを作る。太腿は頭を固めたまま。ただし足の組み方を変えて、膝を真っ直ぐ伸ばす。上半身の回転の力を、腰の捻りも加えて下半身に伝える。


 首を捩じ切り、落とす。


 そのつもりだった。

 僅かな抵抗感だけで、首は易々と百八十度回転する。


(そうだった。これは2RS、生身の人間じゃない)


 太腿に力を籠める。

 2RSのカメラアイのレンズに罅が入った。


 さらに力を籠めていく。

 頭部が軋み、変形する。


 もっと、もっと力を籠める。

 バギン‼ という破砕音があった。2RSの頭部が、キセナの太腿に締めつけられて、中身をぶちまけ弾け飛んだ。


 その後は流れ作業だ。

 ぬるりと、身体を折り曲げて操縦席へ。2RSと正面ディスプレイの間に侵入し、身体を伸ばすことで引き剥がす。


 頭部を完全に破壊された2RSは通信機能を喪失。リンクも途切れ、動くことはない。

 指の力は抜けて、操縦桿を手放す。重心が操縦席から押し出される。膝を曲げる間もなかった。重力に逆らえない。倒れ、倒れて、そのまま落ちる。

 二回転半の縦回転をしながら地面にぶつかって、その衝撃でだらしなく四肢を投げ出した。

 キセナも後を追って着地。

 操縦席の重量を失ったEXSは、自動的に膝を折って屈む。


 首から上の無い2RSと、搭乗者のいないEXSを背に、キセナは立つ。

 ヘッドセットのディスプレイバイザーを持ち上げると、春風がキセナの頬を撫でた。


 キセナの耳に、ドローンの羽音が届く。

 ほどなくしてネオンから通信が入った。


『キセのん、無事!? ……みたい、だね』

「はい。ですが、少々目立ちすぎました」

『そうだな。今からセンターに戻る必要もないだろう。帰ってこい』


 キセナは小さく頷くと、ドローンに手を振って先導を頼んだ。


(今は帰る。だけどまだ、終わりじゃない)



   ☆



 約三時間後。

 時刻としては午後三時過ぎ。

 かつてはスパルタンズのアジトだった、チームヘリオスの拠点へ帰ってきた。


『作戦は失敗だ!』


 すぐ近くにいるのに通信で告げるユーゴ。両手を広げ、椅子の座面を回転させている。背もたれに体重を預け、天井を見上げる姿はカメラ越しでなくとも見えた。


「え、これからどうするの?」

『しばらく休暇だ! やり直すにも準備が居るからな。解散!』

「マジ?」

『仕方ないだろ。今日はもう終わり! 散った散った!』


 全体的に、やるせない空気が漂っていた。

 三人が三人ともお互いの様子を窺い、何となく動き出しにくい感じ。

 キセナはユーゴにこっそり頼みごとをしたくて様子を見ているが、ネオンはどうなんだろうか。


『どうした。二人とも早く帰れ。オレはもう疲れた!』


 ユーゴが投げやりに席を立った。キセナとネオンの視線に何かを感じ取ったのだろうか。向かった先は、おそらくシャワー室だ。


「帰りますか」

「そーだね」


 ネオンに声を掛け、一緒に外へ出る。

 二人の間に言葉は交わされず、硬い床を叩く二人の足音だけが、規則的に響いていた。



   ☆



 ポリスの寮まで戻ってきた。段ボールはまだ一割も片付いていない。

 ベッドに横たわり、端末からユーゴにメッセージを飛ばす。


『ご相談があるのですが、よろしいですか?』


 キセナの心は晴れていなかった。くすぶる闘争心は不完全燃焼で、黒煙を上げている。つまり、気がかりが残っていた。


 端末が震えて、通知音を立てる。


『なんだ?』

『私を襲撃したEXS、それを操縦していた2RSの操作者が何者か、今どこにいるかわかりますか?』

『少し待て』


 たった二回の通知で、再び端末は静かになった。

 さっそく調査してくれているのだろう。待てと言うからには時間もかかるハズ。キセナは先ほどのユーゴに倣ってシャワーを浴びることにした。



   ☆



「ねえアルゴん。今いい?」


 帰宅、即通話。


『なんだ?』

「あの光の柱、何かわかる?」

『あの? ……ああ、オレたちを全滅させたあの光の柱か。おそらくは、AH兵器』

「実用化されてたの?」

『オレに訊くなよ。作ったんだろ、有住グループのヤツが』


 ネオンの心に、無数の思いが弾幕のごとく飛び交う。


 誰が作った? どの理論を使った? いつ? どこで? どうやって? どうして思いつけなかった? あの威力はなんだ? どこから撃たれた? なんで当たった? どうして、どうして、どうして…………。


『それよりネオン。本当に襲撃者は居なかったのか?』

「襲撃者? ああ、EXSでキセのんを攫った襲撃者ね。居なかったよ。逃げ足早いねー、操作室にドローンを向かわせたときにはもぬけの殻」


 襲撃者がどうしたというのか。EXSまで持ち出してキセナに返り討ちにあった相手だ。

 そんなことより、重要なのは有住グループの新兵器だ。

 あんなものを見せつけられては、メカニックの血が騒ぐ。居てもたってもいられない気分とはまさにこのこと。


「うおおおおおお!!!!!!」


 チームヘリオスの拠点へとんぼ返りを決めた。

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