第23話 デュナミス次席 カグ・ヒナゲシ

 女子更衣室に入った時、カグはそこに想い人ミナト・クゼがいるのかと錯覚した。たった一回のまばたきでそれがただの先客であることは認識できたが、どうしてミナトだと思ってしまったのか、奇妙な感覚は容易には消えてくれなかった。

 カグは勘違いの理由を探して、身体つきではないかと考えた。目の前の女性は、後ろ姿だと男性だと言われても思わず信じそうになるくらい、筋肉が存在感を放っていた。カグ自身、しばしば男性だと勘違いされる容姿であることは自覚していたし、意図的に王子様ロールプレイで周囲の女性陣を愉しませることもあるが、だからこそ肉付きには人一倍気を遣っているという自負もある。鍛え過ぎず、筋肉をつけ過ぎないように、ミナトに引かれないように、一人の女性として愛してもらえるように、トレーニング量も、食事のバランスも、入念に計算して計画的に実行してきた。

 だが目の前の女性はどうだ。

 おそらくカグの何倍も鍛錬をしてきたのだろう、一目見ただけで圧倒的な強さを感じさせる肉体を持ちながら、それでも、その身体は確かに女性だった。


 それを誇るでもなく、ただそこで着替えている。

 道端に咲く花のように。


 あるがままの強さを、文字通り体で現した存在に、どこか後ろめたさのような隔絶を感じて、カグは抗うように前に踏み出した。

 組まれた左右の腕を振りほどいて、手を伸ばしながら。

 更衣室まで一緒に歩いてきた女子たちは動けていない。突然歩き出したカグに驚いている。


(しまったな、取り乱してしまった)


 普段、自分はどのように振る舞っていただろうか。こんな状況で、カグ・ヒナゲシが取るべき行動は何か。自然と口を衝いて出た。


「キミ、ずいぶんイイ身体をしているね」


 ここまで、ほんの一瞬の出来事だった。

 カグが更衣室に入ってから、一秒も経っていない。


 言ってから、カグは焦りだす。完全にセクハラ発言だ。

 しかし、いまさら足を止めて前言を撤回することはできない。カグ・ヒナゲシはそんなことはしない。


 一度転がりだした石は、当たって砕けるまで止まれない。


「やあ、ボクは今回の監督員を務めるカグ・ヒナゲシだ。よろしく、お嬢さん」


 名乗りながら、なおも近づいていく。

 後ろの、強者に凭れてへばりついて、楽に効率良く生きるという言葉で理性を小さく丸めた女どもから離れなければ。強迫観念にも似た衝動がカグの足を動かす。


 だけど、どれだけ近づいても彼女は振り向かない。

 名乗りもしない。


 そのせいか、まるで近くに感じられない。視覚情報は確かにすぐそこに居ると訴えていても、声も、匂いも、体温だって、実感するにはまだ遠い。向こうは遥かな山の頂で、太陽を背にして立っている、そんなどうしようもない隔たりを感じてしまう。


 不安で。

 確かめたくて。

 言い訳みたいに不適切な発言を繰り返しながら、カグは女に手を伸ばした。


「しかし……本当にイイ身体だ」


 あくまで花を愛でるように。

 べたべたと掌全体を押し付けることはしない。慎ましく、人差し指・中指・薬指の腹でそっと筋肉の生み出す岩肌を味わう。

 確たる強さを感じる硬さと、穏やかな波間に揺蕩うような安心感を与える柔軟さがある。相反するような両者が見事に調和している。人体の中の最高峰であろう、得も言われぬ触感に思わずため息が漏れる。


 微かに香るのは、汗の匂いではなく、優しく甘い花のような香りだった。


「ちょっと、いくら同性でもセクハラじゃないの!?」


 突然の悲鳴に心臓が跳ねる。

 カグは我に返って手を引っ込めた。


 相変わらず、ロッカーの方に顔も身体も向けたままの女。

 着かけていたスーツを急いで引き上げ、見る間に腰を、肩を覆っていく。

 バタリとロッカーを閉じて、カグと、入り口付近で固まっている女子たちを避けるように大回りで更衣室を出ていく女。


 一拍遅れて、カグが追いかける。


「キミ、名前は!?」


 廊下を歩きながら、長髪を纏めていた女は背を向けたまま答えてくれた。


「ネオン・キサラガワ。よろしく、ヘンタイ監督員さん」


 その声はハッキリとした硬さがあって、さっぱりとして、甘さも持ちながら酸味がある、ショートケーキの上に乗ったイチゴのような声だった。



   ☆



「今日はよろしく、コウジ・イシジマくん」


 操作室。身体を動かすために広めに作られた部屋は、スケルトンの視界を映していないと孤独さを際立たせる。

 正面のモニタにはもう一人の監督員であるコウジ・イシジマが映っているが、壁一面に広がったモニタの九割近くは暗いままだ。


「いやあ光栄ですよ。あの人気者のデュナミス次席、カグ・ヒナゲシサマとご一緒できるなんて。隊の奴らから嫉妬されちゃうな~」


 光栄、と言いながらも、よろしくとは言わなかった。


「前から思ってたけどさ、キミ、ボクのこと嫌いだろ」

「ええまあ? クゼ様の隣には相応しくないなあとは常々思っていますよ」

「嫉妬かい?」


 カグの問いかけを、コウジは鼻で笑った。


「ハッ、まさか。誰があなたみたいな半端者に」

「半端者? ボクが?」


 画面の向こうのコウジは、当たり前だろうという表情をしている。


「まあいいさ。今回の依頼の打ち合わせをしよう」

「ただの監督に何の打ち合わせがあるんです?」


 仕事を嘲るように笑うのはいただけないが、言いたいことはわかる。定期採集依頼の監督など、本来は訓練生のような下っ端の仕事だ。軽く見てしまうのも仕方ない。


「コウジくん、それは仕事をする態度として」

「あるんでしょう、裏が?」


 カグの言葉を遮って、コウジが切り込んできた。


「この依頼には何か裏がある。だからデュナミスの上位が出張って来るし、打ち合わせだってする。違いますか? 裏を知らない僕が、作戦の邪魔をしないための打ち合わせ、でしょう?」

「キミ、何を」

「僕はねえ、クゼ様の力になれると思ってこの仕事を後輩に譲ってもらったんです。クゼ様と一緒に監督員ができると思って。でも蓋を開けてみれば相手はあなたじゃあないですか。ということはぁ!? クゼ様が大っぴらに出て来れないような作戦が裏で進行している!」


「待ってくれ!」


 確かに、コウジが語った内容は「さもありなん」と思えるものだった。

 しかしだ。


「ボクは何も聞いちゃいない! ただミナトから頼まれたんだ! 欠員が出たからたまには監督の仕事でもどうだって。きっと参加者が驚くぞって!」

「クゼ様はそんなこと言わねぇよ!」


 画面の向こうで、心底バカにした顔でコウジが吐き捨てた。

 指摘されてしまったからか、先日のミナトの言動には違和感がある気がする。


「僕は調べましたよ。クゼ様は今日の予定をすべてキャンセルしている。そして本来この依頼の監督をするはずだった訓練生は、突然監督の仕事が無くなったそうです。どれもここ一週間以内の出来事です。だから僕は来た!」


 カグは何も言えなかった。


「なのに、デュナミスの、それもクゼ様に次ぐナンバーツーであるあなたが何も聞かされていないとは思いませんでした」


 大きく口の端を吊り上げて、コウジが嗤う。


「信用されていないんですね、あなた」


 そんなハズはない。頭の中で否定しようとしても、すぐには材料が出てこない。

 ミナト・クゼに信用されていないんじゃないか。そんな疑念の種一つが、心の深くへ根を広げて、カグ・ヒナゲシという存在の地盤を崩しているのが感じられた。

 どうしてか、信用されないということが、他の何より非常に恐ろしいことに思えた。


「ああ、そうそう。打ち合わせの内容って何だったんですか? 教えてくださいよ。もしクゼ様に指示された内容なら、裏の作戦の手がかりになるかもしれない」

「……監督範囲の調整だよ。北側はパンタレイグループがあるからボクが見た方が良いんだろう? 最近はウチとの競争が激化しているから」

「ふぅん、そういう……」



   ☆



 キセナは操作室で準備運動を済ませると、音声認識でシステムを起動させる。ただし、ここでも声を出すのはネオンの方だが。


『えーっと、ヴァリアブルフロア起動。モニタとスケルトンサイトを接続』


『オルガノン:ネオン・キサラガワ、スケルトン:リューモンとの同期を実行!』

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