第9話 キセナはネオンを追いかける

「す、すみませんご主人様。私どもメイドの体力が限界で……これ以上のミルクのご提供は難しいみたいです」


 キセナの頭は空っぽになった。

 目の前のメイドが意味不明な言動をしたからだ。


 わざとバランスを崩したふりをして、さらには謎の言い訳。少量のミルクを出すのにどうしてメイドの体力が必要なのか。頬を染めているのも演技だとわかるが、キセナはなぜそんな演技をしているかわからなかった。


※答えは「メイドさんから絞ったミルク」という体で出されているから。


 だが、人の行動には多くの場合、そうする理由がある。キセナは乗ってみることにした。


「なるほど、だからメイドさんが減っていたのですね。まるで気づかず、ご無理をさせてしまったようで、申し訳ありません」


 一瞬、目の前のメイドが「マジかコイツ」という顔をした。


(マジなワケないでしょう……)

「ミルク以外のご注文はございますか?」


 メイドの距離感が、主人と従者から客と店員へとシフトしたように感じて、キセナは少し気が楽になった。


(こういうお店では、食べ物も頼む方が良かったのかしら。カフェもバーも、飲み物を飲む場所だと思っていたから……)

「では、この『くぱぁ♡メイドのふわとろご開帳おむらいす』を一つ」



   ☆



(まだ頼むのかよ! ってか、凄いなこの人。店長のつけたふざけたメニュー名、表情一つ変えずに言えるんだ……)

「かしこまりました!」


 ネオンは手持ちの端末に注文を入れると、再びバックヤードへ戻る。


「とりあえず、オムライスの注文取ってきました」

「う、うん。帰ってくれそうにはない、かな?」

「だいぶ素人さんっぽかったんで、誘導すれば帰りそうではありますね」

「う、うん。そう……」




「お待たせいたしました! こちら『くぱぁ♡メイドのふわとろご開帳おむらいす』でございます! ノネがご開帳してよろしいですか?」

「……はい」

(やっぱ素人だなー、どうしていいかわからんって顔してるもん。ちょっとからかっちゃお)

「あっ♡ あまり見つめないでください……」

「……すみません?」

(通じてない、だと……!? 素人の上に天然なの!?)

「んっ、では……ノネのふわとろ、ご覧ください。ご主人様」


 ネオンはチキンライスの上にまとまった半月のような卵に、ナイフで一筋の切れ込みを入れる。

 すると花開くようにめくれ上がって、ツヤのある絶妙な焼き加減のふわとろたまごがチキンライスに覆いかぶさっていく。閉じ込められていた熱も解放され、もわりと湯気も立ち昇った。


「これは見事ですね……いただきます」

(いちおうマニュアルだと「ノネのふわとろ、お召し上がりください……ご主人様っ♡」って言うんだけど……まあいっか。なんかそれっぽくするのバカらしいや)

「ご主人様、ご来店は初めてですよね? 本日はどうしてこちらに?」


 誘導すれば帰りそう、それは嘘偽りないネオンの所感だが、ミルクを頼み続けたことに理由があるのなら、必ずしも誘導に乗るとは限らない。

 だからオムライスに切れ込みを入れたついでに、切り込んで聞いてみる。


「ひふわ、ひほふぁがひおひふぇいまひふぇ」

「なんて?」

「失礼。ごちそうさまでした。実は人探しをしていまして」

(あれっ!? もう食べ終わってる!?)


 客は懐から携帯端末を取り出して、一枚の画像を見せてきた。


「この女性を見ませんでしたか?」


 目元を隠すような長い前髪で、三つ編みおさげが特徴的な華の無い女学生。その学生証の写真だ。

 ネオンはその女性をよく知っていた。


 だって、それはネオン自身なのだから。


「さあ~、私は見てないですね。他のメイドもお呼びしてきますっ」


 逃げた。

 見ていない、というのは嘘じゃない。自分自身を見ることはできないのだから。


 バックヤードで店長や他のメイドに伝える。


「人探しで、訊く機会を窺ってただけみたいです。みんなで適当に答えてあげたら帰ると思います。私は急用を思い出したので帰ります! それじゃっ!」

(あたしを探してる!? なんで、足跡を辿られるヘマはしてない、火嬬の追っ手ならあたしじゃなくてパパを探すハズっ、とにかく調査だ、こっちからも向こうを探らないと!)


 早足で廊下を通りながらメイド服を脱ぎ捨てる。ロッカーの前に滞在するのは服を取り出す五秒だけ。てきぱきと着替え、変装して裏口から路地へ。


(あたしを火嬬に入れてくれた情報屋……あいつに売られた可能性が高い? ちょっとカマかけてみるか――)

「ん――――――!」


 不意に、口を塞がれた。

 腕を掴まれた。

 車の中に引きずり込まれた。


(拉致しようっての!? じゃあ店のはあたしを追い出すために!?)


 後部座席に押し込まれる。手足を拘束されたら、一応、座らせてくれた。


「手荒な真似して悪ィな嬢ちゃん。ちょーっと俺たちを手伝ってくんねェ」



   ☆



 キセナはピンときた。

 写真を見せた時の、ノネというメイドの反応。あれは何かを知っている人の反応だった。嘘はついていないようだが、何かを隠している。急いで引っ込んだところを見るに、今からどこかへ行くつもりらしい。


(本人のところ、かしら)


 後を追うべく、会計をお願いする。

 奥からぞろぞろと十人近い従業員が出てきて、誰を探しているのか聞いてきたがもう手がかりは得た。


「すみません、急ぐのでお会計を」

「う、うん。えっと、百十万三千円になります」

「ひゃく……!? 何かの間違いでは?」


 予想外の金額に聞き返す。牛乳十一杯とオムライスで百万円はいくらなんでもぼったくりだ。


「私はポリスです。理由をお聞きしても?」

「う、うん……うちの牛乳は一杯十万円なんですよ」


 そういえば、初めて頼んだ時メニューを見なかった。カフェにしろバーにしろ、ミルクくらいは置いてあるだろうと思って咄嗟に頼んで、後は惰性だ。


「それは、さすがに高すぎませんか」


 こんなところで時間を使っている場合ではないのだが。手がかりの代価としてポンと払うのは躊躇われる額だ。


「店長、大変です! ノネちゃんが!」

「うっ、うん!? どうした!?」

「お店の前で拉致られました! どうしましょう、こんな時ポリスが居てくれたら」

「この街には居らんだろう」


 いや。ここに。ついさっきポリスを名乗った者が。

 自然とキセナに視線が集まる。


「私が追いかけます。お代については後ほど!」




 飛び出す理由ができて良かった。いや、良くはない。せっかくの手がかりが奪われるとは。一体何が起きているのか。


 キセナは停めてあった愛機ツグミに跨ると、ウイリーしながら一気に加速する。


(拉致したのは白の大型車――ポリスの力を使えばそれくらい!)


 正面に置いた端末を音声操作して、周辺のカメラ映像から目的の車両を捜索、追跡する。端末は情報を統合して地図上に表示し、キセナをナビゲートする。


(見つけた!)



   ☆



(ハハハ、すべて俺の計画通り。完璧だ!)


 薄暗い部屋に、几帳面に並べられたモニタが光る。縦に四面、横に六面、全部で二十四面のモニタの大多数には、街の風景が映っている。さして代わり映えの無い、穏やかな日常がほとんど。

 一画面だけ、例外がある。


 一人の女性を拉致した大型車と、ポリスが操る二輪車のカーチェイス。

 それがある時は斜め上から、ある時は真横から、目まぐるしく画角を変えながらもモニタに映し続けられる。


 そのカーチェイスを見て、口の端を吊り上げる男が一人。

 名を、ユーゴ・ミナナカという。


(ようやく復讐のパーツが揃う。ここまで何年だ? 三年はかかったか)


 ユーゴは上機嫌に椅子を回す。


(天才メカニックと、超人オルガノン。そこに俺の理論が加われば、大企業だって相手取れる……!)


 ぴたりと回転を止める。まだ三回転しかしていないが酔い始めてしまった。

 ふぅーっと、細く、長く、息を吐くが、感情は抑えきれない。腹の底から漏れるような笑い声は、次第に高らかになっていくのだった。

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