第8話 第二次接近(キセナ&ネオン)
キセナはさっそく、ネオンという女学生が借りているアパートメントへ赴いた。
ピンポーン。
インターホンを鳴らしても反応が無い。平日の昼間でも、休学中の大学生なら在宅しているかもしれないと思ったが、無駄足だったようだ。
そうなると、夕方か、あるいは夜にまた尋ねるのがよいのだろうか。バイトなどがある場合は帰り時間も遅くなるだろう。
インターホンを連打しながら、キセナが再訪の時間帯について考えを巡らしていると、誰かが近づいてくる気配があった。
「あなた、キサラガワさんのお知り合い?」
ジャージ姿の、三十代くらいの女性だった。前髪を頭頂部で縛って、おでこを開けっぴろげにしている。大きな丸眼鏡の向こうに覗く目は、困ったように細められている。
「そちらは……ここの大家さまですか?」
「あら、どうしてそう思ったの? その通りだけど」
「私に近づいた時の気配が、部屋に戻るついで、という感じではなかったので。この部屋の前に居る私に向かって、わざわざ話しかけに来るなら大家さまかと」
キセナの説明に対して、大家は照れたように掌を頬に当て、小首を傾げていた。
「それで、キサラガワさんに何の御用? 彼女、もう随分帰ってないみたいだけど」
「実は……」
キセナは迷った。知り合いのふりをするのは長期的にはリスクだ。しかし見ず知らずの大学生に会いに来る理由などあるだろうか。真の目的が復讐への協力である以上、ポリスであることも明かしたくはない。
届け物……は大家さんが預かると言い出すかもしれない。
彼女がその場に居る必要がある用事……。
「スカウトに伺ったんです。初めてお見かけした時、ピンと来まして」
嘘はついていない。だが、こう言えば十中八九アイドルだのモデルだのと思うだろう。本当はメカニックなのだが。
「あら~、素敵ね。こんな綺麗なお姉さんに見初められるなんて」
(きれい……、みそめ……っ!?)
「でも良かった、少し心配していたのよ、キサラガワさんのこと。家賃は毎月払ってくれるし、宅配もたまに取りに来てるみたいなんだけど、部屋を使っている気配がなかったから。悪い大人に騙されて、よくないコトに手を出してるんじゃないかって。あの子のこと、よろしくお願いします」
大家さんは、キセナの手を握って満面の笑みだ。心の底から安堵しているらしい。
キセナはこれから悪い大人として、よくないコトの片棒を担がせようと思っているのだが。
「わかりました、お任せください。どこか、彼女の居場所に心当たりは?」
「そうねえ、繁華街ではたまに見かけるらしいんだけど、私はあんまりそっちの方に行かないから」
「ありがとうございます。探してみます」
☆
大家さんの情報をもとに、繁華街へやってきた。時刻はちょうど高校の下校時刻を過ぎたあたりで、不良生徒らしき学生服姿がちらほらと見られる。大家さんが心配するのも無理のないことだ。
繁華街は巨大ショッピングモールの外れ、住宅街とのはざまに人目を憚って形成されている。古臭い電飾は蛍光灯や白熱電球とも違って、夜になれば極彩色に街を彩るだろうと想像された。
(ど、どこで話を聞けば……)
ずっとプラクシスタワーの、計画に基づいて区割りされた空間で生活を続けていたキセナにとって、繁華街のような猥雑とした空間は初めてだった。
少しだけ――少しだけ、気圧されていた。
それは何というか、秩序と混沌の境界で相転移を目の当たりにしたことによる心の動揺みたいなもので、キセナの信ずる平和の観念が揺らいだ瞬間でもあった。
(情報が集まるなら、酒場……かしら)
適当な場所にバイクを停め、キセナは当てもなく繁華街に踏み入った。
☆
「お待たせしましたっ! こちら、ご注文の『めいど♡ちょくそーミルク』でございますっ! ごゆっくりおくつろぎください!」
(……反応なし、かぁ)
ネオンは、バイトに来て早々、面倒な客の相手を任されていた。
猫耳へそ出しミニスカメイド服で、ショットグラスに注がれたミルクを客に出す。ネオンは元気可愛い系メイドを演じていた。
まずは様子見といったところだが、手ごたえは正直あまりなかった。
バックヤードへ戻り、ネオンに客を押し付けた店長と作戦会議に移る。
「ダメですねアレ。もう十杯目ってホントなんです?」
「う、うん。一時間くらいあの調子で居座られちゃって……他のお客さんが委縮しちゃうんだよ。ノネちゃん、なんとかできない?」
ネオンは偽名を使っていた。この『極楽昇天メイドカフェ&バー でっど♡らいん』ではノネと名乗っている。まあここのメイドは全員偽名だが。
「うーん、手っ取り早いのはミルクぶっかけですけど、やっぱり最終手段ですよね?」
「う、うん。そうしてくれると助かるかな。できるだけ穏便にお帰りいただく方向で」
注文が入った。
またあの客だ。またミルクだ。
(正気!? こんな、メイドから絞りました~みたいな雰囲気だけのぼったくりミルクだけをどうして頼み続けるの!?)
「とりあえず、一発かましてきます」
「う、うん。よろしくね」
グラスにミルクを50 ccほど入れて、アルミのお盆の真ん中に乗せる。そのお盆は片手で、指を立てて持ち、顔の高さで運んでいく。
対象は、険しい表情をした、スーツ姿の女性客。威圧的なオーラと漏れ出る殺気で店内の客全員を帰らせ、三人のメイドを泣かせ、ホールスタッフ全員がバックヤードに避難するまでに営業を妨害してくれたモンスターご主人様だ。
「お待たせいたしましたっ」
お盆からミルクを取り上げようとして、わざとフラつく。
「きゃっ」
一瞬、客の眼光が鋭くなった気がした。
「す、すみませんご主人様。私どもメイドの体力が限界で……これ以上のミルクのご提供は難しいみたいです」
頬を赤らめ、胸を抱え、上目遣いに訴えかける。「いい加減ミルク以外のものを頼むか、出ていけバカ!」
☆
キセナ・ロウインは緊張していた。
(なんなんですかここは!? このあたりで一番のバーだと聞いて来てみれば、はっ、破廉恥です!)
緊張のあまり、ろくに注文することもできなかった。
「ご主人様、ご注文は何になさいますか?」
「…………ミルクを」
「ご主人、グラスが乾いてるぞ」
「……では、ミルクを」
「主ちゃん、おかわりとかいる?」
「…………はい」
「ごしゅじんさまぁ~。モモの手料理、食べてほしいなぁ~」
「……いえ、ミルクで……」
「ご主人様、何かお困りごとで――ヒッ」
キセナはただ、ネオンという学生を見ていないか聞きたかっただけだ。このメイドカフェが醸す空気に呑まれ、コスチューム感が強くメイドとしての覚悟も矜持もなさそうな店員たちにどう接してよいのかわからなかった。
最後などは、ようやく向こうから尋ねてきてくれて、これでネオンのことが聞けると思ったのに、学生証の顔写真を見せるより前に怯えられてしまった。
(なぜ!?)
緊張、困惑、疑問、羞恥、それらがキセナの顔を鬼のそれへと変じさせていることに、キセナは気づいていなかった。
次こそ聞くぞ。注文にかこつけてさりげなく写真を見せるのだ。
そう決意してミルクを頼んでも、ついつい気後れしてしまう。
気づけば注文は十杯目。いい加減お腹の限界が近づいてきて、いっそう顔が険しくなる。
また新しいメイドがやって来た。
今までで一番露出度の高い格好をしている。
(破廉恥な……っ。年だって私と変わらないくらいでしょうに、そんな下着みたいな服で……)
悶々と考え込んで、また聞くタイミングを逃した。
くいっ。
無念さにミルクを一気飲みする。
(くっ……これ以上は、辛い……)
累計500 ccのミルクを飲み、身体を揺すれば胃の中で水音がしそうなほどになった。お腹が重たい。圧迫感がある。今みぞおちを殴られたら盛大に吹き出してしまうだろう。
(次で、訊く――!)
そんなキセナに、転機が訪れる。
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