第5話

 その日、ドアから顔を出すと、温かい日差しが私を包み込みました。春がやってきたのです。

 鳥が喜ぶように鳴いています。ですが、私は喜ぶ気にはなれませんでした。

 私はすううと大きく息を吸い込みます。それでも、心は落ち着きません。

 去年はあんなに鮮やかに見えた緑が、今年はくすんで見えました。お母さんが亡くなった世界なんて、何もかもが灰色でした。

 それだけ、お母さんは私の全てだったのです。


「お母さん、春が来たよ。私が生まれた、私の季節だよ」


 私はお母さんに向かって呼びかけました。当然、返事はありません。

 その事実に、また涙が溢れました。

 その日は何もする気になれませんでした。お母さんのそばで、ただただその顔を眺めて過ごしました。

 お母さんは穏やかな顔で、永遠の眠りについていました。


「お母さん……」


 何もかもが優しい春には、悲しいことなど何もないと信じていました。ですが違いました。

 そう、私は知っていました。けれど気づかないふりをしていただけ。私は悲しみに気づかないふりをしていたのです。


 次の日、私は花畑に向かいました。お母さんを抱いて。お母さんを花畑に埋葬するのです。

 私はお母さんを、花畑の片隅に埋葬し、手を合わせました。

 花畑の花々は去年と同じように、鮮やかに絢爛に咲き誇っていました。

 赤色、白色、黄色、橙色、桃色、空色、藍色、紫色、色とりどりの花々。黄緑や深緑の葉っぱたち。

 そして去年と同じことがもう一つありました。その中に埋もれるように、一人の少年が立っていたのです。

 少年は私と目が合うと、にっこりと笑いました。


「久しぶり、ハル」


「あっ……」


「今日は、元気なさそうだね」


少年は心配そうに私の様子を窺います。


「……うん」


「どうしたの?」


「……お母さんが、お母さんがっ! 死んじゃった……」


 そう言葉にした瞬間、涙がどっと溢れました。昨日あんなに泣いたのに、まだ涙は残っていたようです。

 少年は、そんな私にそっと寄り添ってくれました。


「そっか、これ使って」


 そう言って、私にハンカチを差し出しました。


「いいの?」


「もちろん」


 私はハンカチを受け取り、涙を拭いました。それでも、涙は次から次に溢れてきます。

 しばらくして、私は少し落ち着きました。すると、今度は少し少年に興味がわきました。


「ねえ、どうしてこんなに良くしてくれるの?」


「僕も今、ハルと同じ気持ちだからだよ」


 少年はそう言って、少し悲しそうに微笑みました。

 私は少年の言葉がよくわかりませんでした。ですが、少年のその表情に魅入られ「そっか……」とだけ返しました。


「じゃあね、ハル。また来年会おう。約束だよ」


 少年はそう言い残して、スッと姿を消しました。

 一人取り残された私は、手にぎゅっと握ったままのハンカチを見つめました。


「返しそびれちゃった……また来年か」


 来年のことなんて、全く想像できませんでした。私は一体、どんな生活を、今年一年するというのでしょうか。

 私はしばらく呆然と座り込んでいました。

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