第3話

 そんな毎日を繰り返し、やがて季節は巡って夏になりました。

 お母さんは驚いたことに、少し元気になって、時々一緒にお散歩に行くようになりました。私との約束のお陰でしょうか。

 夏になり、鮮やかな花々は少なくなっていましたが、代わりに緑が美しい季節となりました。木々は青々と葉を茂らせています。

 少しじめっと湿気を含んだ風は、夏が来たのだと私に教えてくれました。

 今日も私はお母さんとお散歩に出かけていました。お散歩のコースは、だいたい決まっていました。まず広場に行って、その後、本が好きなお母さんのために図書館に寄るのです。

 お母さんが好きな本は、図鑑や童話でした。あまり難しい本は苦手なようです。逆に私は分厚くて長い、難しい本が好きでした。もちろん、お母さんの好きな図鑑や童話も大好きです。お母さんと本の感想を言い合う時間はとても幸せでした。

 お母さんは本を数冊選び、借りていきました。

 図書館を出ると、私は言いました。


「お母さん、八百屋さんに寄って行こう」


「今日の夕飯の食材を買うのね」


 お母さんはご飯も前より食べられるようになっていました。喜ばしいことです。ですから私はますます料理に力を入れ、お母さんが喜ぶご飯を作っていました。


「おじさん、これとこれください」


「はい、まいど!」


 私はお金を渡すと、野菜を受け取りました。

 働けないお母さんの代わりに、私はお針子の仕事を頑張っていました。ですから、お母さんと二人で暮らしていくためのお金は、ぎりぎりありました。

 家に着くと、やはりお母さんはベッドに戻ってしまいました。少し具合が悪かったようです。


「お母さん、ご飯食べられる?」


「食べられると思うけど、少し少なめでお願いするわ」


「わかった」


 こんな日常が続けば良いのに。私はご飯を作りながらそう思いました。

 私は今、とても幸せでした。このままお母さんの病気が治ってくれれば、これ以上嬉しいことはありません。

 真っ暗だった未来が急に開けたようでした。将来、お母さんに孫を見せられたらいいな、なんて気の早い夢を思い描いていました。まあ、私には好きな人さえいないのですが。

 それでも、幸せな未来を想像して、私は毎日、自然と頬が緩みました。


「ねえハル、これは何て読むの?」


 お母さんは借りてきた本の一節を指差し、私に読み方を聞いてきました。

 お母さんは文字が苦手でした。お母さんの時代にはまだ学校はなく、文字を習わなかったのです。そのため、お母さんは独学で学んだ知識で本を読んでいました。


「これはね、確かハルカゼソウって読むんだよ。春の神様が喜ぶ、あの伝説の花だよ」


「ああ、ハルカゼソウね。文字だと、こうやって書くのね。ハルは賢いわね」


 お母さんはそう言って、私の頭を撫でてくれました。


「えへへ」


ふと、お母さんは私に尋ねました。


「ねえ、ハルはハルカゼソウを見たことがある?」


 私は少し考えて答えました。


「ないよ」


 ハルカゼソウは伝説の花。見たことがある人なんているのでしょうか。

 するとお母さんは驚くことを言いました。


「そうなのね、お母さんはあるのよ」


「えっ! どんな花だった⁉︎」


私は目を輝かせました。


「桃色で、花びらが幾重にも重なってフリルみたいな花よ。でもとても小さくて、よーく目を凝らして探さないと、なかなか見つからないの」


「へー! 見つけると良いことがあるんだよね? 何かいいことあった?」


「あったわ。ハルカゼソウを見つけた時、お父さんに出会ったのよ」


 お母さんは懐かしむように、目を細めました。

 それは、どんな出会いだったのでしょうか。ロマンチックだったのでしょうか。お父さんのことはよく覚えていませんが、きっと素敵な人だったに決まっています。お母さんが好きになる人なのですから。

 私は色々なシチュエーションを想像し、勝手に盛り上がっていました。

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