第2話
どのくらい眠っていたのでしょう。目が覚めると、辺りは真っ暗になっていました。目が慣れてくると、月の光でわずかに周りが見えます。
私は慌てて紅茶のセットを片付け、家へと急ぎました。
早く帰らないと、お母さんが心配してしまいます。
幸い、まだ夜になったばかりのようでした。家に着くと、お母さんは予想通り心配していましたが、少し怒られるだけで済みました。
お母さんは私が帰ってきたことに、ほっと安心したようでした。やがてベッドに戻ると、私に問いかけます。
「ハル、どこへ行っていたの」
「えっと、内緒」
私は反射的に答えてしまいました。あの花畑はお母さんにも内緒にしていたからです。
本当に、あの花畑は私以外、誰も知らない場所なのです。だからこそ、あの少年がいた時はかなり驚きました。
お母さんは私の答えを聞き、少し寂しそうに笑いました。
「そう、教えてくれないのね。でも今日みたいにあんまり遅くなってはだめよ」
「はい」
そのとき、お母さんはコホコホと咳き込みました。よく見ると、顔色が少し悪いです。
「お母さん、今日も具合悪いの?」
「ええ、ごめんね。あまり食欲がないから、夕飯はハルだけで食べて」
「そんなの、体に悪いよ」
私はなんだか少し気まずくなりました。具合の悪いお母さんを一人、家に残して、花畑で遊んでいたからです。
お母さんも連れて行ってあげれば良かった、と思いました。お母さんはあの景色を見たら、少し元気になったでしょうか。
私はぼそりと呟きました。
「お母さん、来年は連れて行ってあげる」
「どこに?」
「私が今日行った場所。だからお母さん、来年までに病気を治してね」
「そうね、わかったわ」
お母さんは嬉しそうに微笑みました。
「約束だよ」
そう言いながら、それは実現できる約束なのか、と心底疑っていました。
お母さんは数年前から病気を患っています。最初はお医者様に、治る、と言われていました。その言葉を信じていましたが、一年前から急に病状が悪化し、お母さんは一日の大半をベッドで過ごすようになったのです。
私はお母さんのことをとても心配していました。
お父さんのことは覚えていませんが、私が小さな頃に亡くなったと聞いています。おじいちゃんもおばあちゃんも、私が生まれる前に亡くなったそうです。だからお母さんだけが、私のたった一人の家族でした。
お母さんまで亡くなってしまったら、私はひとりぼっち。そんなの、嫌です。嫌に決まっています。
私はいつも不安でたまりませんでした。
「お母さん、お粥作るね」
私は早速、お鍋を取り出しました。
私の夕飯もお粥にしましょう。お母さんと一緒に、同じ物を味わいたいのです。
しばらくしてお粥ができると、小さなお皿にお母さんの分をすくいました。お母さんは最近、あまり食べてくれないのです。
私は大きなお皿に残りのお粥を全て入れました。
お母さんのベッドに、小さな机を近づけて、二つの皿を置きます。
「お母さん、お粥だよ」
「ああ、ありがとね」
お母さんは要らないとは言わないでいてくれました。せっかく私が作ったのだからと、少し食べてくれるようです。
お母さんはスプーンを口へ運ぶと「温かくて美味しいわ」と言ってくれました。
しかしそれも束の間、お母さんはゴホゴホと咳き込み、吐き出してしまったのです。
「お母さん!」
「ごめんね、やっぱり食べられないみたい」
「ううん、大丈夫。要らないって言われたのにお母さんの分まで作っちゃってごめんなさい」
私はお母さんのお粥を片付けると、私の分のお粥を一気に食べました。食べたと言うより、飲み込んだ、に近いでしょうか。どちらにしても、味なんてしませんでした。
「お母さん、もう寝ようか」
「そうね」
私は灯りを消すと、お母さんのベッドに潜り込みました。
「あらあら、ハル。自分のベッドで寝なさいな」
「ここが良い。今日はここで寝かせて」
するとお母さんは何も言わず、私をそっと抱きしめてくれました。
私は泣きそうでした。いつまでこうしていられるのでしょう。こんな日々は無限ではないことを、私はよく知っていました。
ですが、泣かないと決めていました。泣いたらお母さんが悲しみます。お母さんが笑顔でいられるように、私も笑顔でいるのです。
「おやすみ、お母さん」
「おやすみなさい、ハル」
小さな声で交わした言葉は、暗闇に溶けていきました。
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