第11話 向日葵

 8月30日、陽子の葬式の日。私以外の参列者は居ない。通夜の日もそうだったし、ずっと孤独だったと言っていたから驚きはしない。私のお父さんとお母さんの葬式の時も静かだったけど、それは参列した人たちが気持ちを抑えて黙っていたからだ。その場に流れる感情の渦は大きく、僧侶のお経がはっきり聞こえるのに、たくさんの人が一斉に叫んでいるみたいにうるさかった。今はただ、誰もいないから静かなだけだ。


 弔辞も無いから、葬式はすぐに終わって出棺の時間になった。陽子が眠っている棺桶には綺麗な花々がぎっしりと詰められ、生気を感じない真っ白い肌の彼女を飾り立てていた。私の手には向日葵の花が握られている。陽子がそれを望んだようだ。私が育てた向日葵はもう枯れてしまっているから、この向日葵は知らない誰かが育てたものだ。そう思うと、この向日葵を握り潰してしまいたくなった。でも、花屋で買った花束にも想いは籠る。そう思い直して、陽子の棺桶に向日葵を入れた。


 火葬場では陽子が焼かれるまでの時間を待っていた。収骨は火葬場の人に任せた。もう身体に力が入らなかったから。両親の時は親戚の人たちが近くに居たけど、今はたった一人で大切な人の死と向き合わなければならない。傷付くことから逃げていた私には耐えられなかったみたいだ。


 陽子の遺骨はお寺の集合墓地に納められた。彼女の両親の家の近くではなく、私の家の近所のお寺だ。そこに私の両親の墓もある。陽子が死んだ後の事務処理のすべてが終わり、私はまた孤独に放り出された。


 9月に入って学校が始まった。でも、私は陽子の葬式の日から何もやる気が起きなかった。家に籠って、食事もほとんどとらず、ベッドの上でひたすら時間を浪費していた。


 陽子に生きて欲しいと言われた。彼女の想いを受け取って、私は死ぬことをやめた。でも、陽子の死という現実が重くのしかかり、前に進めないでいた。こんなことしてる場合じゃないと分かってるのに、私の身体は動いてくれない。両親が死んだときはこんなことにはならなかった。だって、死ぬことを決めて、それまでの猶予時間を諦めの中で生きていただけだから。


 今の私は前を向かないといけない。でも、そんな力は私に残されていなかった。


 9月7日。家の食糧が尽きてしまったから買い出しのために外に出た。まだまだ残暑が牙をむく。体にエネルギーがない私は途中で行き倒れてしまうのではないか不安になる。重い足を引きずって家の門まで出ると、ポストに大量の新聞やチラシが投函されているのを見つけた。そういえば陽子が倒れてから溜め込んだままだった。ポストに詰まっていたものを取り出すと、新聞の束の中から綺麗な柄の封筒が落ちた。


「これって……」


 向日葵と太陽の柄。私に手紙を送ってくる人間。それは一瞬で結びついた。手に持っていた新聞とチラシを投げ捨てて、地面に落ちた手紙を拾う。僅かについた土を払って、家の中に駆け込んだ。これは一人で誰にも知られずに読むべきだ。いったん冷静になるために深呼吸をし、リビングの電気をつけて便箋を取り出した。


『向日葵へ』


 陽子が私に向けた手紙。いつの間にこんなものをしたためていたのだろうか。少なくとも陽子が倒れる前には書き終わっているはずだ。陽子が倒れる前に書かれ、陽子が死んだ後に私の家に届いた。つまり、この手紙は陽子に遺書だ。


 〇〇〇


向日葵へ


この手紙は私が死んだ後に君に届くよう担当医に頼んだものだ。死ぬ前に君にすべてを伝える自信がないから、こうやって手紙にさせてもらった。こういうのは初めてだから不格好かもしれないが、許してほしい。

まず、君に感謝を伝えたい。死のうが生きようがどうでもいい、すべてを諦めて生きていた私に思い出と感情を与えてくれてありがとう。君と過ごした時間はかけがえのない宝物だ。

そして、私の最後の願いを聞いて欲しい。最初に出会った時と矛盾するけれど、私は君が生き続けることを願っている。死にたいと思っている君にこんなこと言うのは身勝手なことかもしれないが、私は君に俯いたまま死んでほしくないんだ。私に幸せをくれた君に幸せを知って欲しい。でも、時間が残されていない私には君を幸せにすることはできない。自分の寿命をここまで恨んだのは初めてだよ。そんな私ができるのは、君を生きる道に導くことだけだ。自惚れかもしれないけど、私の願いなら君を変えられる。私の願いで生きた君に幸せが訪れることを願っているよ。


 〇〇〇


 陽子と最後に話した時と同じような話。すべてを伝える自信がないというのは、言う勇気がないというよりは、時間が足りないという意味だろう。ここに書いていることは全部、陽子の口から聞けた。すべてを伝えられて、彼女は満足だっただろう。そう思ったのだけど、便箋がもう一枚重なっていることに気が付いた。ぴったりくっついていたから気が付かなかった。さっきまで読んでいた便箋をめくって、二枚目の便箋を読み始めた。


 〇〇〇


最後に、きっと君に伝えられないことを書いておく。私が一番優先するべきことは君に生きる道を選んでもらうことだし、自分の口で言うのは恥ずかしすぎるから。

君は私の初めての友達だ。でも、私たちの関係にその名前を付けるのはやはり違和感がある。というよりも、私にとっての君は友達というには特別な存在すぎた。君が私を外に連れ出してくれてから、ずっと君のことが頭から離れない。どんな形でも君が私を想ってくれると胸が熱くなる。君の腕に寄りかかると心が温かくなる。そうやって、自分の中で君の存在がどんどん大きくなっていったんだ。だから、急にこんなことを言うのはおかしいかもしれないけれど、この言葉を選ぶのはおかしいかもしれないけど、きっと、君のことが好きだったんだ。

君が選んでくれた服も、君がくれた指輪も、私の人生の財産だ。もし私が遺したものを受け取りたいなら、私がいた病院に連絡してくれ。勝手かもしれないけど、私の指輪は君に持っていて欲しいんだ。あの指輪には私の想いと君への祈りが込められているから。

いつか天国で会った時、君から幸せな話を聞けることを楽しみにしてる。

どうか幸せになって。愛しているよ。


陽子より


 〇〇〇


 それはあまりにも純粋な愛の手紙だった。胸が締め付けられる陽子の愛と、痛いくらいの自分の死への無念が伝わってくる。死にたくない。陽子は最期にそう言って笑った。死にたいと思っていた陽子が、最期にそう言えるくらい生きていて幸せだった。その感情も嘘じゃない。ただ、それと同時に心の底からまだ生きていたいと願っていたんだ。私の隣で生きていたかったはずなんだ。


『お願い……私と生きてよ……』


 生きて欲しい。そんな陽子の願いを受け取った私から溢れた言葉。ただ感情のままに発した言葉だったけど、彼女の叶うことのない愛にほんの少し報いることができたのだろうか。


「……指輪」


 枕元に置いてある天使の羽の指輪。たとえ天使であっても、片翼では飛ぶことはできない。そして人間は寄りかかるものがないと倒れてしまう。私は孤独だ。そして、一人で立てるほど強い人間でもない。


「やっぱり、陽子は優しいわね」


 陽子は死んだ。でも、陽子がくれた祈りも、陽子が遺した想いも消えたわけじゃない。彼女の手紙がそれを教えてくれた。いや、私が目を逸らしていただけだったんだ。陽子は死んで、彼女の存在がすべてなくなってしまったと思い込むことで、諦めて楽になろうとしたんだ。陽子はこんなにも私を想ってくれていたのに。


「もう少しだけ寄りかからせて」


 向日葵が真っすぐ育つには支柱が必要だ。私がこれからを生きていくために、生まれたこの感情を育てていかなければならない。私が一人でも前を向けるように、今はまだ少しだけ陽子が遺した想いに支えてもらおう。


「また会える日まで、待っててね」


 愛しいあの子に胸を張って会えるように、また会った時にあの子が笑ってくれるように、あの子が遺した想いに報いよう。

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