第六話「紅の翼」

 今でも夢に見るぐらい鮮明に思い出せる。

 土砂降りの雨の中。

 人生で初めて感じた後悔の味は重くて苦かった。

 その味はこれまた初めて見た紅葉の涙で余計に深みを増して今も心の奥底に残っている。

 あんな思いをするのはもう二度とゴメンだ。

 再燃した炎が鎮火していくのを見守りながら思う。

 あの日……何を選べば正解だったんだろう。

 

 ◆


 紅葉の護衛役になって二年経とうとした頃。

 ようやく主従関係が出来上がり、外交にも同行することが増えてきた。

 あの日も外交の帰り道だった。

 明日の予定もあるため無理矢理豪雨の中を帰ったところを襲撃された。


 車を爆破される寸前のところで脱出し、森の中を走っていた。

 敵の位置は気配で把握していたがそちらに集中しすぎたせいで紅葉の行動を予測しそこねた。

 生まれた隙は致命的で自分の腹に大きな穴が空いた。 

「は……と! はや……!」

 不幸中の幸いは俺を負傷させた相手と差し違えたこと。

 相手の脳幹に椿が刺さり横たわっている。

 他の敵は仲間たちが応戦しているのでしばらく来ないが増援が来ないとは限らない。

「逃げ……ろ」

 親より先に死ぬことはこれ以上ないくらいの親不孝。

 千歳をまた泣かすことになりそうだ。

 ただそんなことよりも俺は護衛役。

 自らの命を賭しても主を守る責任がある。

「私のせいで……」

 違う。

 お前が悪いんじゃない。

 そう言いたいのに言葉を発しづらい。

 安心させるために立ち上がりたいのに四肢に力が入らない。

 身体が冷たくなっているのは雨のせいではないんだろうな。

「はや……く、行け!」

 もう「傷つくな」という無茶な命令に従わなくていい。

 こちらを信用しない態度に精神をすり減らすこともない。

 趣味じゃない植物鑑賞に付き合うことも、一緒に城を抜け出して小言を言われることもない。

 何となく……寂しいな。

「君だけは……隼人だけは死なせない」

 初めて名前を呼ばれたことよりも涙を流しながら意を決した表情に意識が向く。

 紅葉は俺に向かって両手を翳す。

「……っ!?」

 それは……それだけはダメだ。

 死ぬなというなら悪魔と契約してでも自力でなんとかするから。

 だから、やめろ。

 生に執着していない俺にその価値はない。

 声を振り絞れない。

 最後の力を振り絞って紅葉の手首を掴むが。

「……やめないから」

 意志の強さの前に効果はなかった。

 小さな夕日のようなオレンジに近い赤い光が灯る。

 その炎は温かく包み込むような優しさがある。

 それと呼応するように紅葉の背後に小鳥ぐらいの火の鳥が顕現し、その鳥が一声鳴くと俺と紅葉の心臓あたりに炎が出現した。

「君が生きようとしてないこともわかっている」

 俺の弱々しい炎とは対照的な神々しい光を纏い力強く燃える炎に目を奪われる。

「だからこれは私のエゴだから」

 御門家の女性に代々受け継がれる大和の秘宝の一端をただの従者に使おうとしている。

 一人の少女が抱えれる罪ではない。

「俺も……共犯者……だろ」

 紅葉の炎から俺の炎に向けて糸のような細い炎が伸びる。

 炎と炎が繋がりエネルギーが注がれると俺の炎が大きくなり、腹に空いた穴も塞がった。

 言いたいことは山ほどある。

 未知の感覚に戸惑うがそうも言っていられない。

 近づいてくる敵の足音を聞きながら男の額から椿を引き抜く。

 死ななかった今、職務を全うする以外の選択肢はない。

 力を使った反動で紅葉はその場に座り込んだ。

「疲れた。甘いものが食べたい」

 紅葉は大罪を犯したと思えないほどにいつも通り。

 捨て石を拾うが上に立つ器だけはあるようだ。

「少しだけ待ってろ」

 純粋な殺意のみが思考を満たす。

 全てを斬り、全てを拒絶し、全てを信じず。

「心眼――修羅の道行」

 俺はもうこの命にかけて負けるわけにはいかない。

 紅葉に与えられた命。

 生きる理由にするわけにはいかないので、そのために新しい死ねない理由が必要だと思った。

 

 ◆


 午前八時前。

 久しぶりに寝過ごした。

 ただそのおかげでアリシアに寝起きの顔を見られなくて済む。

 机のおいた鏡には涙を流す自分の顔が映っている。

 油断や驕りがあった。

 敵に集中しすぎた。

 出る言葉は言い訳ばかりだ。

 炎は完全に鎮火せずに灯火が残っている。

 紅葉に罪を負わせた挙げ句に自分の意志を貫くために傍を離れた。

 自己中にも程があるな。

 紅葉は自分に執着しないことを望んでいた。

 アリシアの悩みを解決するために俺たちを引き合わせたが、こうなることもあいつの計画の内だったのだろう。

 そのおかげで今の俺には家族以外で大切な相手。

 これからも悩ませたり、迷惑をかけるだろう。

 それでも傍にいて欲しいと願う相手は寝坊した婚約者にもちゃんと朝飯を用意してくれる。

「いただきます」

 いつまでも気を病んでいる暇はない。

「気合……入れないとな」

 今考えるべきはハルバール王国との戦争。 

 負けられない理由はもう一つではない。

 そのためなら苦手な相手だろうと向き合う。

 それが今、俺がやらなければならないことだ。

「……無理じゃね?」

 今までのやり取りを思い出すがレスバするだけでまともに会話した覚えがない。

 まともだったのは俺が気落ちしてきた時のみ。

 ある意味普通の話せることは証明されたが限定的すぎる。

 前途多難な心をアリシアの味噌汁だけが癒してくれた。

  

  

 

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