第二巻「終幕」

 翌日の朝は稽古はなく料理人たちが忙しなく働いている。

 当然その中には梓さんと割烹着姿のアリシアがいた。

「アリシアさん、次は」

「こちらですね、梓さん」

「結構。そのまま進めてください」

「承知しました」

 昨日一日でよい師弟関係を築けたのだろう。

 梓さんがアリシアを認めているお陰で他の料理人たちもアリシアを認めている。

 俺が何もしなくても風見家内で居場所を確立しつつある。

「君はこんなところにいていいのかい?」

 神楽舞が行われるのは後二時間後。

 客人である葵先生は暇を持て余しているようだった。

「次期当主候補は何も役割がないんでな。それよりも先生、千歳にあのこと言っただろ」

「いずれ知られることだ」

「まだ確定じゃないんだ。不安を煽ることはねえだろ」

 ましてや個人間の問題じゃない。

 下手をすれば国民全員が巻き込まれる。

「残念ながら君の希望は潰えた」

 葵先生が取り出したのはいつぞやと同じ赤い便箋。

「……紅葉は何か言っていたか?」

「『被害を最小限にしたいから君に来てほしい』だそうだ」

「そうか」

 てことは漏れなくあいつもいるってことだよな……。

「中は見ないのか?」

「見たら余計なことを考えて祭事に集中で来なさそうなんでな。それとまた先生に頼むことになると思う」

「構わないよ。というかあれほど馴染んでいるなら風見家で守ってもらってもいいんじゃないか?」

「もう守られるだけのか弱いやつじゃないからな」

 武力的にも精神的にも俺の隣に立つ。

 それが今のアリシアのやりたいことなら俺は応援したい。 

「そうか……無理だけはするなよ」

 やはり経験者。

 そりゃあ、心配になるよな。

「擦り傷一つでアリシアが心配しそうだからな。気をつけるよ」

「はは。それは気をつけないとな」

 近い将来、葵先生が客人でない立場でこの廊下を歩いているといいな。


 ◆


 雅楽を初めて聞いて感激した様子のアリシアを横目に見事に神楽舞を奉納する千歳の姿を見る。

 薄く化粧をしているからか、それとも悩みが少し晴れたせいか。

 表情からいつもと違う印象を受ける。

 祭事はつつがなく終了し、俺とアリシアは帰る準備をして駐車場に来ていた。

「もう一泊すればいいのに」

 祭事が終われば即宴会。

 見送りに来たのは千歳を含めた数人だけ。

「家を空けすぎるのも心配なんだよ」

 赤い便箋の中身も気になるしな。

「それに……」

 千歳以外の見送り人に囲まれた嬉しそうなアリシアの方を見る。

「バカ息子と喧嘩したらいつでもきていいからな」

「はい、お義母様」

「また一緒に料理しましょうね」

「こちらこそお願いします、梓料理長」

「「アリシア様、どうかお元気で」」

「門下生の皆さんもお元気で」

 という風に明らかに格差が出来上がっていた。

 いや良いことなんだけどね?

「寂しいならハグしようか?」

「やめろ。鏡夜の車内が殺人現場になる」

 既にアリシアの眼光が光っている。

 ロックオンするにしても早すぎるだろ……。

「おやおや、嫉妬深い奥さんだね〜」

「わかっているなら煽るなよ」

「こうすることでしか確かめられないんだから。しかたないでしょ?」

「面倒くさいやつ」

「おーい。そろそろ行くぞー」

「おう」

「はい」

 鏡夜に呼ばれて来たときと同じくアリシアと共に後部座席に乗り込む。

「夏休みは帰ってこいよ、バカ息子」

「……母さんの本音は?」

「お前は無理でもアリシアはこさせろ」

 この分だと例の件は父さんたちにも知られているようだ。

「関係なく頼れよって父さんからの伝言だ」

「酔っ払いの戯言だろ……」

 立場もあるが見送りにすら来ていない。

「ま、覚えておく」

 そういうところが親父らしいと思った。


 ◆


 帰宅して荷解きを済ませてからリビングのソファで寛ぐ……が。

「なぁ、アリシア」

「何ですか?」

「少し真面目な話があるからさ……上に乗るのをやめない?」

 俺がソファに寝そべった瞬間に上に乗ってしがみついてきた。

 重くはないが……精神衛生上よくはない。

「……嫌です」

 いつもならすんなり退いてくれるが今日に関しては駄々っ子。

 思い当たる節があるので強くは言えない。

「なら、顔ぐらいは見せてくれ」

「……嫌です。どうせキスで誤魔化そうとしますから」

「キスしてほしかったのか?」

「……空耳です」

 スキンシップ不足も駄々っ子を助長している要因だったか。

「よいしょっと」

「キャっ……ん」

 無理矢理身体を起こし驚きざまに軽い口づけ。

 事態に気づいても拒みもせずに唇を放すと一瞬物足りなさそうな顔をして、誤魔化すようにぷいっと横を向く。

「……こんなんで機嫌良くなるほどチョロくありませんから」

「何も言ってないだろ」

 自白したことに思わず笑ってしまう。

「素直にこっち向いたら良いことあるんだけど?」

 畳み掛けるように頭を撫でる。

 ズルいと思うが俺から行動すると機嫌が良くなることが単純に嬉しい。

「……」

 せめてもの抵抗なのか背中を向け、頭が撫でやすい体勢を取った。

「俺の実家はどうだった?」

「初日の夜にも言いましたが余所者である私によくしてくれたいい人ばかりです。千歳姉さんが取り持ってくれたお陰です……」

 感謝と嫉妬の葛藤。

 安心させるのは俺の役目だな。

「好いてくれたようでなによりだよ」

「好きになるに決まってます。だって隼人さんにとって大切な人たちなのですから」

「その人たちにアリシアを取られそうになっているがな」

「……ヤキモチですか?」

「うーん、そういうのじゃなくて……。たぶん欲だな」

「……欲」

「そ。『この人の一番でありたい』っていう欲。まぁ、それだけアリシアのことが好きなんだよ」

 その感情は悪いことじゃないと伝えるとアリシアは振り返ったので宣言通りに頭を撫でるのをやめて口づけを交わす。

「俺が異性として傍にいて欲しいのはアリシアだけだよ」

「……私ったらまた」

「俺がいいと言ったんだから気にするな」

「……ですが」

「それに俺はヘタレだから。アリシアが嫉妬してくれないと行動できない」

「……バカ」

 本当はもっと甘やかしたいが際限がなくなってしまうので我慢だ。

「先程少し真面目な話があると言っていましたが、このことですか?」

「いや……それじゃない」

 この甘い雰囲気をもう少し堪能したかったな。

「実は来週から家を空けるかもしれない」

 ポケットから赤い便箋を取り出すとアリシアが一気に不機嫌な顔をする。

「待て待て待て。確かに紅葉からだが軽い頼まれ事じゃないんだよ」

 やましいことがないと示すために赤い便箋をアリシアに渡す。

「……近々隣国と戦争することになる」

「……へ?」

 目を見開いて驚くアリシアに事の経緯を全て語る。

 理解を示してくれたが、俺と当分離れる可能性を重要視したのか。

 その日は一日中離れてくれなかった。

  

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