第九話「激情」
社内に鈴の音が響き渡る。
雅楽は音楽プレイヤーで代用しているので少し雅さに欠けるがそれを補って余りある美しさがある。
いつもの稽古よりも運動量は少ないものの神へ捧げる舞は精神力を使うため、巫女服を纏った千歳は額に汗を滲ませていた。
「あれ、いたんだ」
集中力は凄まじく一通り舞って休憩の時にようやく俺に気づくレベル。
「いつから?」
「十分くらい前だな」
「声かければよかったのに」
千歳にタオルを投げ渡すと汗を拭う。
「普段と印象が違ったからな。声をかけづらかったんだよ」
「見惚れてたの? アリシアにチクろうかなー。なんて、アリシアは?」
「梓さんのとこ」
「隼人くんのために大和の料理を習っているわけか健気だね〜。けど、隼人くんいいの? 梓さんだよ?」
元々母さんの知り合いで幼少期から紅葉の護衛役になるまでの俺たちを知る人物。
当然アリシアに言ってほしくないエピソードの十や二十は持っている。
「他に頼める相手がいなかったんだよ」
第一や第二台所の人はあまり親しくない。
千歳は神楽舞の練習で多忙。
消去法でハイリスクを負うことになった。
「ふーん。で、私になにかよう?」
さすが従妹。
察しが良い。
「アリシアのこと礼を言っておこうと思ってな」
「私なりに義妹を可愛がってるだけだよ」
だからといって目を血走らせるほどなのはどうかと思う。
「ただお礼してくれるって言うなら明日の夜にでも時間頂戴」
「そんなんでいいのか? てっきり行きたがってた本格アフタヌーンを奢れとか言われると思ってた」
前に料金表を見た時「結構するな!」と感想を漏らしたのをよく覚えている。
金額的には問題なかったが落ち着かない雰囲気のため敬遠していた。
「覚えてたなら連れて行っておいてよ」
「別に来週の休日に行けばいいだろ」
「アリシアに悪いからダーメ」
「そこまでは嫉妬しないだろ」
「私は隼人くんがそのうち刺されないか心配だよ」
「俺の婚約者を勝手にメンヘラ化させるのはやめろ」
「アリシアの愛情を時には客観視しとかないとダメだよ? 隼人くんが思っているよりもはるかに溺愛してるんだから」
「俺にその価値はない」
「アリシアといい感じかと思ったら相変わらず自己評価低いんだね」
「人間そう簡単に変われたら苦労しないだろ」
俺が自分の生き方を変えられないように。
「それもそうだね。で、建前は終わり?」
「なんでアリシアに肩入れするんだ?」
千歳も俺に依存することを簡単には変えられない。
「言いづらいことを平然と聞かないでよ。デリカシーないの?」
「無理をしているとまでは言わないが自分を誤魔化しているように見えるからな」
「初めて長いこと一緒にいるのはロクでもないって思った」
「なら、安心しろ。お互い様だ」
俺が気づくことは千歳も気づく。
その逆もまた然り。
俺達はそれ程までに時間を共有してきた。
「その話は夜にしてくれると助かるかな」
「わかった。場所は第四道場か?」
「うん。わかっていると思うけど」
「一人で……だろ?」
「そ。また後でね」
「ああ」
梓さんにアリシアを預けて正解だな。
お陰で嘘を吐くことなく俺は千歳との約束を果たせる。
◆
風見家の敷地内で最も母屋から遠く、一番狭い第四道場。
この道場が建てられたのは俺が五歳の時。
親父に初めてねだった俺専用の道場になるはずだった場所。
気がついた頃には俺と千歳の道場となった思い出の詰まった場所で。
互いに向かい合うように座り、心を落ち着かせるために目を閉じていた。
「「……」」
月明かりしか光がない道場内。
今宵は満月といえどその光は心許ない。
しばらくさて合図もなく傍らに置いた刀を持って同時に立ち上がる。
立会人もいない。
観客もいない。
模擬刀ではなく真剣。
俺は刀を持たない選択肢もあったがそうはしなかった。
何年ぶりかの立ち会いに懐かしさを感じる暇もなく、戦いの火蓋は突然に切って落とされた。
――キーン!
道場内に遅れて金属音が鳴り響く。
ぶつかって発生した衝撃波は道場を揺らし、鍔迫り合いで火花で相手の顔が少しだけ見える。
「腕はナマッてないようだね」
何か言いたげな……迷いをはらんだ顔。
生まれてほとんど一緒にいて初めて見せた表情に考えさせられる。
「当たり前だ」
俺も千歳も風見家の先手必勝ではなく、後の先を得意とする。
つまり相手の思考を読み切った方の勝ちとなる。
一見有利に見える力勝負も相手の読みやすい手になりえるため膠着してしまう
「依存した相手が自分以外を見ている。それが一度じゃない私の気持ちが隼人くんにはわかる?」
躊躇ったために力負けして押されてしまう。
千歳がその隙を逃すはずもなく追撃が来ていた。
「やっと帰ってきたと思ったのに結局は紅葉様に仕えて。挙句の果てには命令で他国の姫君を婚約者?
しかも、君は好意関係なくそれを受け入れていた」
感情の荒ぶりが剣筋にも現れて繊細さの欠片もない。
なのに読めない、弾き返せない。
「時間が経つといつの間にか互いを想い合っている。なら、私は私の居場所を作ってくれた恩を返すために頑張るしかないじゃない!」
千歳のことをわかった風に装い。
勝手に都合のいいように解釈して。
依存から目を背けたのは俺の方だ。
「どうして未だに『鍵を返せ』と言わないの!? 私への同情のつもり? 何か言ってよ……」
千歳の涙を見るのはいつぶりだろう。
知らない間に実力も精神も強くなったと誤解していた。
彼女は今でもあの頃のまま。
か弱い一人の少女だ。
「俺は別に千歳の居場所を作ったつもりはない。今千歳がいる場所はお前が自分で築き上げたものだ」
力で支配して周囲を無理矢理納得させたことなんて口が裂けても助けたといえるものではない。
「あのときにも言った。あそこはお前の避難所に変わりはない」
俺がたぶん唯一してやれることは何かあっても俺を頼れと意思を示すことだ。
「あのときと状況が違うじゃない」
「状況が変わっても俺の答えは変わらん」
誰かを頼らないと生きていけない彼女は事実を美化して俺の亡霊に追いすがっている。
それを自覚しているからこそ辛く苦しいのだろう。
「そうやって甘やかさないでよ!」
痺れを切らして大振りになる。
誘いとわかっていたので距離を取った。
「君がその気なら紅葉様の元を離れることをしなくてよかったのに。そしたら私も……素直に喜べたのに」
千歳は俺が紅葉と上下関係を越えた間柄と知っている。
だからこそ離れてアリシアを選んだことが気に食わない……だけなら俺は千歳と親しくしなかっただろうな。
「アリシアが悪い女なら『ダメだよ』って強く言えたのに! 知れば知るほどに彼女は隼人くんのことを想っている。もう何がなんだかわからないよ」
あたる相手もわからずに抱え込み。
どんな心境でも相手を冷静に見る優しさを持つ。
それが俺の自慢な従妹だ。
「千歳はアリシアのことが嫌いか?」
「あんないい子好きに決まってるじゃん」
「なら、難しく考えなくてもいいだろ?」
「本当にデリカシーがない!」
腕が痺れたと錯覚するほどの強撃。
落としそうになった刀を逆の手で掴み直して千歳の刀を薙ぎ払った。
「私は隼人くんが好きどころか依存している。そんなのアリシアにとって邪魔にしかならないじゃん!」
だんだん苛ついて来たので俺も力任せに大振りする。
「依存していようが俺にとって千歳が大切な家族なのは変わらないだろうが!」
用意していた刀は安価なもの。
超人同士の戦いに耐えきれずに同時に粉々に砕け散った。
「どうしたらいいかなんて俺にもわからない」
どれだけアリシアを溺愛しても未だに紅葉の存在がチラついている。
依存から解放されることは生易しいことじゃない。
「だからといって焦って無理をする必要はないってことはいえる」
きっかけ一つでどうこうできないからといって諦めはしない。
必ずこの感情とも上手く付き合える時がやってくる。
「……そんな優しくしたらアリシアに怒られるよ?」
「それ以上にアリシアを愛せばいいだけだ」
倒れた千歳に手を差し伸べる。
「だから女誑しって呼ばれるんだよ」
そう言って呆れながらも千歳は手を取る。
雲間から月明かりが再び道場内を照らし、千歳はいつもより少しスッキリした顔をしていた。
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