第八話「花嫁修業」

 道場に着くと既にほとんどの門下生が集まっている。

「お、おはようございます、若! アリシアさん!」

「おはよう」

「おはようございます」

 一人の挨拶を皮切りに全員の視線が向けられて挨拶される。

 酔いは覚めたようで昨日敵意を向けていたやつほど青ざめていた。

「千歳姉さんたちがいませんね」

「あいつは神楽の練習」

「神楽?」

「そういえば祭事について説明していなかった」

 このままではただの飲んだくれイベントと認識されかねない。

「うちは毎年。五月の第一土曜日に風見神社で祀っている武の神様に神楽舞を奉納するんだ」

 それにかこつけて毎日宴会するのも昔からの習わしらしい。

 まぁ、他の日全てを心身を鍛えている門下生への労いの場というのが正しいが。

「巫女に選ばれるのは一人で今年は千歳が選ばれたんだ」

「なるほど……」

「鏡夜たちは相楽家のほうで今日は不参加だろう」

 そもそも葵先生は武芸者じゃないから朝稽古にはこないだろう。

「寂しがらなくても昼の宴会には来るから」

 いつもの流れで軽く頭を撫でるが反応が薄い。

『ヒューヒュー』

 昨日の今日で大衆に対して無関心すぎた。

 堪えたアリシアはさすがとしか言えない。

「おーい、バカ息子。いちゃついてないで前に来い」

「へいへい」

 破門されて二年ぶりに全員の前に立つ。

 浮ついた雰囲気を眼光一つで鎮めるのは少し横暴だったか?

「あんま長い話は苦手だから手短に。過半数が二日酔いっぽいが加減はせん。酒が欲しけりゃ死ぬ気でかかってこい。以上」

 人参をぶら下げられた馬のように躍動する門下生たち。

 ある意味アルコール依存症だな。

「手伝ってやろうか?」

「問題ねえよ」

 各々壁に立てかけた竹刀を持ち始めて準備を始める。

「アリシアー、こっちに来い」

「はい」

 アリシアに門下生たちと同じ竹刀を渡すと感触を確かめていた。

「言い忘れていたが今回は俺じゃなくアリシアを相手にしてもらう」

「よ、よかったー」

「いや待て。若のことだ。婚約者が危なくなった瞬間に鬼神の如き速さで突っ込んでくるんじゃないか?」

「あの溺愛っぷりはそうに違いない!」

「皆奇襲を警戒しろよ!」

『おう!』

 何も知らない者たちから見当違いの声が聞こえてくる。

 大方、単なる可愛いだけの姫君として認識しているんだろう。

 そんな甘い考えの二日酔い共は泡を吹いて無様に倒れるといい。 



 最初に言っておくが風見家の門下生は二日酔いでも決して弱くない。

 統率された動きに卓越した剣技。

 一度戦となれば敵を蹂躙して突き進む無敵艦隊。

「ありがとうございました」

 そんな相手に汗もかかずに無傷で捌き、気絶させるか虫の息の門下生たちの中心でお辞儀をするアリシア。

 予想よりひどい結果になったが、アリシアも間違いなくバケモノの領域に片足を突っ込んでいることを確信した。

「お前は他国の姫様になんてことしてんだ……」

 遅れてきた鏡夜が呆れるのも無理もない。

「しかたないだろ。本人が俺と肩を並べるって聞かないんだから」

 やんわり断ってもご飯が白米のみになったのだ。

 胃袋を掴まれている身としては一度たりとも耐えられん。

「何をどうやったら一ヶ月も経たずにバケモノを作れるんだ?」

「ウ◯娘の育成ゲームのノウハウが役に立ったのかもな」

「ならお前は間違いなく名トレーナーだ。すぐさまトレ◯ン学園へ編入しろ」 

「冗談はさておき二日酔い共にはいい酔い覚ましだろ」

「その酔い覚ましに婚約者を使うなよ。見てみろ、見惚れていた朝稽古不参加者が青ざめて腰抜かしてるぞ」

 酷いやつなんかは熊から逃げるように視線を外さずに後ずさりしている。

「見惚れるほど可愛いのは同意してやるが慈悲はない。いい気味だ」

 どちらかといえばアリシアのほうだろうが慈悲がない。

 昨日宴会場で俺に酒瓶を投げた奴らは漏れなく気絶しながらゲロっている。

「お前らの愛は重すぎる」

「出来立てカップルみたいなもんだ。多めに見てくれ」

「やってることに可愛げがないから無理だな」

「隼人さーん」

 跳躍して人垣を越えて目の前に着地する。

「頑張ったので褒めてください」

「おーえらいえらい。な?」

「な? じゃねえよ」

「?」

 せめて甘い雰囲気で誤魔化そうとしたが失敗。

 少しでもアリシアの後ろを見てら現実に引き戻されるのでどちらにしろ無理か。

「どうだ鏡夜。次はお前が戦うか?」

「汗水たらして飲む酒は好みじゃねえな」

「私としては隼人さんに相手をしてほしいのですが?」

「良かったな愛しの婚約者からのご指名だぞ」

「レースにトレーナーが出るわけ無いだろ」

「いつまでウ◯娘ネタ引きずるつもりだ?」

 最近少しずつだがアリシアと稽古をしていると手が抜けなくなっている。

 腹が減っている状態では御免被る。

「また、二人きりの時にな」

「絶対ですよ?」

 虫の息と思っていた門下生たちがのそのそと起き上がる。

 さすがの耐久力だな。

「なぜだろう。内容はいちゃついているだけなのに微笑ましくないのは……」

「超人カップルってこんなもんだろ?」

「まぁ、変にいちゃつかれるよりかはマシか」

「……アリシア。第二ラウンドだ」

「? わかりました」

 アリシアから闘争心を感じた門下生たちは蜘蛛の子を散らすように逃げる。

「鬼! 悪魔!」

「その意地悪さで婚約者に捨てられてしまえ!」

「まぁ、隼人さんが意地悪くても私は好きですからその未来はありえませんね」

「「ひっ――」」

 相手の悲鳴を打ち消すように。

 教えていない縮地で文句を言う二人の門下生の背後を取って一太刀ずつで仕留める。

「お前の婚約者。うっかりあいつらの未来まで断ち切らないよな?」

「大丈夫。加減はしてる」

「気絶させることのどこが加減しているんだ?」

「生きてるだろ?」

「お前は義務教育からやり直してこい」

「中学三年のツケがこんなところで回ってくるとはな」

 門下生たちの悲鳴をBGMに鏡夜とダベりながら組手をすること約一時間。

 アリシアと門下生たちの朝稽古は第五ラウンドまで続いた。



 朝稽古を終えてシャワーで汗を流して、朝稽古の指南役の代わりを務めたアリシアへのご褒美としてダメ元で第三台所に来ていた。

「久しぶり梓さん」

「これは若お久しぶりでございます」

 声をかけたのは長い黒髪をお団子にした第三台所の料理長の三上梓さん。

 俺が物心付く前からこの家で料理をしている大ベテランだが年齢不詳の女性。

 感情が読めない漆黒の瞳が俺の後ろにいるアリシアに向けられている。

「三上梓と申します。ようこそおいでくださいました若奥様」

「わかっ?!」

 たまにこういう茶目っ気があることが人気の理由なのだろう。

「あまりアリシアをからかわないでください」

「私は事実を申し上げただけです。それともその意思はないと?」

「……ありますけど」

「では、何も問題はありませんね」

 言葉巧みに相手を言いくるめる手腕。

 口ではこの人に絶対勝てないので俺が敬語で話してしまう数少ない相手だ。

「今立て込んでます?」

「いえ、第一台所での朝の仕込みが終わって暇を持て余していたところです」

 梓さんは元第一台所の料理長だったが「後任育成のため」という理由でその職を降りた。

 風見家としても彼女を一介の料理人にしておくのが忍びなく、新たに彼女専用の台所を建設して何かあればサポートしてもらう体制で落ち着いた。

「は、隼人さん」

 まだ、梓さんの先制パンチが抜けきっていないアリシアに服の裾を掴まれる。

 自分で言いたいようなので任せた。

「あの三上さん……」

「よろしければ親しみを込めて梓とお呼びください」

「では、梓さん。私に料理を教えてください!」

 これがアリシアが望んだこと。

 これを気に大和の料理を覚えたいらしい。

「私でよければ」

「ありがとうございます!」

 承諾してもらいアリシアは気合十分。

 両手で握りこぶしを作りながら燃えていた。

「こちらから頼みに来て言うのもなんですが……いいんですか?」

「先程も申し上げた通り、今は暇ですから。それに……」

「それに?」

「好きな人のためにその人の母国料理を覚えたいという可愛らしい少女の頼みを誰が断れましょう」 

「……」

 わかりやすく動揺して照れるアリシアを心底微笑ましそうに見つめる梓。

 若干の不安はありつつも「男子禁制」の一言で退散することを促された俺は手持ち無沙汰になったので千歳を冷やかしがてら風見神社に向かうことにした。

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