第七話「藤棚の記憶 後編」
「そう自覚したから俺は紅葉から離れることにした。これ以上いたらあいつが望む護衛役では居られないから」
「紅葉姫が望む護衛役?」
「犠牲にならずに自分を大切にして。傷つくことなく傍にいる。後者はできても前者は絶対に無理だ」
気がついた時にはもう自分でも引き返せないほどになっていた。
依存しないと思っていた紅葉でさえ関係性に溺れるほどに俺達はお互いを求めている。
男女とか関係なくただ存在を求めている。
「どれだけ力があっても所詮は一人の人間だ。いつか限界はやってくる」
例え大和一の剣士でも、修羅と呼ばれるバケモノでも。
絶対ではない。
「そのときに自分を犠牲にしないと約束できないんだ」
手が震える。
こういう時に自分が人間だと自覚することに我ながら笑えてくる。
「隼人さんはわりと繊細で臆病なんですね」
思っていた答えとは違い、アリシアの方を真っ直ぐ見た。
「隼人さんの不安そうな顔は初めて見ましたね」
何故……何故こんな非人道的ともいえる話を聞いても。
彼女は微笑んでいる?
「私に拒絶されるのがそんなに怖いですか?」
「……」
「話をして私が離れると思ったんですか?」
「……」
「私への好意が偽りだと?」
「……」
「だから私からの好意を素直に受け取れないと?」
「……」
臆病はどっちだと言いたいが全て図星なので言い返せない。
「世話の焼ける年上ですね。おまけに面倒くさいときた」
ため息を吐きながらアリシアは近づいてくる。
俺の頬に手を当てて涙を拭かれてようやく自分が泣いていることに気がついた。
「『傍にいろ』。それも飢えを満たすための言葉ですか?」
「……違う」
「『一生傍にいろ』も?」
「……違う」
恥も外聞もなく言葉を話すのはいつ以来だろう。
しかも、つい先日出会った異性に自分を曝け出している……情けないな。
「私だって不安ですよ? だって相手は考えの読めない赤の他人。信じることは出来ても信じ切ることは難しいんです」
無意識に頬に触れるアリシアの手を握る。
冷めたような言葉とは違い、その手はほんのり温かい。
「それに私も似たような価値観を持っていますから……隼人さんのことを否定はできません。たださっきの言葉で少しだけ傷つきました」
「……すま――」
「本心を言ったのです。謝らないでください」
「……」
アリシアの空いた手が俺の胸に添えられる。
焦りと緊張で鼓動が早くなっているのもバレバレだ。
「他の方とのことは知りません。ただ私とのことだけは素直でいてください」
アリシアは頬と胸から手を離して俺を抱きしめた。
「どんな言葉でも聞きます。どんな想いも受け止めます。そして……どんなあなたでも受け入れますから」
我慢できずに力強く抱きしめるとアリシアは抱きしめ返してくれる。
ああ、そうか……。
俺はアリシアに……俺がアリシアにしたように受け入れて欲しかったんだ。
「隼人さんはあの姿を見せたくなかったのですね」
修羅の道行。
強くなるために自分以外を捨てて得た極地。
使えば使うほどに思考がそっち側に引っ張られる。
今は傍にアリシアがいるから余計に恐れる。
「アレは俺にとって孤独の象徴だから」
大切なものを全て捨てて得た力など意味がない。
それを理解できなかったから紅葉は強く止めなかったのだろう。
「紅葉姫に依存していたなら私にも依存してくださいね」
してほしくないくせにアリシアは意地の悪い笑みを浮かべる。
「また誰かと苦しい思いをするのは嫌だよ。代わりに夢中になるから許してくれ」
「仕方ありませんね。延滞料は安くしておきますからなるべく早くしてくださいね」
「気前のいい婚約者でよかったよ」
「何せ隼人さんにゾッコンですから」
「……今の話を聞いてもそう思えるなら重症だな。葵先生に診てもらえ」
「ふふ。やっと、いつもの調子に戻りましたね」
「おかげさんでな」
こんな俺を受け入れる?
嬉しいことを簡単に言うやつ。
だから、好きなんだろうな。
「ちゃんと自分も大切にしてくださいね」
「約束する。今は出来ないが……アリシアを大事にするのと同じぐらい自分を大事にするから」
「……言葉だけでは信用できませんね」
イタズラな小悪魔な顔をして俺を困らせて楽しんでいる。
いつもなら意地悪をして反対のことをするのだが今日ぐらい素直になるのもいいかもな。
「なら……これでどうだ」
他に誰もいない藤棚の下で。
人生初めての口づけを交わす。
アリシアは予想していたのか驚きもせずにあっさり受け入れた。
「癖になりそうなぐらい幸せを感じます」
「当分しないから癖にはならない。よかったな」
「ヘタレ」
「おいコラ」
「そういえばお土産屋さんがありましたね」
「話を変えようたってそうは――」
「この前いいのがなかったせいで買えなかったキーホルダーを見に行きましょう」
来たときとは違いアリシアは俺の手を取って引っ張っていく。
「……そうだな」
そんな顔をされたら文句も言えやしない。
「藤の花があるといいのですが」
「ん? 何で藤の花?」
「今日のことを忘れないように。それと花言葉がぴったりだなと」
「……花言葉?」
「私を白いアネモネで騙したくせに……」
「あれは大和の人間なら誰でも知っていることだ。俺は花言葉には詳しくない」
「なら、教えますので覚えてください。藤の花の花言葉は『優しさ』と『歓迎』。そして……『決して離れない』です」
あーダメだ。
我慢してもニヤけてしまう。
「それは……忘れることができなさそうだな」
単なる気分転換をするはずだったのに思い出づくりになってしまった。
「ほら、行きますよ」
「そんなに引っ張るなよ」
何気ない休日の昼下がり。
俺達はまた一つ分かり合えた。
◆
お土産屋さんで藤の花のキーホルダーを二つ購入して帰るために入口に移動。
時間的にバスに乗れたのだが……。
「傷ついたので駅までお願いします」
行きと同じように抱き上げると取ってつけたような理由でお姫様抱っこのまま下山。
あまり栄えていない駅だったので目撃者ゼロで済んで一安心。
その後は夕食を外で済ませてから帰宅。
交代で風呂に入りあとは寝るだけ……なのだが。
「あのーアリシアさん?」
「なんですか、隼人さん」
「どうして俺の部屋にいるんですか?」
「隼人さんの傍にいたいからです」
「……どうして枕を並べているんですか?」
「一緒に寝るためです」
「一人で寝れるよな?」
「最近忍び込んで寝るのが癖になったせいか一人だとどうにも寝付きが悪いんです」
「いや、知らんがな」
慣れない関西弁が出るほどに混乱している。
「前から思っていましたが何で一緒に寝るのがダメなんですか? 私達婚約者ですよ?」
「婚約者だからといって一緒に寝ていい理由にはならないだろ」
「大丈夫です。ヘタレな隼人さんのことですから寝ている私を襲うようなことをしませんよ」
「そんな信頼感はいらん!」
毎回思うがこの姫君のくせに倫理観どうなってんだ!?
「それに隼人さんだって受け入れてるじゃないですか」
「どこが?! 起きた後にちゃんと毎回注意してるよな?」
「なら、聞きます。最近目が覚めた時どんな体勢ですか?」
「どんなって、そりゃあアリシアを抱きしめ――」
……え?
「そう。私がどう頑張ったってその形にはなりません。最初の頃は私が抱きつくだけだったので隼人さんに寝相で抱き癖はないはずです」
「……おやすみ」
「話はまだ終わって――キャっ!」
うるさいので布団の中に引きずり込んで抱きしめた。
「しかたないですね。今日のところはこの辺にしといてあげます」
行動と言動が一致しないアリシアは強く抱きしめながら頭を俺の胸辺りにグリグリと押し付けてくる。
その際お腹辺りに柔らかい感触を押し付けられるが気にしたら負けなので眠りについた。
◆
「本当に矛盾してるよな」
時刻は二時。
朝稽古までは少し余裕のある時間。
癖になっているのか寝る前は反対を向いていたアリシアが見事にしがみついている。
お互い相手の苦悩を受け入れたのに向けられる好意に自信がないという面倒くささ。
その実、こうやって抱き合って寝る始末。
今日は気分を変えてアリシアの頬を突いていた。
「ん、んー……」
嫌がる素振りを見せずに艶めかしい声を上げるのはやめてほしい。
俺は理性のバケモノではないんだ。
頬を突くのにも飽きたのでいつも通り頭を撫でた時に気付いた。
「……何で狸寝入りしているんだ?」
「いつもとは違う行動をしていたので興味が湧いて」
つまり頭を撫でていたことは前から知られていたわけだ。
「手が止まっていますよ」
「あ、はい」
要求されたので再開。
追求されない辺り独り言は聞いていないようだ。
「今、何時ですか?」
「二時ちょい過ぎ」
「なら、ゆっくりできるのは少しだけですね」
「眠かったら寝てていいんだぞ。むしろ俺もサボって二度寝したいまである」
「魅力的ですが、そういって隼人さんは私が寝たのを確認して稽古に行きますから」
さすがアリシア。
バレてーら。
「それにせっかく風見家の方が好意的に受け入れてくれたのです。情けない姿を見せるわけにはいきません」
「そう言われたら俺もサボるわけにはいかないな」
名残惜しいが撫でるのをやめて身体を起こす。
「寝る場所がいつもと違うわけだが、体調は?」
「睡眠時間の割には快眠です。ご実家に対しての緊張よりも隼人さんと寝ることへの安心感が勝ったんでしょう」
「はは。どこに行っても俺と寝れば快眠とは安価でいいな」
「それは隼人さんもでしょう?」
「否定はしない」
ゆっくりタイム終了。
お互い別室で道着に着替えて道場へ向かった。
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