第六話「藤棚の記憶 前編」

 若狭真琴の消息不明になって二週間が経った。

 やはり合鍵を作りに行った日に多くの学園関係者に見られていたようで週明けから学園中大騒ぎ。

 人の噂も七十五日というが二週間が経っても収まるどころか、勢いが増している気がする。

 外に出れば注目されるのと休日になると紅葉から送られてくる報告書を読むためリビングのソファで寝そべる時間が多くなっている。

 アリシアも邪魔をしないようにと気遣ってか話しかけることはせずに俺の足元で本を読んだりスマホを触ったりしている。

 気分を変えたいが出不精な俺には選択肢がないし、アリシアも大和内のことには詳しくない。

 最終的には家でダラダラすることに落ち着いてしまった。

 資料を読んでいても埒が明かないので郵便物を仕分けをしようとして一枚のハガキが目に入った。

「もうそんな時期か」

「何がですか?」

 無意識に声が出てしまったのでアリシアにハガキを見せる。

「植物園?」

「そ。そこの園長と知り合いでな。催し物があるとこうやってハガキを送ってくれるんだ」

「なるほど……」

 アリシアは裏側に映っている藤棚の写真を凝視している。

 偏見かもしれないがお姫様というやつは花を愛でるのが好きなのだろうか。

 時刻を確認すると午前十時。 

「アリシア」

「はい、何でしょうか?」

「デートをしないか?」

「ええ……いいです……よ?」

 言葉を認識したアリシアは目をパチクリさせながらこちらを見る。

「そんなに驚くことか?」

「ここ最近外に出るのを嫌がっていたので」

「あれだけ騒がれれば誰だって辟易する」

「……そんなに私と婚約しているのを知られるのが嫌なのですか?」

 這い寄ってきたのに気づかずお腹の上に乗られる。

 俗に言うマウントポジションだ。

「そんなわけないだろ」

 軽いので退けようと思えばすぐ退けれるが好きにさせる。

「ただ目立つのがそんなに好きじゃないだけだ」

「それは……わかりますが」

 普段は布団に潜り込むぐらい大胆なのに俺との関係に自信がないのは何故なんだろう。

 今でさえ客観的に見れば『何事?』と言われるほどに距離が近い。

 乙女心もといアリシア心は今日も複雑のようだ。

「不満はあとで聞くから先に出かける用意をしよう」

「別に不満はありませんよ。着替えてきます」

「了解。あ、スカートを履くなら丈が長いやつにしてくれ」

「? わかりました」

 アリシアは俺から降りると軽い足取りで二階に上がっていく。

 固まった身体を軽く伸ばした。



 花柄ワンピースに薄手のジャケットを羽織ったアリシアを連れて駅弁を食べながら電車を乗り継ぎ、客のいないバスに乗り込む。

「結構遠いのですね」

「まぁ、アクセスの悪さで閉園したようなもんだからな」

「閉園?」

「今は紅葉が道楽と親切心で支援していて一般開放はされていない。だから、あいつの許可がない人は入れないんだ。俺の場合は元護衛役って肩書きがあるのとガキの頃家族でよく行っていたからハガキが届く」

「なるほど。隼人さんにとってのの場所というわけですか」

 何やら含みがある気がするが……気にしないでおこう。

 そうこうしているうちにバスは植物園に一番近いバス停に到着。

「お客さん本当に大丈夫かい?」

「平気です」

「いや僕が心配しているのは君の彼女の方なんだけど……」

 アリシアのお洒落な服装は明らかにこの先を歩くことに適していない。

 運転手のお兄さんが心配するのは当然だ。

「それを含めて平気です」

「そ、そうかい? まぁ、気を付けて行くんだよ」

 二人分の運賃を払って下車。

 バスが見えなくなるまで準備運動をする。

「家を出る時に確認しましたが本当にこの靴でよかったんですか?」

 目の前には険しい山。

 そしてアリシアの靴はグルカサンダル。

「こうするから問題ねえよ」

「キャッ!」

 いつかしたようにお姫様抱っこをした。

「なるほど。だから丈の長いスカートにしてくれと」

「そういうこと。しっかり掴まれよ」

「はーい」

 最近要求してこなかったが言わないだけだったようでアリシアは上機嫌。

 忍者の如く木を飛び移り目的地を目指した。


 ◆


 植物園の入口が見えてきたのでアリシアを降ろす。

「残念です……」

「さすがに園内をお姫様抱っこで回っていたら頭のおかしい奴だろ」

「ちなみに帰りは?」

「さっきと一緒。帰り時間によっては駅までになるだろうな」

「なら、我慢します」

 俺としてはアリシアの顔が近いし、全身柔らかいし、いい匂いするし遠慮したいが、ここまで渇望されたら断れない。

「おや、坊っちゃんじゃないですか」

 入口まで行くと白髪でメガネをかけたお婆さんが受付に座っていた。

「こんにちわ園長」

「はい、こんにちわ。何年ぶりですかな?」

「最後に来たのが護衛役になる前だから五年くらいだな」

「そりゃあ、立派になるわけだ。おや、そちらの女性は?」

「紹介しとく。俺の婚約者の」

「アリシア=オルレアンです」

「まあまあ。これはご丁寧に。今日のお目当ては」

「藤棚」

「今日はさっき帰った方ぐらいしかいませんので」

「……そうか」

 あいつ来ていたのか。

「なら有り難く貸し切り気分を味わっておく。行こうか、アリシア」

 誰もいないと聞いたのでアリシアの手を握る。

「あ、はい」

 急に握ったせいで頬を赤くしながら小走りで隣に並ぶ。

「ごゆっくり」

 久々に来たのでパンフレットを見ながら奥へ進んだ。


 ◆


「つい思いついたから誘ったがアリシアは植物観賞に興味はあるのか?」

「国にいた時には自分の植物園があるぐらいには好きですね」

「スケールがでかいなー」

「これでもアトリシア公国の姫君ですから。まぁ、興味がなかったとしてもついてきましたよ」

「何故?」

「隼人さんの好きなものを知れますから」

「そんなに普段から言ってないか?」

「好きなものに限らずあまりご自身のことは言いませんね」

「……すまん」

 アリシアは自分の過去を話してくれているのが申し訳なくなってしまう。

「謝ってほしいわけじゃないんです。お陰で隼人さんのことをよく観察するようになったので。特にご飯の時は顕著ですので見ていて面白いです」

 道理で食事中に視線を感じるわけだし。

 最近好みの味になりつつあるのはその成果というわけか。

「自分の話か……聞いても面白くないものばかりだと思うぞ?」

「それを判断するのは私ですし。どんな隼人さんでも私の気持ちは変わりません」

 若狭真琴との戦いで見せた"修羅の道行"。

 あの悪魔に魂を売ったような異常な光景を見てもこうして想いをぶつけてくれる。

 俺はいい婚約者と巡り合ったものだ。

「……長い話になるぞ?」

「一生傍にいて聞いてますから」

「なら、何から話そうか迷うな」

 自然とニヤけてしまうのを隠すために少し前を歩く。

「私としては紅葉姫との話が聞きたいですね」

「紅葉の? また何で」

「隼人さんに対して好意があれば嫉妬してもいいんですよね?」

「……そういえばそんなこと言ったな」

「まぁ嫉妬というほどではありませんが二人が何故信頼してあっているのかに興味があります」

「信頼ねえ……」

 自分のことを話すのが苦手な俺が最も話しにくい話題が紅葉だ。

 今は過去になりつつあるものだったとしてもアリシアに話すのは気が引ける。

「少しまとめたいから藤棚を見ながらでもいいか?」 

「はい。今日は話す時間がありますから」

 アリシアがどういう反応を示すのか怖いが……信じるしかないよな。



 藤棚のあるエリアに着くとアリシアがその光景に目を輝かせたので手を離す。

「キレイですね……」

「ああ……」

 五年ぶりに見て昔より精神的に成長しているのか感嘆の息が漏れる。

「アリシアは"共依存"って言葉を知っているか?」

「言葉の意味は知っています」

 共依存。

 自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存して囚われている関係のこと。

 また、その関係性において自分の存在価値を見出すために自分を見失ったり、危険な状況に陥ったりする危うい関係。

「前に生きる理由について話したことを覚えているか?」

「確か『今死んだら後悔するから生きることにした』ってやつですよね」

「そうだ。一年前まで俺の生きる意味は紅葉を守ることだった」

 今カノに元カノのことを話すような気まずさを他所に話を続ける。

「俺は自分のために生きられない。呪われたように誰かを救わないと自分を見い出せない。そこに好意や善悪は存在しない。ただ尽きることのない承認欲求を満たすためだけの無駄な行為だ。それでも生きる意味はそれしかなかったから三年間続けた」

 俺はアリシアに対して遠回しに最低なことを言っている。

 あなたに手を差し出したのはただ飢えを満たすためだったかもと。

 こんなにも想いを寄せてくれる相手に言わなくていいことを言っている。

 けど、しかたない。

 これが俺なんだ。

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