第五話「夜の帳」

 さすがに浴衣のアリシアに木登りをさせるわけにはいかないのでいつも通りお姫様抱っこで風見家の敷地内で最も高い木の上に登る。

「落ちるから暴れるなよ」

「はーい」

 見晴らし台として一畳ほどの木の板に腰掛ける。

 普段より高い場所にいるせいか空には星々が広がっている。

「隼人さんってやっぱりロマンチストですよね」

「現実逃避のためにこうしてぼーっと何かを眺めることが好きだから、ある意味そうかもな」

 眼下には宴会場の灯りが見え騒ぎ声が木霊する。

 あの輪に入るよりかはこうしているほうが楽だ。

「だから最近私がキッチンにいると見ているのですか?」

「それもあるな」

 学生服の上にエプロン。

 料理のために髪を束ね、鼻歌交じりに楽しそうに作る姿。

 何度見ても飽きないだろうな。

「挨拶してきた印象は?」

「疑いたくなるぐらい歓迎されました」

「そいつは結構」

「あとで千歳姉さんにはお礼を言わないといけませんね」

「そうだなー」

 やはり気づくか。

 アリシアは力なく肩に寄り掛かる。

「あんなにいい人なのに……何故私なのですか?」

 ほら来た不安モンスター。

 落ちないように膝枕の体勢を取って頭を撫でる。

 抵抗するかと思ったがアリシアは大人しく受け入れた。

「人に優劣をつけて一番を選ぶよりも。大切にしたいって想いを優先したからかな」

 この人じゃないとダメだ。

 この人に傍にいてほしい。

 依存に近い直感的な感情は尊いモノだと思う。

「理解はできても不安は残るって顔だな」

「面倒な女だと自覚はあります」

「家庭環境や人生経験によるものだろう。それはアリシアが生きてきた証だから卑下することはない」

 彼女は人と触れ合う機会が極端に少なかったのだろう。

 知らない相手には魔法が使えないことを隠すために一定の距離を保ち、知っている兄弟や親戚たちには道具と見なされ。

 両親は表立って彼女を守ることはできない。

 そんな世界で生きてきた。

「それに藤棚の時に言っただろ。不安に感じたらいつでも言うといい、俺はそれを否定しない」

 誰もがうちに秘めたものは言葉にしないと伝わらない。

 それが負の感情だろうと受け入れてくれる人。

 それがアリシアが無意識に求めているものだ。

「はい……」

「俺も素直じゃない。けど、アリシアへの想いは本物だよ」

「それを疑ったことは一度もありませんよ」

「なら、よかった」

 普段何気なく一緒に過ごし。

 時にはこうやって語らう。

 一ヶ月前の自分が見たら呆れているだろうな。

「葵さんとは何を話していたんですか?」

「互いの近況報告かな」

「最近保健室に入り浸っているのでは?」

「基本的にはこの前の事件の追加情報がないかとか、あの時助けてもらったから定期的にコーヒーを淹れに行ってるだけだよ」

 アリシアの髪を撫でる手がやめられない。

 触り心地が良すぎる。

「残念ながら若狭真琴はまだ消息不明だそうだ」

「……そうですか」

 あの時殺していれば……なんて後悔はない。

 取り逃がしたのは引き渡した後だが、もしもあいつがまた何か事を起こすなら止める責任はある。

「安心しろ。何かあれば……」

 守ってやる。

 そんな言葉はアリシアは望まない。

「俺が傍にいるから」

「ふふ、それは安心ですね」

 撫でていない手を握られる。

 手に伝わる温かさが不安など感じていないと言っているようだ。

「来年もあの藤棚を見に行きたいですね」

「……あーそうだな」

「何故微妙な反応なのですか?」

「……」

 変に勘繰られるかもしれないし言うしかないよな。

「あの植物園。今は紅葉の私有地って話はしたよな」

「ええ。確か許可がない人は入れないと……あ、私が行ったことが問題だったということですか?」

「いやそれはない。渡しそびれたが行った日の翌日にアリシアの許可証も届いていた」

 名前の欄が『アリシア=オルレアン』ではなく、『風見アリシア』になっていたせいで渡せていない。

 あのバカが何の嫌がらせだ。

「他に理由が?」

「……あの場所が運営していた頃から風見家の男にあるジンクス? 的なものがあってな」

「ジンクス?」

「……見初めた異性に求婚する場……的な」

 アリシアガ体勢を変えて驚いた顔でこちらを見上げると次第に笑い出した。

「挨拶回りの時に『植物園に行った』と話したら皆さんが『あー』みたいな反応をしていたのはそういうことだったんですね」

 惚気に巻き込まれたくなかったのか。

 それとも皆まで言うまいと思ったのか。

 どちらにしろ明日からの生暖かい目で見られることが決定した。

「隼人さんもそういう意図があったんですか?」

 意地の悪い笑み。

 調子が戻ってきたようだ。

「最初はなかったが行く途中で気づいてな。変に意識した」

「では、あの時言った言葉にもそういう想いがあったのですね」

「確認するな、バカ」

 強制的に体勢を元に戻して頭を撫でるのを再開する。

「なるほど、なるほど。ふふふ」

 上機嫌なのはいいが、もっと違うことにしてほしい。

「それは葵先生にも"結婚する"と意思表示するわけですね」

「さっきそれで赤面していたのは誰だ?」

「もうしませんね。そういう場面に出くわすために嬉しくなってしまいそうです」

 先生の言う通りだな。

 人は誰かと交わることできっかけとなり、簡単に変わってしまう。

「ころころ変わるやつだ」

「変えているのは隼人さんですし。隼人さんも変わっているみたいですよ。皆さん声を揃えて『あの若が愛おしそうにあなたを見つめている』とニヤついていましたから」

「今すぐ帰ろう。俺はその羞恥に耐えられん」

「嫌です。私、隼人さんの実家が好きになりました。破門されて微妙な関係なのかと思いましたが皆さん心底隼人さんのことを好いているんですもの」

「千歳のおかげだよ」

「あなたの人柄です。でないとあんなに子ども達の人気者になりません」

「……アリシアお前楽しんでるだろ」

「普段褒めてもまともに受け取らない隼人さんが悪いんです」

「身体を起こせ!」

「嫌です。この膝は私のものです」

「ほー、人をモノ扱いとはいい度胸だ」

「その代わり私も隼人さんのものですよ?」

「……安売りするな」

「隼人さんだけの限定販売です」

「……ああ、そう」

 不安かと思えば俺の言葉一つ、態度一つで喜んだり嬉しがる。

 本当に可愛いやつだよ。

「二次会参加するか?」

「いえ、明日から朝の稽古に参加しますので」

「参加する気だったのか……」

「ダメでしたか?」

「いや全然」

 葵先生に今のアリシアの腕前見られたら『バケモノ製造機』と言われかねない程に強くなっている。

 むしろ門下生たちにはいい刺激か。

「それに今は……二人きりがいいです」

「……暖かくなったとはいえ夜は冷えるからな。あと少しだけだぞ」

「はい」

 たまに吹く風が身体の熱を確かめさせる。

 冷めることのないその熱に浮かされそうになるが上手く溶け合っていく。

 こういう心地よさを感じさせてくれるアリシアを大切にしたい。

  

◆ 


 俺としたことがアリシアの寝床の確認を怠っていたので宴会場にいる千歳に聞きに行くと。

「え? 隼人くんの部屋じゃないの?」

 この言い分である。

「何故?」

「何故って、普段一緒に寝てるんでしょ?」

 驚きのあまり真顔でアリシアの方を見るが話していないみたいで焦った顔で首を横に振っている。

「ヒントその一、今日アリシアと一緒にいたのは誰?」

「千歳だな」

「ヒントその二、匂いって本人は結構気づかないもの」

「オーケー、理解した」

 知らない間に匂いが移っていたのか。

「他の人は気づいてないから安心して」

「千歳に気づかれている時点で安心しねえよ」

 気遣いできるのも考えものだな……。

「それがなくても隼人くんのお母さんたちは部屋を分けること考えてなかったみたいだし」

「知らない場所で一人はしんどいからな」

「いや……早く孫の顔が見たいとか、なんとか」

「……あのバカ親は相手がアトリシア公国の姫君とわかっているのか?」

「もう実の娘のように可愛がる気満々みたいよ」

「やることなすこと突拍子がねえな」

「まぁ隼人くんのお母さんだし」

「俺はあそこまでぶっ飛んでねえ」

「「え?」」

「おい待て。千歳はまだわかる。何でアリシアまで首を傾げている」

「自分の胸に手を当ててみては?」

「・・・よし、部屋に戻ろうか」 

「思い当たる節がありすぎたんだね。布団は?」

「適当に見繕う」

「はいよ、おやすみアリシア」

「おやすみなさい、千歳姉さん」

「……隼人くんやっぱりアリシアは私と寝――」

「アリシア行くぞー」

「はーい」

 アリシアも血走った目をした千歳に危機感を覚えたのだろう。

 大人しく後ろについてきた。



 お手伝いさんに確認すると「もう運んでいます」と言われたので部屋に戻る。

 ベッドの下に一人用の布団が敷かれていた。

「明日は三時か……」

「結構早いんですね」

「祭事中は朝稽古しないからな。建前で一時間早いんだ」

「お昼からは?」

「女性は炊事、男は飲み」

「不満が出ないんですか?」

「その分朝稽古がキツいのと今年は俺が指南役だから皆酒を飲んで忘れるしかないんだよ」

「……一体どんな稽古をするつもりなんですか?」

「まだ考え中だが。二日酔いを気にしないぐらいだな」

「抽象的ですね」

「物事ってやつは抽象的なぐらいがちょうどいい……で、アリシアさんや」

「何ですか?」

「どうして俺と一緒にベッドに寝ているんだ?」

「いつものことです。お気になさらず」

「そっかー……んわなけあるか!」

 布団を剥ぎ取りベッドから下に敷いた布団に転げ落とす。

 干したばかりのふかふかの布団でダメージはゼロだ。

「痛いです」

「嘘つけ」

「頭を撫でてください」

「嘘だと認めたらしてやる」

「嘘でした。頭を撫でてください」

「落ちるの早すぎだろ」

 しかたなく膝の上に乗せて頭を撫でる。

「布団は明日の朝に回収されるんだ。使った形跡がないと怪しまれるだろう? そしたら母さんたちにも筒抜けになるぞ」

「私達は婚約者なのですから別にいいじゃないですか」

「怖いもの無しか?」

「それに今日は……一人で寝たくないんです」

 俺と一緒で先程の熱を忘れられないんだろう。

 しかたないか。

「……明日イジられるのを覚悟し――」

 突然唇を塞がれる。

「おやすみなさい!」

 アリシアは照れた様子で引っ剥がした布団を回収し、壁の方を向いて包まっている。

「……おやすみ」

 照れるならしなければいいのにと思いつつ眠りにつく。 

 その際、少しだけ藤棚の光景が脳裏を過った。

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