第四話「夕涼み」
数時間一人で挨拶に回る。
先に千歳とアリシアが回り終えていたようで全員今回の縁談を好意的に捉えている。
少し気疲れしたので宴会場から逃げ出して風呂に入る。
アリシアを千歳に任せっきりにしているが悪いことにはならないだろう。
信じて裏庭の縁側で沈む夕日を眺めていた。
「隣、いいかな?」
背後を振り返ると立っていたのは浴衣を着た湯上がり美人な女性。
少し濡れた黒髪に片手はタオルで髪を拭い、もう片方の手にはお猪口が二つと徳利を一つ。
門下生というには華奢な身体。
こんな色香漂う大人はさっきの挨拶回りでも見かけなかった。
「私だ、風見」
「何だ先生か。驚いた」
「そんなにか?」
「ああ、コーヒーやタバコの匂いがしない。白衣を着ていない先生なんて俺がまだガキだった頃ぐらいだろ」
先生からアイデンティティを取り上げるとただの美人とか普段のギャップでうっかり見惚れてしまった。
「貶された腹いせに見惚れていたことをアリシアに告げ口をしてやろうかと思ったが許してやる」
視線は雄弁とはよく言ったものだ。
「寛大な心に頭が下がるよ」
「で、私の質問の答は?」
「別にいいが……婚約者を放置していいのか?」
「それはお互い様だろ」
「違いない」
「それに夜になる前には戻るさ」
先生が座る際に徳利の底が見える。
描かれているのはよく知った白いアネモネ。
二つのお猪口に注ぐと黙って片方をこちらに置いた。
「アリシアに同じ手を使ったらしいね」
「卑怯か?」
「いや実に君らしいと思う。特に相手が言い訳を作りやすい辺りがね」
「それは褒められているのか?」
断る理由もないので飲み干した。
「君次第だろ」
ほぼ同時に先生も飲み干した。
「最初に聞いておきたいが……あいつにでも頼まれたか?」
「いや単なる酔いを覚ますために話し相手が欲しくてね」
宴会場は人がいる。
あてがわれた部屋に戻るのも忍びないので俺を出汁に抜け出して来た。
そんなところだろう。
「アリシアとは最近どうだい?」
「俺的にはいい関係だと思っている」
結婚を前提とした関係。
始まりこそ劇的で好意の欠片もなかった。
ただこの一ヶ月で誰に聞かれても"大切"だと。
はっきりと答えられる相手になった。
「その割には浮かない顔をしているな」
「男女交際どころか人間関係は不得手だからな」
「そうは見えないがな」
「見せてないように努力しているからな」
アリシアはああ見えて自己評価が低い。
少しのことで不安を感じている。
時間が解決してくれるかもしれないが俺の接した方が大きく左右するならその方がいい。
それに最近の様子を見ると自意識過剰じゃない気がする。
「修羅と呼ばれた剣士も婚約者には形無しとはね」
「自分でも笑えてくるよ」
人は他人と関わることで自分を知ることができる。
主観なんて当てにならないが他人の顔色ばかり伺っていたら息が詰まる。
だから生きるのは難しくて嫌なんだ。
「植物園に行ったそうだな」
「聞こえてたのかよ……」
「情報源はその園の経営者で私のお茶友達兼専属患者だ。『園長が久々にあのバカの顔を見たって喜んでた』とね」
「……バカは余計だ」
アリシアと行った植物園は紅葉が趣味で支援している場所の一つ。
わかってて行ったんだから今更恥ずかしがってもしょうがない。
「この季節なら藤棚か。さぞ、綺麗だっただろう」
「先生も行ったことあるんだな」
「植物鑑賞は数少ない趣味の一つというのもあるが鏡夜に連れて行ってもらったんだ。だから、風見家の男が自ら女性を誘って連れて行く意味も知っている」
「……」
「その様子だとアリシアには伝えていないようだな」
「言えてたまるかよ」
あの植物園は元々長年運営していたが経営難で廃園になろうとしていたところを紅葉が買い取ったもの。
現在は紅葉が許可を出している人物しか立ち入れないが以前は風見家の男が好いた女性を連れていき求婚する変なジンクスがある。
「それに気分転換のつもりで行っていた最中にそのことを思い出したんだ」
「それをどう捉えるかはアリシア次第だろ」
アリシアが藤棚の話題を出していないことを祈るしかない。
「というか千歳あたりは言っている気がするが」
「変な勘違いしているが誤解を解いても言うことはねえよ」
千歳が俺達、特にアリシアに気を使うようになったのは藤棚を見に行ったことを言ってから。
おそらくジンクス込で連れて行ったことを勘違いしている。
「あの子は気遣いができるいい子だからな」
先生も千歳に助けられているようだ。
「なのに振ったんだな」
「ぶーーーー!」
シリアスな展開は何処?
言葉のナイフが背後から突き刺さる。
「人聞き悪すぎるだろ」
「いやいや考えてもみろ。私ですら『この二人何で付き合ってないんだ?』と思っていたのに違う異性と付き合うどころか婚約したんだぞ。挨拶回りを買って出た千歳に感謝するといい」
「言われなくてもわかってるし感謝もしてるよ」
「ならいい」
湯上がり美人に騙されすぎた。
やはり先生は先生だ。
「男なら決める時は決めないと愛想尽かされるぞ」
「……言うべきことはちゃんと伝えてある」
「だろうな。あの溺愛っぷりは相当の女誑しにしかできん所業だ」
「アリシアにも言われるが俺ってそんなに女誑しか?」
「無自覚とはまさに罪だな」
先生には言われるのは相当だ。
気をつけよう。
「そろそろ戻ろうか」
日が沈み太陽が昇る頃合い。
徳利の中も空になっていた。
「酔い覚ましにはなったか?」
「ああ十分だよ。それとこれはアドバイスというかお節介だ」
「お節介?」
「人は独りで変わることは難しくても誰かと出会い交わることできっかけができたら簡単に変われる。ただ世界は二人では完結しない。当然バカにしたり否定するものも現れる」
実感の籠もった重みのある言葉。
伊達に長年婚約者を続けているわけではない。
「そんな他人の言葉に耳を傾けるな。そうすることで初めて変われたといえる」
「……先生も変われたのか?」
鏡夜と先生は周りのせいで未だ婚約者止まり。
お互い想い合っているのに愛し合っているのに。
それなのに。
「まさか。未だ旅の途中だよ」
なんで今までで一番いい顔をしているんだろう。
「もたもたしていたら俺らのほうが先に結婚するかもな」
「それならブーケトスを八百長でもして受け取るまでだが……どうやら言う相手を間違えているぞ」
先生が意地の悪い笑みを浮かべながら俺の後ろを見ている。
振り向きたくないが振り向きざるを得ない。
「隼人くんも言うようになったね。よかったねアリシア」
「わ、わた、わたしも……」
囃し立てる千歳と声を出せずに俯くアリシア。
顔が真っ赤なのは風呂上がりだからではないだろうな。
タイミングが悪すぎるだろ……。
「千歳。邪魔者は退散するとしよう」
「そうですねーお義姉様」
「藍は姉上と呼ぶから少し新鮮だな。飲み直すのもアリかもしれない」
「オトモします」
気の使い方を間違っている!
そう叫びたいが堪えた。
「あのーアリシアさん?」
「は、はいなんでしょうか?」
呼びかけるだけで過剰に反応して肩をビクつかせ、顔を真っ赤にしながらも上目遣い。
凄く愛らしい婚約者を抱きしめたいが足音が遠ざかるまで我慢だな。
「どこまで聞いてた?」
「『もたもたしていたら』辺りからです」
それまでの会話を聞かれていないことに安心する。
「花見の帰りにも、藤棚のときも似たようなことを言った気がするのだが?」
「あれは私自身に向けた言葉です! 他の人に言うほどに想われていたなんて……」
つまり今まで半信半疑だったということか?
甘えてきたのも自覚するための行為?
不安モンスターすぎる。
「出会い頭だったのは謝る。それに今まで言葉足らずだったのも」
「いえ、なんだかんだ言って隼人さんは私の欲しい言葉を言ってくれますから」
アリシアも足音が遠ざかるのを待っていたようで胸に飛び込んできた。
「勝手に不安がったのは私です」
どれだけ相手を想っていても一ヶ月じゃ完全に信用することはできない。
焦らずに……少しずつ……共に歩んでいけばいいとも思うが。
「挨拶回りは済んだか?」
「はい。千歳姉さんが良くしてくれたので」
「そうか。なら、この後は俺に付き合ってくれ」
たまには前を歩いて引っ張るのもいいかもしれない。
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