第九話「朝焼けの空」
習慣とは怖いもので何時に寝てもいつもの時間に目が覚める。
朝焼けの空。
普段の何気ない風景に目を奪われた。
昨日はいい夜だった。
アリシアの話を聞いて少しだけ彼女を知ることができた。
たぶん彼女は居場所が欲しかったのだろう。
姫君という肩書きしか自分にはないと勘違いをして。
俺と婚約すればそれすらなくなってしまうと思い込んで。
無価値だと嘆いていても前だけは向こうとしていた。
『居場所はここだ』と伝えると弱音を吐き出して甘えることを覚えようとしている。
俺も甘やかしたいと思うが全部ではない。
そう例えば……。
「すーすー」
こうして異性の寝床に忍び込むのはどうかと思う。
あの後きちんと理性が仕事をしたので別々の部屋で寝たところまでは覚えている。
帰り道に明確に好意があると言ったわけでは無いが意思を示して遠回しに釘を差したつもりだった。
なのに何故アリシアはあどけない顔で無防備に俺の腰辺りに手を回して抱きついている?
少しはアリシアのことを理解したつもりだったがまだまだということかなのか?
「ん……ふふ」
こんな幸せそうにされたら咎める気にもなれず、何となく頭を撫でる。
サラサラの髪は触り心地がよく、いつまでも撫でていられる気分だ。
「ん……んー」
起きてしまうと思い撫でるのをやめると悪夢にでもうなさるように苦しみ始める。
再び撫でると悪夢が去ったのか安らいだ表情。
「……なんだこの可愛い生き物は?」
ずっと見ていたい気分だったが武道は一日してならず。
断腸の思いで腰に巻きついた腕を起こさないように解いて部屋を出る。
◇
隼人さんの足音が遠ざかったのを確認してから身体を起こす。
誰も見ていないとわかっているのに羞恥で紅く染まった顔を手で覆った。
「私ったらなんてことを……」
寝ようと思ったが眠れず、気がついたら隼人さんの部屋に入っていた。
もう誘惑する必要がないが昨日と同じように布団に入り込むと嘘のようにすぐに寝てしまった。
起きたら起きたで優しい顔をした隼人さんが頭を撫でている。
声が出そうになったが必死に堪えると手を止められた。
何となく嫌で顔をしかめると再び撫でてくれた。
もう既に撫でられることが癖になっている自分のチョロさが羞恥を増長する。
三日間朝稽古を禁止されていて本当によかった。
「昨日のことは夢じゃないんですね……」
隼人さんが抱きしめてくれた時の熱を身体が覚えている。
『傍にいろ』
その言葉を聞いた嬉しさを心が覚えている。
明確な答えがなかったのが不安で茶化しながら問いただしたら『一生』なんて言葉を使ったりして。
孤独を知っている寂しがり屋な女の子に軽々しく口にしないでほしい。
それが無くても私はチョロいんだ。
「隼人さん……」
お母さん以外に大切と思える人。
そんな人が私を受け入れてくれる。
それだけで私は幸せだ。
「ん、んんー」
大きく伸びをして身体を起こす。
この幸せが素直に受け取らない隼人さんに伝わるように美味しい朝食を作りましょうか。
◆
朝稽古を終わらせてシャワーで汗を流してから母屋に戻る。
玄関からリビングへ向かうといい匂いが漂ってくる。
どうやらアリシアが起きて料理をしてくれているようだ。
「悪いなアリシア二日連続朝食を任せ……て」
キッチンの方を見た瞬間、時間が止まったような感覚に陥った。
「お疲れ様です、隼人さん。もう少し待ってくださいね」
寝間着から着替えたアリシアの服装は制服の上に純白のエプロン。
テンションが高いようで機嫌よく微笑んでいる。
ただそれだけなのに儚げな愛らしさがあり。
触れてはいけない。
そう思わせるほど神秘的なオーラが後光となって見えるようだ。
「? どうかしましたか?」
「いや、昨日はエプロンしてなかったよなと思って」
俺の婚約者は天使か、何かか?
「こういうのがお好きだと思いまして」
違った打算的な小悪魔だった。
「いかがですか?」
見せびらかすようにその場で一回転。
一応今朝のことを注意しようとしたが言葉を失う。
「いいんじゃないか?」
「……」
不服そうな表情で無言で火を止めてこちらに近づいて上目遣い。
「こういう格好は好きですか?」
どうやら昨日の帰りのことを根に持っていて俺を照れさせようとしているらしい。
生意気な。
「そういう格好をしているアリシアが好きだよ」
「……何でこういうときにしかそういうことを言ってくれないんですか?」
「素で言えるほど精神が強くないんだ」
「どの口が言っているんですか、まったく……。しかも、このタイミングで明確な好意を言うなんて」
「そんなこともないだろ」
「自分の胸に手を当てて思い出してください」
「んー?」
途中抱きしめたシーンがフラッシュバックしたが確かに明確に「好き」と言っていなかった。
「すまん」
「謝ってほしいわけではないのですが……」
難しいな。
「とりあえず朝食にしましょう」
「何か手伝おうか?」
「ありません。朝稽古でお疲れ様なんですから座って待っていてください」
「ありがとな」
幸運と不運は比例する。
この幸運に対しての代償は如何ほどか……あまり考えたくはないな。
◆
朝食はあまりメニューは変わっていなかったが何故か昨日よりも美味く感じた。
「時に隼人さん」
「何だ改まって」
どうやら俺の舌はおかしいらしい。
ブラックコーヒーなのに甘い気がする。
「私は稽古禁止を言い渡されていますが、特別コースのほうもでしょうか?」
「まぁ、今日一日は念の為に見学してくれると助かる」
若狭真琴があの様子だとニ、三日以内に行動を起こすだろう。
「では、そのように」
「あと朝潜り込むのもやめてくれると助かるんだが」
「それはお断りします」
流れでいけなかったか。
「あのなアリシア……」
「傍にいろ、とおっしゃいましたよね?」
「……言ったが同衾の意味は含まれていない」
「一生ともおっしゃいましたよね?」
「……」
否定も撤回もできない。
そのせいで否応なしに羞恥が募る。
「一緒に寝るのはお嫌ですか?」
「別に嫌というわけではないが……少しは慎み深さをだな」
「隼人さんの前では淑女ではなく、ただのアリシアでいたいので」
それを言われたら返す言葉がない。
「はぁ…わかった。もうこの話題は出さん」
「ふふ。私はもう少し続けてもいいんですよ?」
「勝ち目のない勝負はしない主義でな」
「それは懸命ですね」
言い負かしたのが嬉しかったようで鼻歌でも歌い出しそうな程に楽しそうだ。
◆
アリシアを先に送り出し部屋で時間を潰していた。
さっそく先程の幸運が不幸になってやってきた。
――プルルルルル。
非通知設定からの着信。
でないわけにはいかない。
『風見隼人ダナ』
機械を通した声。
「ああ、そうだが?」
『今日ノ午後一時二。特別演習場二来イ』
「断ると言ったら?」
『オ前ノ秘密ヲ学園中二晒ス』
電話相手はそう言い残して電話を切った。
別に俺だけの秘密を晒されたところで痛くも痒くもないがアリシアのことが含まれている可能性もある。
大人しく従うしかないか。
念の為アリシアに連絡を……。
「そういや連絡先を交換してなかったな……」
ある人にメッセージを飛ばす。
家を出たあたりで返信があった。
『異常なし。お代はまたコーヒーでも淹れに来てくれ』
刀剣科にはすぐには行けそうにないので引き続きお願いする。
保険として千歳にもそれとなく頼んでおくか。
◇
一人で登校し一抹の寂しさを感じる。
今朝チョロいと再確認したのに思っていたよりも重症ですね。
ただ人生いいことばかりではなく、幸せの次は必ず不幸せが待っている。
教室にまっすぐ向かわずに屋上への扉前で鞄から下駄箱に入っていた手紙を取り出した。
――今日の午後一時。一人で親善試合の会場にお越しください。
隼人さんと連絡先を交換していないので相談することもできない。
学園についてしまっては会うこともできない。
もし差出人が若狭真琴なら十中八九罠。
隼人さんは奔走してくれている。
私はこれ以上彼の重荷にはなりたくはない。
昨日折れてしまったので予備の武具もない。
逃げるための足にも懸念材料がある。
それでも……彼と対等であることを望んでしまうから。
無謀にも向かう決意を固めた。
◆
午後一時。
電話で指定された場所に着くが誰かが待っているわけではなく、何か罠が仕掛けられているわけでもない。
イタズラ電話だったか?
――プルルルルル
着信相手は千歳。
すぐさま電話に出る。
『隼人くん、今どこ?!』
「特別演習場だ」
『なんでそんなところに?! それよりも大変! アリシア姫の姿が見当たらない』
やられたな。
急いで探しに行こうとしたところで足を止めた。
「若狭真琴は?」
『そっちもいない』
目の前に立ちふさがるゴロツキ共。
若狭真琴に雇われた時間稼ぎ要員か。
「わかった。後でかけ直す」
『ちょっ――』
電話を切って正面を向いた。
「何かようか?」
「少し道を聞きたくてな」
「そんだけ人数いて道に迷ったのかよ。お前ら無能集団か? てか、人に聞く前にまずは文明の利器を使えよ」
相手に見えるようにわざとスマホをヒラヒラと持つ。
敵の数はざっと五十弱。
その間、メッセージ通知を見てでアリシアの居場所はわかった。
ならば、こいつらに用はない。
「まぁ、そう言わずにお話しましょうや」
「生憎と立て込んでいてな――加減はせんぞ」
どれだけ時間の猶予があるかわからない。
こいつらには悪いが骨の二、三本は覚悟してもらおう。
◇
午後一時。
親善試合の会場に着く。
昨日のことを思い出して観客席へ向かうと待っていたのは予想通りの人物。
「お待ちしておりました、アリシア姫」
若狭真琴。
レイルお兄様と繋がっているであろう相手。
「差出人不明とは失礼では?」
「非礼をお詫びしますが名乗ったら来ないと思いましたので」
どうやらこちらが怪しんでいることは理解しているようだ。
「ご要件は?」
「一戦交えていただけないでしょうか?」
武舞台中央には私があの日使っていた細剣のレプリカ。
紋章まで再現してご丁寧なことだ。
「意味がないのでお断りします」
相手を観察して危機察知能力を高める。
最も警戒すべきは先日とは違い腰に長さの違う刀を二本差していること。
「知りたくはないですか、あなたが婚約した男のことを」
「結構です」
長い刀を観察して間合いを見定め、細剣までの到達までの時間を算出。
「それは――とても残念です!」
若狭真琴が刀を抜くよりも早く、細剣まで駆けて剣を引き抜き構えた瞬間。
彼は謎の水晶玉を手に持ちながら不気味に笑っていた。
「もう遅い!」
若狭真琴が水晶玉を砕くと武舞台の中心から半透明の壁が発生。
気がつく頃には会場をドーム状に包みこんでいた。
「これは結界。あなたにはマジックキューブといったほうが伝わりますかな?」
「ある一定の条件を満たさなければ出られない箱庭」
「ご明察。そしてこの箱の条件は一つ。あなたが私にひれ伏してあの男との婚約を破棄すること」
「王家のしきたりは絶対。破棄は不可能です」
「では、あなたが死ぬだけです」
隼人さんの予想通り。
彼は婚約を破棄できることを知らない。
「私を殺せば外交問題に発展しますが?」
先程の全速力で既に足が悲鳴を上げている。
口を閉ざせばすぐに開戦になる。
話を続けなくては。
「ええ、ですから潔く降伏してくれませんか? ああそうだ、あの男を先に殺せばあなたは私の者になるのか」
さっきからおかしい。
昨日は人前だったから大人しかったというレベルではない。
まるで狂気に蝕まれているような……。
レイルお兄様が関わっているならない話じゃない。
「あなたまさか……」
「ようやく気づかれましたか。本当に魔法の才能の欠片とないんですね」
若狭真琴が自身の襟元を引きちぎる。
そこには歪な形をした王家の紋章が刻まれていた。
「レイル王子は素敵なお方ですね。武芸者の私を魔法使いにしたんですから」
レイルお兄様の研究の噂の一つに非魔術師を魔術師にする実験があるのは知っていた。
それがまさか真実であり完成していたことに驚いている暇はない。
何せ魔法は実態ある現象。
剣一本で対処できるものではない。
「さぁ、アリシア姫。ダンスのお時間です」
気合を入れるために剣を構えなおす。
対等でありたいと望んだばかりなのに隼人さんの顔が脳裏にチラつくが頭を振って霧散させる。
おそらくこのマジックキューブは発生者である若狭真琴を気絶させれば壊せる。
なら、私に迷いはない。
ここから自力で脱出して隼人さんに褒めてもらうだけです。
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