第四話「赤い便箋」
最後に元主――
まだ朝日が昇らない内に『庭に出たい』という一言により、雪が降り積もった庭を歩いていた。
真っ白な世界に映える赤い髪。
赤い瞳は雪が被った椿を見つめている。
折れてしまいそうな華奢な体を心配して羽織る物を持ってきたが心許ない。
「もう三年になるんだね」
今日、引継ぎの儀式を以って護衛役は最後になる。
さすがの紅葉も寂しそうだ。
「懐かしいような。あっという間のような」
「俺は懐かしいよ。特に最初あった時に『早くやめてくれない?』と言われたこととか結構昔に感じる」
「あ、それは今でも変わらないから」
「おいコラ」
「冗談だよ」
ツッコミを入れると鈴が転がるような声で笑う。
「君は私との約束をちゃんと守ってくれた」
「いや一度破っただろ」
「私が無かったことにしたからノーカン」
「都合のいい審判だな」
「私がルールだから……ありがとう、隼人」
会ったその日の二言目は護衛泣かせの『怪我したらクビだから』という発言。
次の護衛役がどう答えるか気になるところだ。
「隼人はこれからどうするの?」
「とりあえず護衛役の特権を使って高等部に編入するかな」
「意外。勉強も集団行動も嫌いなのに」
「事実嫌いだな。ただ流派を破門されていることを理由に風見家の当主を継げなかったことを考えると卒業資格ぐらいはほしいだろ」
「護衛役の退職金あるじゃん」
「世間体があるだろうが」
さすがに『風見家の当主を継げないのでニートになります』はライトノベルのタイトルっぽいがマズい。
「気にしたことあったんだ」
「よーし、今日で退職だし元主に悪戯するか」
「ほら、気にしてないじゃん」
名残惜しいがもうすぐ朝日が昇る。
そしたら女中が紅葉を起こしに来るので戻らなくてはならない。
「風邪を引く前にそろそろ戻ろうぜ」
紅葉は儀式に参加しないから護衛役として会うのはここで最後。
言いたいことは山ほどある。
「隼人……やっぱり護衛役を続けない?」
この甘い誘いにも乗りたいほどの思いもある。
「あと数時間後に儀式だろうが……こんな時にワガママ言うな」
「そこはほら。ありとあらゆる職権を乱用すれば」
「次期城主が私情で暴政を敷くなよ……」
「冗談だよ」
いつもの調子に寂しさが混じっている。
神童だの、天才だの言われているがただの女の子だ。
「そろそろ部屋に戻るわ」
「紅葉」
これは未だ自分の人生に興味が持てない俺が生きる意味として紅葉を選んだことに対しての償い。
「例え何があっても俺はお前の味方だ、忘れんなよ」
「はぁ……女の子に無責任なことを言って。私が本気にしても知らないから」
「思ったことを言ったまでだ」
あと三年は近くにいるつもりだった。
今も後悔はある。
ただ紅葉の傍にこれ以上いたら俺は俺でなくなってしまう。
それをわかっているから紅葉も止めはしなかった。
許してくれとは言わない。
ただこれだけは覚えておいてくれ。
お前は決して独りじゃないってことを。
「ねぇ、隼人」
「何だよ」
「前に言っていたことの答えは見つかったの?」
「……何のことだ?」
「刀を振る意味ってやつ」
「それは……」
その答えはまだ見つかっていない。
ひょっとすると見つからないのかもしれない。
「『刀は人を斬る道具。そこには矜持や覚悟は必要ない。ただそれだと虚しい気持ちが募る』以前君はそう言っていた」
一度しか言っていないのによく覚えているな。
「じゃあ君は……何のために刀を振るうの?」
◆
習慣とは恐ろしいものでどれだけ精神的に疲れていてもいつもの時間に起きてしまう。
時刻は午前四時。
懐かしい夢を見たので物思いにふけるか、日の出を見ながら黄昏るか、悩んだがそれよりも解決すべき問題を抱えている。
「すーすー」
大和の寝間着に慣れていないのか帯が緩んで無防備にも少し前をはだけさせながら俺の布団に潜り込んだアトリシア公国の眠り姫。
いつ潜り込んだんだ?
どうして俺は気付かなかったんだ?
という疑問はこの際置いておこう。
問題はどうしてここにいるのかということだ。
昨日の記憶を辿るが何回繰り返してもアリシアと部屋の前で分かれた記憶しかない。
朝に稽古を付けると約束はしているがいつからとは言っていないので放置して静かに外へ出た。
◆
自分以外いない敷地内にある静かな道場。
道着に着替えて煩悩を振り払うが如く竹刀を振るう。
あれが意図的であろうと無意識であろうと反応しなければ問題はない。
ある程度したらやめて汗を拭う。
それを何度か繰り返しているとようやく落ち着いた。
「おはようございます」
ちょうどよいタイミングで道着姿のアリシアが道場に現れる。
礼儀作法は知っているようで一礼してから入室していた。
「おはよう」
一瞬『よく眠れたか?』と聞きそうになったが寸前で言葉を飲み込む。
「隼人さん。さっそくよろしいでしょうか?」
「ん? なんだ」
稽古の方針か?
それとも稽古用の武器の調達か?
「どうして手を出さなかったんですか?」
言葉を飲み込んだ意味なかった。
「この国には『据え膳食わぬは男の恥』という言葉があると聞きました」
「毒入りと知っていれば誰も食いつかないだろ」
案の定、ハニトラかい。
あっぶね。
「別に襲われても抵抗しません。それに隼人さんのほうが強いじゃないですか」
「思春期特有か欲求不満なのかわからんがあまり自分を安売りするな」
この子は自分が一国のお姫様という自覚はあるんだろうか。
「隼人さんがあまり乗り気でないご様子だったのと身近に恋敵が潜んでいたので」
「昨日千歳の好意を否定しただろうが」
「ご自身が乗り気ではないことは否定なされないんですね」
「嘘が吐けない性質でな。次やったら稽古の件を無しにする」
「それは困りますので以後気を付けます」
とりあえず釘は刺した後は知らん。
「では、気を取り直して。何を教えていただけるんでしょうか?」
「とりあえずこれに慣れることだな」
竹刀を投げ渡す。
「アリシアに足りないのは単純な戦闘経験だ。好きに打ち込んで来い」
「隼人さんは素手なんですか?」
「心配するな何があっても怪我はしない」
「では、遠慮なく!」
袴は慣れていないはずが親善試合と遜色ない速度で迫ってくる。
ただ獲物が竹刀なので突き攻撃ではなく横振りが多い。
その切っ先辺りを掌底を打ち込んで逸らし攻撃を防いでいた。
「大和の連中なら視線で攻撃目標がバレる。それを意識しろ」
「はい!」
性格が悪い癖に剣筋は真っ直ぐ。
どっちが本性なんだろうな。
何分続けてもアリシアの攻撃が当たることはない。
「今日はここまでにしよう」
「はぁ……はぁ……ありがとうございました」
ただ指摘した視線については少しずつ修正されている。
のみ込みが早い生徒で育てがいがある。
「剣を持たなくても強いんですね」
「この一年鍛えたからな。それに元々刀の間合いや速度域の経験がある。単純な挌闘科の生徒よりは強い自信はある」
「そういう次元じゃない気がするんですが」
武器あり対武器無しなら間合いだけなら圧倒的にありの方が有利だ。
そこをカバーするために経験をかき集めて他の要素を駆使して対等にできるがアリシアの場合は戦闘経験の少なさから敏捷性と剣術ぐらいしか張り合える要素を持っていない。
「焦ることはない。留学期間で学べばいいさ」
「……はい」
何事にも焦りは禁物。
そのことをアリシアはちゃんと理解できている。
「朝食にしよう。何が食べたい?」
「そのことですが、私が作っても構いませんか?」
「それは有難いが……」
「鏡夜さん程ではありませんがそこそこ自信はありますよ」
「わかった。では、頼んでもいいか?」
「おまかせください」
疑ったのが顔に出てしまったので折れることにした。
「その前にシャワーで汗を流して……どうした?」
「一緒に入りますか?」
「さっさと行ってこい!」
何故彼女は事あるごとに誘惑しようとするのだろうか?
理解に苦しむ。
◆
アリシアの作った朝食は普通に美味かった。
本人曰く料理が趣味らしい。
知れば知るほど王家らしさが薄まっている気がする。
代わりに夕食は俺が作ると言ったが『稽古代』とのことで甘えることにした。
登校は念のため時間をずらして別行動。
「あれって」
「っし! 聞こえるって」
「早く行こ」
悪名はしっかり下級生にまで届いているらしく危険人物扱い。
離れるか足早に去っていく。
「よう、隼人。相変わらずモテモテだな」
そんな中で声をかけてくるバカは一人しかいない。
「お前ほどじゃないぞアキラ」
茶髪に黒縁メガネの少年の名前は不知火アキラ。
俺とは違う方向性で問題児扱いされる有名人だ。
「まぁ俺ら高等部悪名ツートップだからな」
アキラがこっちに寄ってきたので更に周りの生徒が警戒している。
「別にアキラ一人でワントップになってくれても構わんぞ?」
「無理無理。さすがの俺でも特別コースの教師を病院送りにできん」
「あれはあっちから先に手を上げたんだ。正当防衛だ」
俺のやり方が気に食わないといい『特別稽古』という名目で模擬戦。
イラついていたせいで力加減を間違えて教師を壁に叩きつけた。
現在その教師は退院しているがトラウマで復職できずにいるらしい。
「過剰防衛だろ。それよか一昨日の試合見たか?」
「あぁ」
見たどころか出ていた。
「あの狐の面の剣士の正体について話題が持ちきりらしいぞ」
「新聞記者ですら情報が掴めてないんだろ?」
「推薦した御門家に問い合わせても黙秘らしい」
そこの個人情報保護はしてくれたんならアリシアの時もしてくれてもいいだろうに。
「どうした?」
「別に」
「他に何か面白い話はあるか?」
「親善試合関係なら何か本来試合に出るはずだった前任者が狐の面の剣士を探しているらしい」
そういや紅葉から手紙が届いたのは当日の朝。
無理矢理ねじ込んだんだろうな。
「おおかた大役を取られた恨みだろうな」
「国民全員が出たがる名誉ある役職だからな。興味がないのは隼人ぐらいだろう」
「否定はしない」
去年は存在自体を忘れていたレベル。
紅葉からの手紙がこなければ忘れていた自信はある。
「一番有力なのは風見家の門下生の誰かじゃないかって」
「それはない。風見家の流派は先手必勝。後の先を基本とした居合いの型は存在しない」
「だから新聞記者たちもお手上げなわけだ」
高等部に編入して刀剣科を選択していなくてよかったが。
誰か一人でも国内大会の過去の映像記録から探し始めたら終わりだな。
「居合いで有名なのは
「へー」
「ったく、聞いといて興味無くすなよ」
教室に着いたのでそれぞれ自分の席へ向かう。
周りから聞こえるのは親善試合のことばかり。
アキラも他のクラスメイトと話しているので狸寝入りでやり過ごそう。
そう思っていたら一通のメッセージが届く。
時計を確認して始業式に出ることを諦めた。
「おい隼人。どこ行くんだ?」
「便所」
「もうすぐ始業式だ。早く戻って来いよ」
「善処する」
こういう時問題児扱いされていることが楽だ。
◆
始業式が中盤に差し掛かった頃。
俺は特別棟三階の廊下を歩いていた。
あの人の呼び出し……嫌な予感しかしない。
目的地である第三保健室と書かれた表札の前で止まる。
「失礼します」
中に入ると相変わらず保健室特有の匂いはせず、代わりにタバコとコーヒーの匂いがした。
「有名人を呼び立ててしまって申し訳ない」
白衣を羽織った白髪赤眼の若い女性。
特別保健教諭の
「サインでも書けばいいのか?」
「生憎と色紙が無いんでね。またの機会にさせてもらうよ」
「はぁ……で、要件は?」
「これだ」
葵先生に投げ渡されたのは赤い便箋。
裏面を見て中身を見なくても差出人がわかる。
「別に先生を介さなくてもよかっただろう」
「それを私に言ってもしかたないだろう」
「そうだけど……コーヒーを貰っていいか?」
「私の分も頼む。その代わり好きな豆を使うといい」
「そんじゃ遠慮なく」
先生のお気に入りの豆を選びコーヒーを淹れるためにお湯を沸かす。
「それで婚約者とはどうだい?」
「先生が興味を持つとは驚いた」
世間では変人だの、マッドサイエンティストだの噂される変わり者。
また、ほとんどの人が素性を知らない謎の女だ。
「どうもこうもねえよ。友好国のお姫様ってだけで厄介なのに紅葉が関わっている。面倒ごとのオンパレードだな」
この赤い便箋が良い証拠だ。
「先生のほうは……聞くまでもないか」
「私たちは良くも悪くも変わらずだよ……コーヒーありがとう」
「いえいえ」
窓側に椅子を置いて眼下を見下ろす。
ちょうど式が終わったみたいだ。
「噂は聞いたかい?」
「狐の面の剣士を若狭家のボンボンが探している件ならな」
若狭家。
あまり関わりたくない家名だな。
「実はその話。続きがあるんだ」
「……聞きたくないが教えてくれるか?」
先生のお気に入りは苦みの強いものだということを忘れていたのでミルクと角砂糖を追加する。
「元々親善試合に選ばれていた彼。どうも親善試合ではなくアリシア姫との対戦を強く望んでいたらしい」
「それは妙だな」
親善試合に出るのは国民が誰もが羨む名誉ある役職。
出場することに栄光はあっても勝敗や対戦相手に価値はない。
「確かなのか?」
「本人がVIPでボヤいていたからね」
「……俺としてはなんで葵先生がVIPにいたほうが気になるんだが?」
「君が刀を使う最後の試合だと思ったからだよ。その便箋はVIPに行く前に紅葉姫から渡されたものだ」
「はぁ……それで他には?」
「今のところは以上かな」
便箋を上着の内ポケットに入れてコーヒーを飲み干す。
さすがに特別コースをサボるわけにはいかない。
「ごちそうさま先生。また来るわ」
「授業をサボるのは程々にな」
「まぁ、考えとく」
便箋の中身を確認するのは後。
格闘科の道場へ向かおうとしたが。
「ねぇ、聞いた?」
「聞いた聞いた。アリシア姫と千歳先輩の模擬戦でしょ?」
「実力者同士の一戦。これは見逃せない」
急遽行き先を変更することにした。
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