第三話「『――』の海」

 帰宅後。

 アリシアに家の中を案内して彼女の自室が決まった。

 現在、寮へ荷物を取りに行っているのでアリシアは不在。

 なので、ある意味運はいいが出来れば後日がよかった。



 ――ピンポーン


 本日二度目のインターフォンが鳴る。

 来客の予定はないがおそらくさっき止んだ鬼電をしてきていた人物。

 気は進まないが応対するしかない。

「やぁ隼人くん」

 ウェーブのかかった長い栗色の髪。

 アリシアに負けず劣らず整った顔立ち。

 ハイライトが消えた小豆色の瞳からは感情が読み取れない。

 腰には細身の体には不釣り合いな彼女の愛刀を差している。

 相手が恋人ならこのタイミングで確実に刺されていただろう。

「何かようか、千歳」

 相楽千歳。

 鏡夜の妹、つまり俺の従妹で。

 俺が一人暮らしを始めた際にちょくちょくご飯を作ってくれた救世主だ。

「私に何か言うことがあるんじゃないかーと思って」

「合鍵を使わなかった気遣いはできるのに話を明日にする気遣いは出来なかったんだな」

「刺されたいの?」

 どうやら恋人云々は関係なかった。

「とりあえず説明するから上がっていけ」

「……そうさせてもらうわ」

 足下の靴を確認するあたり徹底している。

 これはアリシアに連絡して外で夕食を済ませてもら……そういや連絡先しらねえな。



 二人分のお茶を淹れて席に着き、今日のことを説明した。

「話はわかった。けど、隼人くんが何で大人しく受けたかわからない」

「兄妹のように育った従妹でも相手の全てを知ることはできないだろ」

「普段の隼人くんなら絶対に屁理屈をこね回してる。少なくとも今日中に回答するのはありえない」

 さすが従妹。

名探偵並みの理解力だ。

「お前も昨日の親善試合の会場にいただろ? あんな可愛い子が相手ならそりゃあ喜んで受けるさ」

「普通の男の子ならね」

「おい、遠回しにディスるな。撤回しろ」

「隼人くんが普通なら他の男の子たちが可哀想」

「そこまで言うか!?」

「話し戻すね。何で受け入れたの?」

「……」

 頑な姿勢に誤魔化すのをやめたくなってきたが確信がないので言うわけにはいかない。

「俺が誰と婚約しようと俺の勝手だ」

「そうだけどさ……」

 突き放すように言い放つ。

 千歳は勘が鋭い。

 特に人が触れてほしくないと察知すると蓋をする。

「それに友好国との縁が出来るんだ。悪い話じゃない」

 風見家は代々、城主である御門家の武官を務めており、主な役割は護衛や城の守護。

 しかし、俺が退役してしまったために御門家の全員の護衛を担っていない。

 しかも、次期当主である姫の護衛役は現在代々文官を務めている家系が担っている。

「俺は元々風見家の流派を破門されている。次期当主の座が危ういことを考えると後ろ盾はほしい」

「そんなの隼人くんの実力があれば――」

「千歳」

 俺はズルい男だ。

 どういう態度で、どういう言い方をすれば千歳が引き下がるのをわかっている。

「関係ないみたいに言ったのは撤回する。納得してくれとも言わない」

 ただ嘘は吐かない。

 それだけは絶対に曲げてはいけない。

「けど、アリシアを責めるのだけはやめてくれ」

「別に責めるつもりはないよ……」

「知ってるけど、一応な」

 今はこれが最善だ。

 俺自身、千歳を納得させる答えがない。

「隼人くん。これ……返したほうがいい?」

 千歳が震える手で取り出したのはこの家の合鍵。

 高等部から本家で世話になっていた千歳が珍しく『居づらい時がある』とぼやいた時に渡したものだ。

「別に返さなくていい。俺が誰と婚約しようがここがお前の避難所に変わりはない」

「隼人くんが良くてもアリシア姫は――」

「ここは俺が自分の金で買った家だ。誰にも文句は言わせない」

 後でアリシアに説明しなくてはならない。

 拒絶してほしくないが……どうなるかな。

「ありがと……」

「お礼を言われることでもねえよ」

 それでも二度と千歳に涙を流させない。

 あの時誓ったんだ。

 無茶だとしてもアリシアを説得するしかない。



「送っていかなくて大丈夫か? それか鏡夜に連絡を――」

「んーん、大丈夫」

「そうか、気を付けてな」

「うん。またね、隼人くん」

 千歳を門前で手を振って見送り溜息を吐いた。

 家の中に入り二階へと上がる階段前で立ち止まる。

「立ち聞きとは趣味が悪いんじゃないか?」

 二階からアリシアが降りてきた。

「空気を読んだんです。それともリビングで話し合いに参加すればよかったですか?」

「お気遣いどうも。それより話がある」

「従妹さんの合鍵の件なら隼人さんが言っていた通り、この家は隼人さんが購入したもの。私に咎める権利はないと思います」

「話が早くて助かるよ」

 彼女が帰宅したことに気づいたのはちょうど千歳が合鍵の件を話し始めた時。

 その前の会話を聞かれていなければいいが。

「隼人さんも罪作りな方ですね」

「俺もあいつもお互いに好意がないんだ。責められる言われはない」

 千歳が俺に寄せている感情は好意ではない。

 それを錯覚しているうちは何を言っても意味はない。

「だから罪作りなんです。時にそれは恋心よりも厄介ですから」

「ある意味アリシアと婚約した一番のメリットはそれかもな」

 千歳が自分で気づいてくれればいいが。

「アトリシア公国の姫君を利用するとは命知らずですね」

「利用しているのはお互い様だ」

「否定はしません」

 好意がないのはアリシアも一緒。

しきたりへの従順な態度を見せているが好きでもない男と一緒に暮らすのは別だ。

しかも普通なら拒絶する筈の合鍵の件を受け入れている。

ますます怪しく見えて王家のしきたりも嘘もしくは解消する術があるはずだ。

なら婚約は彼女の目的を果たすまでの一時的なもの。

そこまで絶対視することはない。

「けど、私は隼人さんのこと好きですよ」

「嘘くさいこと、この上ないな」

だが、俺にはそれぐらいがちょうどいい。

でないと彼女の魅力で理性が崩壊しかねない。

「隼人さんは私のことが好きじゃないんですか?」

「好きだよ。その性格の悪さが特にな」

「隼人さんに褒めていただけて光栄です」

 これでアリシアが何か抱えているのは確定。

 が今回俺を親善試合に引っ張り出したのはそれの解消ってところか?

 ったく、辞めた後も人使いの荒い姫様だよ。

 せめて電話の一本ぐらい寄越せよな。



 風見家本家に帰宅して夕食前に自室のベッドにダイブする。

 帰る間ずっと隼人くんの家の合鍵を握っていたせいで跡が残っていた。

『返さなくていい』

 その言葉を聞いて安心した。

 彼はいつも私の居場所を守ってくれる。

 誰にも文句は言わせないと言ってくれる。

「隼人くん……」

 婚約のことを聞いた時の彼の表情は珍しくわかりやすかった。

 アリシア姫のことを受け入れているというよりかは疑っている。

 それは婚約云々ではなく別の何か。

 彼があの顔をするのはおそらく……あのお方関係。

 護衛役でなくなっても尚隼人くんはあのお方に付き従う。

 まるで呪われたように『――』している。

 それは私が隼人くんに抱く感情と同じ。

 だから私は……隼人くんとあのお方の関係を認めるしかない。

「ごめんね」

 無意識に涙が出てしまう。

 傍に居ても隼人くんのためにならないとわかっているのに。

 彼がそんな私を受け入れてくれる優しい人だからと言い訳しかできない。

 私は彼の無自覚な優しさに溺れる――卑しい女だ。

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