第二話「黒猫の喫茶店」
やってきたのは城下町で最も栄える伊吹通り……ではなく奥まった路地裏。
間違っても一国のお姫様を連れてくるような場所ではない。
「こんなところに連れ込んで。色々言っておきながら隼人さんも男の子なんですね」
「何を言っているかわからないが勘違いだからな?」
アリシアの意見は最初から織り込み済み。
アトリシア公国のお姫様を連れて人通りの多い場所で目立つ趣味もないのもあるが店がこの先なのでしかたない。
本当にこんなところに店を構えて商売する気があるんだかないんだか。
「近くでゆっくり飯を食べられる場所が他に思いつかなかったんだよ」
「そういうことにしておきましょう」
仮に俺がそういうところに連れ込むと思っていたらついてはこないだろう。
そんなことを考えていると目的地である黒猫の看板を見つけて店に入った。
「いらっしゃ――何だ、隼人かよ」
出迎えたのはカウンター席の内側でグラスを拭く、バーテンダーのような恰好をした青年。
店内を見渡すと好都合なことに俺達以外の客の姿はない。
「今日も繁盛していて何よりだな、鏡夜」
喫茶シャノワールの店主――
風見家の分家、相楽家の長男で俺の七つ上の従兄弟にあたる。
「相変わらず口の減らねえガキだな――何だ、珍しく女連れじゃねえか」
「そんなんじゃねえよ。彼女はアトリシア公国からの留学生だ」
「アリシアと申します」
「そういうことかよ。適当に座って待ってろ」
鏡夜は慣れた手つきで調理を始めるので二人席へ向かう。
アリシアの自己紹介を受けても彼女がアトリシア公国のお姫様ということも俺の婚約者になったことも気づいた様子はない。
相変わらず情報が遅い奴だ。
「口の悪い店主で悪いな」
「そうでしょうか? それよりもお店の方とはお知り合いですか?」
「あぁ、従兄弟だ。親戚の店で客もいない。アリシアを連れながら落ち着いて食べられるのがここぐらいでな。それに――」
「それに?」
「ま、来てからのお楽しみだ」
「隼人―! 先に飲み物を取りに来てくれ」
「俺、客なんだが?」
「固いこと言うなよ。俺とお前の仲だろ?」
「気色悪いこと言うなよ。すまんアリシア、少し待っていてくれ」
「わかりました」
席を立ってカウンターの内側へ向かう。
カウンター内のテレビでは昨日の親善試合のニュースが流れていた。
「アトリシア公国のお姫様に故郷の料理を振舞うとか……お前は俺に何か恨みでもあるのか?」
「そんなつもりはない。単にここでも食べられると教えたかっただけだ」
友好国であるアトリシア公国の料理を出す店は多いがその分人も多い。
「それはまぁ納得できる。で、これはデマか?」
鏡夜が見せたスマホの画面に映っていたのは俺とアリシアの婚約とそれに対して箝口令を敷くというものだった。
「デマだと思うなら親父に『エイプリルフールは終わったぞ』と返信しておくんだな」
「ま、こうやって店に連れてきている時点でお察しだろ。けど、お前――」
「とりあえず、その話は後にしてくれ。あまり遅いとアリシアに不審がられる」
「……わかった。ほれ持っていけ」
「サンキュー」
鏡夜のところにも連絡がいっているということは……今はあまり考えたくないな。
ティーセットを持って席に戻るとアリシアが落ち着きなく辺りを見渡していた。
「どうかしたか?」
「すみません。こういったお店は初めてで」
「まぁ、一国のお姫様が来るところじゃないからな」
「そういうわけでは……他人の視線がない、というのが初めてで」
「そういうことか」
お姫様ってのも大変だな。
そういえばよく知っているお姫様も髪色や瞳の色を赤から黒に変えてたっけ。
「けど、慣れていないだけお店の雰囲気は好きです」
「俺もだよ」
コーヒーの匂いが染み付いた店内。
店内で流れるジャズ。
何より人の目がないのがいい。
「アトリシア公国のお姫様に褒めて頂いて光栄です」
鏡夜はうやうやしく腰を折り料理をサーブする。
「ガレットですね」
「口にあえばいいんだがな」
丁寧なのは最初だけなのが鏡夜らしい。
「隼人から紹介はあっただろうが改めて自己紹介だ。隼人の従兄弟の相楽鏡夜だ。この店の店主をしているよろしくな」
「態度はアレだが料理の腕は保証する」
「生意気言いやがって」
「あはは……」
運ばれてきたガレットをさっそく頂く。
中身はほうれん草、ベーコン、チーズか。
「嫌いなものはなかったか?」
「大好物ばかりです」
「なら、よかった。では、ごゆっくり」
アリシアのお気に召したようで何より。
王家の舌に合う料理を作れるのって普通に凄いことだよな。
「無事婚約が決まったことですし、一つよろしいでしょうか?」
「ん? なんだ?」
アリシアが食べるせいか。
いつもよりいい食材を使っている気がする。
「隼人さんの家に住む許可をください」
アリシアの言葉を脳が処理出来ずにフリーズする。
幸いなことにガレットは皿の上に落ちた。
「え? なんだって?」
「ですから同棲の許可をください」
某鈍感系主人公みたいな発現をしてしまったがアリシアには通じなかった。
「俺も婚約者というものはよく知らないが。『婚約決定=同棲』ではないと思うぞ?」
「私達はしきたりによって婚約者になりました。そのためお互いのことをよく知りません」
「そうだな」
「ですのでここは一つ共同生活を行い、互いを知るべきかと」
「意図は理解したが距離の詰め方エグくないか?」
親父達が許可を出している時点で同棲も遅いか早いかの違いだ。
「同棲についてはわかった。帰ったら家の中を案内するから自室を決めてくれ」
「ありがとうございます」
少しだけ問題アリだが何とかなるだろう。
「ちなみに学園ではどうするんだ?」
「王家のしきたりの話はアトリシア公国内でも王家しか知りません。他の留学生もあの試合を見て『狐の面の剣士が婚約者になった』とは思わないでしょう」
「なら隠す方向でいいか?」
「ええ、問題ありません」
これで平穏な学園生活を送れる。
「まぁ、そもそもアリシアは一個下だし、学園内で接点はないだろうけどな」
「特別コースがありますよ」
大和学園高等部のカリキュラムは少し特殊で。
午前は学年ごとに分かれた座学中心の一般教養。
午後は各得意武術に学年関係なく分かれた実技中心の特別コースとなっている。
「アリシアは刀剣科だよな?」
「はい。隼人さんもですよね?」
「いや俺は格闘科」
「……へ?」
そりゃその反応だよな。
「あの試合で刀を握っていたのは特別でな。高等部に編入してから刀を振っていないんだ」
「ブランクあってあの実力……」
余計なことを言った。
「さすがに竹刀は振っていたから丸っきりブランクではないがな」
「フォローになっていませんよ」
へそを曲げたアリシアはガレットを頬張る。
「先に言っておくが俺は刀を二度と振るう気はないから再戦とかは勘弁してほしい」
「理由を聞いてもいいですか?」
「聞かないでくれると助かる」
「……わかりました」
思いっきり不服という文字が顔に書いているが飲み込んでくれた。
気遣いが出来るいい子だな。
「その代わり稽古をつけてください。試合中もアドバイスしていたぐらいですから教えるのは得意ですよね?」
「得意かどうかはわからないが。まぁ、それぐらいなら」
思ったより根に持っていたようだ。
「これは興味本位だから無理に答えなくていいんだが。新聞で『王家の留学生は史上初』という記事を見た」
「えぇ、本当だと思います。騎士という剣技に長けたものはいますが、アトリシア公国は魔法の国。王家ともなればそのメリットは薄いんですから」
「なのにアリシアは留学生になったと」
「王家の娘には例のしきたりがありますから。私は騎士として負けないために修練を積み、更なる高みを目指すために留学しました」
「で、その一歩目で出鼻を挫かれたと」
「まさか私ではなく武器を壊されるとは思いもしませんでしたが」
「すまんな、生粋のフェミニストなもんで」
話せば話すほど墓穴を掘りそうだ。
「そんなに強くなってどうするんだ?」
「自分を守れるようになりたいからです」
周りを巻き込まない。
そう言っているような覚悟の瞳。
この瞳を見るのは人生二度目だな。
「昼間は学園があるから朝稽古だけだぞ」
「はい、よろしくお願いします」
この瞳には弱いのは俺の欠点だな。
◆
「ご馳走様でした」
「口にあって何よりだ。静かに食事をしたかったらまたおいで」
「ぜひ」
ご満悦なアリシアを先に外に出して支払いを済ませる。
「相変わらずお前は話題に絶えないな」
「そういう星の下に生まれたと諦めているよ」
「何の苦労もない人生はそれはそれでつまらんからな。それよりも――」
「わかっている千歳のことだろ?」
アリシアが家に住むということは合鍵を持っている従妹――
あの倫理観の塊みたいなやつだ。
必ず反対して口論になる。
「間に入ってやろうか?」
「いいよ、俺の問題だし。それより鏡夜の方が大変だろ」
「従弟に心配されるとは俺も焼きが回ったな。ま、何かあれば連絡しろ。出来る限り助けてやる」
「ありがとな。また来る」
「おう」
持つべきものは理解ある従兄だな。
さて……さっきから鬼電してくる理解させるのが難しい従妹をどうしたものか。
長話になるのはわかっているので家に帰るまでは出ないでおこう。
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