第18球 練習試合(晩稲田実業高校戦2)


「ようやくお前に復讐できるぜ、源水那」

「ふふっ、そんなところもかわいいよ」

「『ふふっ』じゃねーんだよ、マジでボコったる!」


 心配しかない。

 よりによって、試合がいきなり水那さまと藤川球子の対戦から始まるとは。


 水那さまの最大の武器は県内No1の俊足。野球のセオリー通り、トップバッターになってもらった。だけど相手ピッチャーとの関係をすっかり忘れていた。


 いきなりデッドボールを当てられたらどうしよう? 水那さまに怪我でもさせたら、監督代理の僕が源財閥や水那親衛隊に処刑されるんじゃ……。


 1球目を投げたのをみて、心配なさそうなのでホッとした。


 これが例のストレート。


 ズドン、と快音を響かせ、キャッチャーミットにボールが収まる。

 胸元に迫る速球は、ベンチから見ていてもすごく伸びている。打席に立った人はおそらくボールが浮いてくるように見えていると思う。


「なんだ、四天王も大したことねーな?」

「うん、いいね、グっと来られるのも悪くないよ」

「はっ、俺の【ライジングストレート】は、そんな生易しいもんじゃねー」


 確かにこんなに伸びるボールを投げられたら、初めて対戦する人はまず打てないだろう。


 でも、彼女は九家学院を格下だと油断して、先週わざわざ自分の得意な球を披露してくれた。


「なっ、嘘だろ!」


 水那さまは、2球目の高めに入ってきた釣り球を3塁側に軽く当てて転がした。

 1週間で可能な限り、伸びる球の対策をしてきた。

 

 ウィール式の変化球マシンは、ボールの動きを360度自由に変えられる。そのため、ボールが上にホップするように設定し、伸びのある球に目を慣らしてきた。球速は球子の方が速いが、マシンを1メートル前にセットしていたので、これぐらいのスピードは想定内なので大丈夫。


 水那さまは初打席でいきなりセーフティーバントを決めて塁に出た。球子はくやしがっているが、水那さまが本当に怖いのは塁に出た後。


「なんだあれ? あんなんで盗塁できっかよ!?」


 水那さまのクラウチングポーズ。屈んで両手を地面につけて、尻を高く上げている。彼女のことを何も知らず、かつ野球をある程度理解している人間であれば、馬鹿にもしたくなるだろう。


 盗塁の基本はピッチャーの動きを盗んで、2・3メートルくらいリードしてから2塁に向かうこと。だけど、水那さまは1塁のベースを陸上のスターティングブロック代わりに右足をかけて、その勢いで走ろうとしている。


 球子はもし盗塁を狙われても、キャッチャーが2塁で刺してくれるだろうと考え、1球大きく外して投げた。


 キャッチャーがボールを捕って送球途中に水那さまは2塁へ軽々と滑り込んでセーフになった。続く3塁も水那さまの電光石火の盗塁で奪った。


「っざけんなよ!」


 バッターに対して、ボールが荒れてしまい、フォアボールで火華が塁に出た。球子がマウンドで叫んで不機嫌さを隠さないため、晩稲田実業高校の内野陣が球子のまわりに集まって何か話している。


 1回の表でノーアウトランナー1、3塁。


「くそっ、月ちゃん許せ!」


 相手からしたら、この辺でワンアウトを取って流れを変えたいところだろう。


 月のことが大好きな球子だが、今はピンチの場面。球子は決意して愛しの月へ投げ込んできた。


 やっぱり持っていたんだ、変化球。


 まだ1巡目でストレートにこちらが手も足も出ないと想定していたから、2巡目か3巡目まで温存しておくつもりだったはず。


 ストレートとあまり速度差のない縦の変化球。かなりの落差がある。この球には絶対の自信を持っているに違いない。

 

 でも、その必殺の変化球を投げこんだ相手は天花寺月。彼女は練習中、変化球マシンでどんな変化球でも簡単に打ち返していたミートの天才。


 涼しい顔でボールを打つ。1、2塁間のギリギリ捕れない高さでセカンドの頭を超え、1点が入ってランナーは1、2塁になる。


「嘘だろ、俺の縦スラをいとも簡単に……月ちゃん、やっぱりサイコー!」

「球子ー、集中!」

「わーってるって。ってか、たまこって呼ぶな!?」


 次のバッターは亜土だったが、球子の投球モーションが速すぎて、いつもの掛け声とタイミングがズレてしまった。そのせいであっさりと三振を取られてしまう。


「次は先週、俺に完ボコされたヤツか」

「……」


 林野さんは、球子の挑発に乗らずに無言でバッターボックスに入って集中する。


 先週、完敗したのが、よほど悔しかったみたい。彼女の集中力が尋常じゃないのが見て取れる。


 球子はどうしても打たせたくないのか、3球目まで低めに縦スライダーを投げて凡打を誘う。だが、林野さんはピクリとも動かず、3球中2球がストライクゾーンに決まった。


「あばよっ!」

「──っ!?」


 渾身のストレートが内角高めにくる。

 無意識に手が出てしまうバッターが続出する、いわゆる三振ゾーンと呼ばれる絶妙なコース。


 林野さんは、ボールのギリギリ真下を振ってしまい、打ち取られたが、今のは惜しかった。球子のコントロールが少しでも乱れていたら、長打を期待できるスイングだった。


 6番の西主将は、初球のストレートを捉えたが、飛んだ方向が悪くてファーストがキャッチ。カバーに入った球子がベースを踏んでアウトになった。


「作戦を変更しましょう」


 守備に移る前に桜木、西主将バッテリーに対戦前に考えていた守備方針の変更を伝えた。


 守備に向かうふたりの背中を視線で追いながら、彼女たちに伝えた作戦がうまくいくか再度、頭の中で整理する。


 当初予定していた計画は、相手が本気で試合に臨んだ場合を想定していた。


 でも、ピッチャーと4番以外がベンチメンバーなら戦い方を変えた方がいい。幸い、ピッチャーの性格を利用して崩すこともできそうだ。だから、油断してくれているなら、後半まで油断してもらおうと考えている。


 グラウンドの外にギャラリーがたくさんいるが、その中に明らかに九家学院高校の生徒じゃない人間が混じっている。


 三脚式のカメラをセットしているが、カメラは下を向いていて、撮影していないことが、僕のいるベンチから見てわかる。


 おそらく晩稲田実業高校の新庄主将の指示で、必要があれば撮影するよう言われていると思う。強敵だと認識したら、対策を練るために撮影するつもりで念のために用意したんだろう。


 まだ5月にも入っていないが、僕の中ではもう「夏」が始まっている。彼女たちをあの大きな舞台に立たせるためには、桜木さんを敵チームになるべく研究されない方がいい。大会で再戦したときに、少しでも勝率が上がるから。


 とはいえ、負けるつもりは全くない。油断させた上で接戦に持ち込み、ギリギリ勝つつもり。負ける経験も大事だけど、勝てるときに勝って勝利体験を味わっておかないと負け癖みたいなものが身についてしまう。勝つのも負けるのも両方経験することで、人は一段階成長できると思っている。


 桜木さんは投球練習から球速を抑えてもらっている。


 速くも遅くもない、ちょうど打ち頃の球。だけどスピードを抑えている分、丁寧にコーナーをついたことで、打者3人をフライとゴロで打ち取った。


「魔球?」

「はい、ワンシームファストボールです」


 ちょうど1週間前に投球練習をしていた桜木さんへ伝えた変化球。アメリカで活躍する日本人メジャーリーガーが動画で投げ方とその効果を丁寧に解説していた。手が大きく指も長いため、いろんな球種を試せるのが桜木さんの投手としての魅力のひとつ。ストレートよりはだいぶスピードが落ちるが、変化の幅がツーシームよりも大きいのが特徴。桜木さんのスタミナを上げるのは大事だが、短期間で簡単に体力はつくものではない。そのため、少しでも長く桜木さんがマウンドに立っていられるように考えたのが、この球だ。


 この魔球は、幸運にも桜木さんに向いていたのですぐに覚えられた。ストレート系の球種であるため、フォームを崩すこともなく、相手に悟られにくい。


 当てにくい上に三振も取れるので、守備時間の短縮にも役立つ。


 晩稲田校はまだ変化球に気づいていない。ワンシームファストボールをストレートにこっそり混ぜて、インローで詰まらせたり、アウトローのボールだと思わせてストライクゾーンに滑り込ませてカウントを稼ぐ。


 2回の表。安室、喜屋武が凡退して、打席に立ったのは9番バッターの桜木さん。伸びのあるストレートにはタイミングが合っていたが、2球連続でファールになって、3球目の縦スライダーにやられて、思い切り空振り三振してしまった。


「1点は返さないと、後でめんどくさいんだよね~球子のヤツ」


 ──4番、苗代。

 左右を刈り上げたツーブロックがすごく目立つ。


 バットを構える姿勢だけ見ると、全然やる気がなさそうに見える。だが、先週、西主将から特大のホームランを放った強打者なので油断は絶対にしちゃいけない相手。


 身長155センチ前後と小柄で華奢な体型で、ホームランを打つ打者に見えないのが怖ろしいところ。


 長さが1メートルを超える木製バット。

 プロ野球でも85センチ前後のバットが好まれる。小柄な選手が長いバットを構えただけで、その異様さが際立ってみえる。


 ほぼ1周ぐるりと体を捻ってホームベース側へバットが水平に伸びている。腰も腕も限界までテイクバックしていて、ここからどうやってバットを振るのか全然想像できない。


 先週、この独特な構えについて、対戦したメンバーから聞いていたので対策を立てておいた。


 あの異常に長いバットを問題なく振れるなら、内角が弱点になるはず。内角に入ったボールを打つには後ろの軸足を回転させて、体の前でボールを打たないといけないが、バットが長いからどうしても振り遅れてしまう。だから、1塁方向へ弱いゴロが転がると予想している。


 バットがしなっているように見える。

 両腕を畳んだ独特なフォームで、バットが内角高めのボールに追いついた。


 噓でしょ?


 振り遅れるどころか、引っ張って3塁側のファールラインを大きく割ってボールが消えていった。


 もう手の打ちようがない。

 西主将が、ベンチの監督役をしている僕のサインを待っている。

 

 ──いや、まだ手はある。


 僕がサインを送ると西主将が次の球について、桜木さんへ伝えた。


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