第14球 赤ちゃん騒音事件
「あぁ゛―あぁ゛ー!」
桜木さんが立っている近くに優先席があり、母親が赤ちゃんを一生懸命あやしているが、全然泣き止まない。たぶん、おむつ替えかミルクが欲しいんだと思う。それにしても赤ちゃんの泣き声って「オギャー」って感じじゃなくて「あぁ゛―」というのとも少し違う気がする。何が一番近い表現なのかと、どうでもいいことを考え始めた。
「うるさいっ!」
母子の隣に座っていた50代ぐらいの女性が突然、金切り声を上げた。桜木さんの様子を見ていた僕以外のまわりの人たちは、ワンテンポ遅れてその声がした方をチラリと見た。
「母親なら泣かせないようにしなさいよっ!」
目が怖い、まともではなさそうな女性。
母親は申し訳なさそうにその女性に頭を下げ、周りの人にも謝りながら、泣き声がさらに大きくなった我が子を必死にあやしている。
「赤ちゃんは泣きたい時に泣くもんさ」
桜木さん。
誰も何も言わないので、母子のそばに移動して励まし始めた。
すごいよ、桜木さん。他の大人たちが見て見ぬふりをしている中で、あの母親を庇うなんて……。僕にはとても真似できない。
でも、嫌な予感がするので、僕にできることをするべく移動を始めた。
「子どもはちゃんと躾けないと、アンタみたいな不良になるのよ!」
50代の女性は自分が攻撃を受けたと思ったみたい。こういう人とは関わらない方が、いいと思うが。
「いい年した大人が赤ちゃんの泣き声で、自分の感情をコントロールできない方がまともじゃないと思うけどね?」
「目上の人に対してなんて口の利き方なの! 礼儀も知らない不良め!」
「ただ年を取っただけの浅い人間に敬意を払うつもりなんてないね」
金切り声を上げまくる女性のそばに立って彼女を見下ろす桜木さん。迫力が半端ではない。
「すみませんでした。ここで降ります」
そうこうしている間に電車は次の駅に到着し、赤ちゃんを抱えた母親は目的地かどうかわからないが、周りに頭を下げてそそくさと電車を降りていった。
しかし、50代女性はまだ腹の虫がおさまらないのか、予想外の行動に出た。
『ジリリリリリリリリリリッ!』
「ただいま電車内から非常通報がありました。確認しますので、今しばらくお待ちください」
あろうことか、優先席のそばにある非常通報ボタンを押した。
電車内とホームにアナウンスが流れる。
電車の扉は開いたままで、数十秒も経たないうちに駅員が2人駆けつけてきた。
「どうしました?」
「この不良が私に暴力を振るったんです!」
「オバサン、アタイが何したって?」
そんな無茶苦茶な。
桜木さんが金髪なのを利用して、ありもしない罪を着せようとしている。
「君、その人から離れなさい」
「アタイは何もしていない!」
女性の近くにいたので誤解されたみたい。駅員が桜木さんの腕を掴んだので、その手を振り払った。
──まずい。
「君、駅員室へきなさい!」
「なんでアタイが!? そこのうるさい人を連れていきな」
「ちょっと待ってください!」
桜木さんが駅員に抵抗し始めたので、大声で呼びかけた。
「途中からですが、録画してました。そちらの女性の方が加害者です」
スマホの録画を止めて、桜木さんが50代女性に注意しているところからの動画を駅員に見せた。
大声を出せたことに安心しつつ、鬼のような形相をした女性と目が合って、体が震えそうになる。
「私、見てましたよ、高校生の女の子は何もしてないです」
「俺も見てた。その子は悪くないよ」
「赤ちゃんを連れたママに暴言を吐いてたのは、そのオバサンの方です」
今まで成り行きを静かに見守っていた周りの大人たちも口々に桜木さんをかばい始めた。
「いい加減にしてよ! 気分が悪いからここで降りるわ」
「ちょっと待ってください、お母さん!?」
駅員二人が勝手に電車を降りた女性を追いかけていった。
「太陽……サンキュ」
「いえ、桜木さんが無事でよかったです」
しばらく待つとアナウンスが流れ、数分遅れで電車が再び動き始めた。
僕が用事のある駅で桜木さんも降りた。方向も同じなのでどこに行くのか聞くと、レコード店にいくという。レコードってCDよりも古い時代に使われていたもので、黒い円盤みたいな形をしているのはネットで見たことがある。
「僕もその隣にあるペットショップに行く予定なんです」
月と一緒に仔猫を拾ったのでミルクを買いに行く途中だと桜木さんに説明した。ついでに仔猫の画像も見せた。
「かっ、かわいい」
「ですよね」
桜木さんの目がハートになっている。ぜひ今度仔猫を見たいと言ってきた。僕もコロと出会ってまだ1時間も経っていないのに、なんだか誇らしい気持ちになってきた。
「もう一度、スマホを出しな」
「え?」
言われるままにスマホを出すと、SNSで連絡先を交換した……えぇぇぇぇえッ?
「今度、アンタん家に仔猫を見ながら、レコードを持ってくるよ、じゃあね」
「あっはい、お気をつけて」
なぜか顔の赤い桜木さんが隣のレコード店に入っていきながら手を振ったので、つられて僕も手を振り返した。
──いやいやいやいや。
桜木さんが、今度僕の家に来る?
女子を自分ん家に呼んだことなんてないのに。
さっき月とも連絡先を交換したから、今日だけで女子ふたりと連絡先を交換したことに驚く。
猫用のミルクを買って、すぐに家に帰った。
僕が買い物に行っている間に妹の
母には事前にコロを紹介した後、父が仕事から帰ってきたので仔猫を見せたら、すごく喜んでくれたのでホッとした。
それにしても、にゃんこパワーはすごい。女子ふたりとあっという間に連絡先を交換してしまった。コロの画像を撮ってスマホの待ち受けにすることにした。
おまけに、さっ桜木さんが今度、家に遊びに来るだなんて……。
「おにいさま、よろしいですか?」
「うん」
夕食を終えてお風呂に入ったら、さっそく部屋でコロの撮影会を始めた。さっき月からSNSで連絡が来て、コロの画像を求められたので、すごくかわいい1枚を撮るべく、いろいろと試行錯誤をしていたら、海が僕の部屋のドアをノックしてきた。
「おにいさま、すみませんでした」
「え?」
部屋に入ったと同時にあやまられた。けど、妹に謝罪を受けるような心当たりは全くない。
「海が余計なことを言ったせいで、おにいさまに怪しい虚言癖が」
「虚言癖? いやいや」
ご飯を食べている時にコロの画像を撮影して、高校の女子にSNSで送ると話したのに嘘だと思い込んでいる。
「ほら?」
「これは天花寺先輩……それに例のもうひとり四天王の方も!?」
嘘じゃないことを証明するために、海にスマホの画面を見せた。
こんなに驚いている妹の顔は滅多に拝めないので、さらに追い打ちをかけることにした。
「今度、コロを見るために桜木さんがウチに遊びに来るって」
「おにいさま」
「うん?」
海が遠い目をしている。
「ついに幻聴が聞こえるようになってしまったんですね……」
「いやいやホントだから!?」
でも、自分で言っていて説得力がないのはわかっている。僕自身、まるでファンタジーなお話をしている気分だから。
「仮にそうだとしても、それは社交辞令、家にくることはないでしょう」
「そうなの?」
海によると、女子の「今度行くね」は、まず信用しない方がいいらしい。
「では、おにいさまにセカンドミッションを授けます」
「はっはい!」
またか……。
月も桜木さんも僕から連絡先を聞いたわけではない、ひとえにコロという救世主のおかげ。
セカンドミッションの内容は、月か桜木さんを本当に家に招待するか遊びに誘うこと。なるほど! 絶対無理だっ!?
我が妹は、この兄のことをどう思っているんだろう。僕のコミュ力は……たったの5……ゴミだぞ?
「おにいさまには海とコロという強い味方がいます!」
「ナー」
海が抱っこしていた仔猫を僕に渡してきた。
ありがとう海、コロ。
でも妹とニャンコしか、味方がいない僕っていったい……。
遊びに誘うのは無理だとしても、家に招くのはいけるかもしれない。桜木さんが今度来たいって言ってたし。
はっ!? 待てよ!
桜木さんと仮にふたりきりになって会話がカップラーメンの待ち時間以上の間が持つのか?
あぁぁぁ、やっぱり僕には無理だぁぁぁ!
スマホを使って流行りのリモートで招待するのはアリかな?
海に聞いたら、それはただのビデオ通話だと指摘された……。
タイミングよくピロンっと僕のスマホが鳴った。見るとさっきコロの画像を送信した月からの返信で今度、コロを見に家に来ていいかと書かれていた。
──これは夢?
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